ひかり色のあなた

――雨が、降っていた。

今回滞在している城下町の甘味処の、赤い布の敷かれている縁側に腰を下ろし、後ろ手をついている少年は、ぼーっと数センチ先で降る雨を眺めていた。
彼、はよく見ると男子(おのこ)ではないことが伺えた。男にしては長い睫毛に、細い顎、桜色の唇、華奢で背の低い体躯。肩に届かない程度に切られた髪は、黒色のはずなのに金色(こんじき)が覗いている。
そう、彼……彼女は、男装をしているのである。
名を、名字名前♀。

何をするでもなく、ただ視界に映る世界をその黒い瞳で見ている。
虚ろでも、強靭でもない光が宿っていた。

屋根の雨どいを伝い、ぽちゃん、と地面に落ちる滴。
それはしとしとと降り続く雨の音に紛れて、耳に入ることはない。
しっかりと聞こうとするならば、耳を澄ましていなければならない。
そこには、水溜りが作られていた。

………………今は一体何時だろう。
空はどす黒い雨雲に覆われており、時間さえわからなかった。

今日は今朝から、空気が湿っているような気がしていた。
それを、この町の民衆も察知していたらしく、甘味処の店内には人はまばらで、目前の舗装などされているはずもない道を通り過ぎて行く人もいない。

砂に水が混じって、やがて泥となる。
そしてその泥は、道行く人々の足を取り、足を汚し、足を穢す。何が何でも絡みついていくその様は、まるで滑稽すぎて笑えない。そうでもしなければ、人間に着いて行くことすらできないのだから。脆弱な物質。
しかし何よりも、そんな、存在する価値すらないそれに心のどこかで自らと重ねている自分が、最も劣弱だった。
他人に頼る資格も権利もない。それらがもしあったとしても、それでも人に縋ることはしないだろう。

光が見えにくくなる。
光が差し込まない。
光が、なくなる。

泥の中に沈むのはきっと苦しい。
だけど、光の無い、真っ黒で真っ暗な闇の中にいる方が、ずっと苦しい。
自分以外は誰もいない、そんな世界。
しかしそれは優しい世界だ。
何も見なくていい。何も感じなくていい。何も考えなくていい。だから、

「――名前♀」

ふ、っと、急に右隣に気配が現れた。
それが誰かということは、わざわざ頭を動かさなくてもわかることで面倒だと思うのだが、なぜかそれは動いた。

「………………耀次郎………」

――秋月耀次郎。
『永遠の刺客』であり、『月涙刀』の持ち主。
黒に近い装束に身を包んだ格好は、暗闇の中だと全く判別がつかないだろうなと名前♀は反射のように心の中で呟く。
茶色がかった少し跳ねた黒い髪に、黒く鋭い瞳。
口数は多い方ではなく、冷静沈着。クールなのだが、一度心を開いた人物には………それが例えば年上だった場合、尊敬の値として一目置き、慕う。猫のような性格だと、名前♀はごく稀に感じることがある。

そして、名前♀と共に『覇者の首』を探し求める旅をしている青年でもあった。

耀次郎が、無言で隣に腰を下ろす。
座った瞬間に、カシャ、と月涙刀が音を立てた。
『首』を前にすると、涙を流すその刀。
夜闇の中でそれを鞘から抜くと、白い刃が素晴らしく映えるだろう。

雨が沈黙を掻き消す。

なぜ私は、耀次郎と旅をしているのだろう。
何が一番嫌かって、足手まといになるのが一番嫌だ。切り捨ててくれたら楽なのに。いや、泥だから切り捨てられないのか。切り捨てちゃえば、耀次郎の足まで切ってしまうことになる。なら、その靴にこびりついた泥を、洗い流してしまえばいい。雨が上がったあと、水で流せば跡かたもなく私は地面に逆戻りして、元通りになるのに。

それならいっそ、私が消えてしまえばいいんじゃないか。

彼にとって、自分自身よりも大切だったあの人を護れなかった私なんて。
偉そうなことを嘯いた割に、何も成すことができなかった私なんて。
彼の隣にただ存在していることすら、本当はしてはならないほどに心も体も穢れきった私なんて。

自嘲するように、口元が歪んだ。

雨がしとしとと降る。
その雨音は耳触りではなく、むしろ心地の良いものだった。
酷く、心が安らいだ。
雨は、無心に降っていられるからいい。
何もしなくても、回っていられる。存在していられる。生きて、いる。
このまま、何も考えずにいられたら。
ずっとここに座った――立ち止まったまま、未来に目を向けることなく。
そうすれば、どんなに幸せなんだろう。

「………………お前は、」

唐突に、耀次郎が口を開いた。

「死んでくれるなよ」

考えることを止めるときは、心が死ぬときだ。
それすらもいいと思えた。
この世に、私が生きていていい場所など、どこにもないのだから。
しかし今、こんなことを耀次郎に言われてしまえば。

――自分だけ勝手に死ぬなんて、そんなの、できるわけないじゃない。

「………、うん、死なないよ」

そう応えると耀次郎が心なしか、ほ、と息をついたように見えた。

――それから。なんだか耀次郎って、放っておけないんだよね………。

刀の柄頭にある鬼笛が幽かに揺れた。
だが、音はしなかった。

その左手を握ると、少し驚いたように彼は目を見開いたけど、優しく握り返してくれた。
絡めた指と、重なった掌からは、耀次郎のあたたかさが伝わった。
少し顔を背け、何食わぬ顔を演じようと頑張っている耀次郎が面白かった。
ぷ、と思わず噴き出すと、「なんだ」と努めていつもどおりに振る舞おうとしているあたりがまた、

「あ、」

足元に一筋の光が零れたのが視界に入り、空を見上げると、雨雲の切れ間から太陽の光が覗いていた。
それは最初の一線を境に、何本も地上に差し込む。
雨はやがて小降りとなり、数秒後、上がった。
一瞬のうちにほぼ晴れ渡った青い空には――

――綺麗な虹が、かかっていた。

「………………帰るぞ」

耀次郎が立ち上がり、私が頷くと、繋いだままの手で引き上げてくれた。
ちなみに甘味処のお勘定はもう済ませてあるから、その心配は全くない。

青空が、眩しい。

私の光は、耀次郎だ。

――だから、私は今を生きよう。





それは激動の時代、または滅びと再生の時代と云われた、江戸幕府幕末の物語である。

この二人の行きつく未来は、いずれそののちに、解ることとなろう。


▼ これはもともとブログの方にアップしていました。そのときの夢主の名前は、『雪竹彩葉(ゆきたけ・いろは)』でした。
  アニマックスで先日、最終回が放送されたので。……私は録画を逃してしまいましたが(泣)  2011/04/30(2011/07/23up)

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