緑の想い

――叶わない恋愛なら、さっさと諦めてしまえばいいのに、と思う。


井浦秀は、自分の席で頬杖をつき、ぼうっとした目線で一人の少女を眺めていた。
そのクラスメイトの名は、名字名前♀。
成績は中の上、容姿も中くらいで。特に目立つ性格でもなく。
どこにでもいるようなごく普通の少女だと、井浦は思っている。

――いや。

思って、いた。

大人しく清楚な印象を受ける名前♀が、実は結構笑うのだということを知っていた。
人と話すとき浮かべる表情が、自分の感情を押し込めたものだということを知っていた。
気持ちを抑え込んでも、そんな彼女に本当の吐き場所がないことを知っていた。


どうしてか、
どうしてだったか、


いつしか、彼女を見ているうちに。
その拠り所になりたいと、思っていた。
独りぼっちの彼女のために。


――そんなこと、有り得ないのに。


「……ぅら! 井浦!!」


今まで己の頭の中を支配していた少女の声で我に返る。
いつの間に彼女は自分の席まで来ていたのだろう。全く気がつかなかった。


「え、あ、うん、……えと、何?」


井浦は思わずどもってしまい、軽い自己嫌悪に数秒陥る。
しかしそんな井浦に気づいているのかいないのか、名前♀は一言「CD、」と呟いた。

「ん、」

言葉と共に差し出されたCDを井浦が受け取る。

「どうだった?」

それは今時のボーカル入りのCDにしては珍しく、ただ夜をイメージした幻想的なジャケットだった。

厳密に言えば、もっと、そう、この世ではないどこかの夜。湖面に儚く揺れるのは、淡く光を放つ白い月。その傍らで翼を広げているのは、一羽の白鳥。
純白。何にも穢れていないその澄んだ色。静寂に包まれたそこには、たったそれだけしか存在し得ないのか、それとも、誰かが存在し得たのかは推測することしかできない。
そんな、深層的なジャケットでもあった。

家の棚の奥に仕舞いこんであったものを、井浦が見つけたのは偶然であった。
それを、この目の前にいる名前♀に貸そうと思ったのも、たまたまであった。


『Eurydike』


悲運を辿ったオルフェウスの妻の名を、アーティスト名にしている歌手が、結構井浦は好きだったりする。
ジャケットのセンスもなによりだが、歌詞と旋律のセンスもとりわけよかった。
バラードが多いこのアーティスト。イメージ通り期待を裏切らない、切なくもの淋しい主旋律。それを引き立てる静かなピアノとハープ。
何か余韻を残す。聞いていて全く飽きない。
男がこんな曲調の歌手が好きだ、なんて言ったらきっと馬鹿にされると、そう決め込んで棚に押し込んであったのだということを、しばらくして思い出した。

「うん。わたしは……そうだね、『Orpheus』が一番好きかな」

少し悩んだあと、名前♀がはにかんで答える。
井浦の表情が息を呑んだように固まった。
しかしそれは一瞬で、彼女が違和を感じる暇さえ与えないほどの刹那。

「そうなの?! 俺もそうなんだー! 『Eurydike』のメロディーも歌詞も、どれも綺麗で好きだけど、なんていうのかなー、一番心に何かを残していくのは、やっぱり『Orpheus』なんだよねー!!」

「わたしも、同じ!」

基本口下手な名前♀が、一生懸命に話しかけてくれることが嬉しかった。

俺を見ていないことは知っていた。
解っていた。
でも、それでも俺は、

「……あ、あの…さ、井浦、」

「秀」

「へ?」

「秀って呼んで」

「え、」

ごめん、
君が困るのは知ってる。それも知ってる。

「井浦の一生のお願い!!」

両手を合わせて、いつもの調子で頼み込む。

「はあ……、しょうがないなあ」

名前♀は予想通りにOKしてくれた。
オプションで苦笑がついてたけど。
困ったように笑う君。
ずるい俺を許して。

「じゃあ、いう……、秀。この前……『Eurydike』のアルバム、他にも持ってるって言ってたよね」

『貸してほしい』と言うことなのだろうと思う。
ああ、と思い出すように視線を上に上げて頷いた。

棚のもんのっっすごい奥に押し込んであるからねー、引っ張り出すの大変かも!

あっはっはと笑い飛ばす。
名前♀はくすくすと笑みを零したあと、

「秀は、もっと胸張っていいと思うけどね」

それはきっと、『『Eurydike』というアーティストが好きだということに』だろう。
男がファンになるのはいささかイレギュラーであるアーティストなのだ。
それなのにこのCDを名前♀に貸したのは、どこか彼女は笑わないと確信していたからだと思う。
彼女はきっと、馬鹿にしないでいてくれる。

「そうかな?! んじゃ俺、調子に乗っちゃうよー?!」

もっと胸を張るべきなのは、俺じゃなくて名前♀だ。
こんなに優しい言葉を、俺に向けないで。
俺を見ていない瞳で、俺を見るな。
これは懇願だ。

誰よりも他人に縋るべきなのに、決して縋ろうとはしない。
近づいてもするりと逃げてしまう。
もどかしいという感情が心の内を渦巻く。
どうしたら、どうすれば。


――いや。


俺はただ、悔しいだけだ。
負けたのが、悔しいだけだ。
どうして俺じゃないんだろう。
どうしてあいつなんだろう。
あいつは君のことなんて見ていないよ。
あいつは違う人を見てるよ。あの子だけを見てるよ。
それなのにどうして、君はあいつだけを見てるの。


――気づいていた。気づいているんだ。

それでも気づいていないふりをする。
心の痛みを押し込める。
いつかのCDのように押し込める。
見ているのが辛い。感じるのが辛い。


ああ、恋愛ってこういうことなんだと、人生で二度目の自覚。


俺は、君のことが、名前♀のことが――好き、だから。


「あはは、それじゃあ、またCD貸してください!」


その笑顔を、自らの手で壊したくないから。

井浦は、君の為に痛みを殺すよ。


( 名字さんと井浦くん )


▼ 初・堀宮!! ううん……。なんか途中から井浦視点にすり変わっちゃってますが、これはこれでいいんでしょうか……? ちなみに、夢主が好きな人は宮村です。そして夢主と宮村は幼馴染み設定(マンションの部屋も隣どうし)。つまるところ、堀←宮村←夢主←井浦。  2011/11/28(2012/01/19up)
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