毒花繚乱 | ナノ


風呂上りの夜22時。結局みょうじは戻って来て、ザキ・古橋も残留が決まるという、この「今までの一連の騒ぎはなんだったんだ」感が、風呂に入って汗と共に流れるなんてことは無く。とはいえ、この部に入部してからというものの、腑に落ちるなんて経験は数えるほどしか無いので、今更気にもしない。今回もなんだか腑に落ちなかった、以上。


「原くん」


そう宿舎廊下の販売機に足を向けた時だった。背後から聞き慣れた声が俺を呼んだ。俺を「原くん」と呼ぶその声の主など、振り返らなくても分かる、そこに立っているのは嫌な予感移動販売業者のみょうじである。


「いやこっち向けよ呼んでんだから」
「…ナンデショウカ」


なんて自己完結が許される訳もなく、言われるがままに振り返る。其処には、予想通りみょうじが立っていた。どうやらこいつも風呂上がりらしい、普段ポニーテールに結っている髪は下ろされていた。


「どうせ暇でしょ、ちょっと散歩付き合ってくんない」


みょうじは親指でくいと外を指した。拒否権も人権も無いどうせ暇な俺はみょうじに付いていくことにした。あーあこういうの古橋の仕事じゃねーのかよ何してんだよ仕事しろよ俺がこういうのやるとどうせ変なとばっちり食らうじゃん。


「よーし行くぞ原くん」
「イエスマイロード」
「声違くね」





夜の宿舎周りというのは都会に比べて、虫が多くて暗くて静かで肌寒い。つまり良いこと無い。そんでもって隣にはみょうじ。え、俺なんか悪いことしたかな、心当たりあり過ぎて分かんねえどれだどれだ。


「どうだギロチン女と夜道を散歩する気分は」


それかーーー。言ったわー俺勢いに任せてみょうじのことギロチン女って言ったわ。後先考えず韻踏むことだけ考えて言ったわ。こんの俺のバカチンが。


「お望みどおりお前のそのうざったい前髪ギロチン」
「…っ」





「…してやりたいところなんだけど」
「…」
「なに、今回はまた古橋がどうのこうの言い出したの?」


今まで生きてきた中で一番血の気が引いた。だって死が見えた。しかし、俺の前髪は頭頂部からぶら下がって俺の目を依然覆ったままである。助かったのだろうか。


「えっとすみませんみょうじさん、今回と言うのは」
「昼間。アンタたちまとめてもさもさ来たじゃない」
「ああ、あの計画なら言い出しっぺは花宮…あ」


しまった。前髪を人質に取られたおかげでいとも簡単に口が滑った。今更になって、今朝「今回の計画、内密にしろよ。特に氷室やクソ女の耳に入れようもんなら殺す」と一睨みきかせたキャプテンの顔が思い浮かんだ。もう遅いよキャプテン。みょうじが丸い瞳を此方に向けてフリーズしている。そりゃそうだよねビックリだよね。あーあ次から次へとまーた生命の危機だよ。


「えっ原くんそれマジで言ってる?」
「うん、これマジで言っちゃいけないやつだった」
「マジじゃねえか」


みょうじは「ふーん」と言った。「花宮がこの計画の主犯だったと」と言った。「で、それを口止めされていたと」と言った。それはそれは愉悦に満ちた表情をしていた。せっかく風呂に入ったというのに、俺は冷や汗をだらだらと流していた。
部内では運が悪いにも程がある、八つ当たり・とばっちり吸引機などと定評のある俺だが、やはり何か悪いものに取り憑かれているらしく、このタイミングであろうことか向こう側から人影が歩いてきた。頼む、通りすがりのオバケであってくれ。みょうじも正面からの気配に感づいたらしい、そしてあろうことか「…っ」と息をのんで、俺の腕をきゅっと掴んだ。え?


「「…」」
「…なんだお前らか」


アウトーーー。通りすがりの花宮と古橋アウトーーー。めっちゃこっち見てる。あいつらめっちゃこっち見てる。
なんで?花宮と古橋ってそんな仲良かったっけ?なんでこのタイミングでお前ら二人が出てくるの?何なの皆してそんなに俺のメンタルギロチンしたいの?ギロチントリオなの?


「…みょうじ、何してんだこんなとこでそんな奴と」


古橋は能面のような表情でみょうじに尋ねる。心なしかいつもより怖いのは闇夜に能面が妙な方向に映えてしまっているからに違いない。みょうじはちらりと此方に視線をくれた後、にやりと笑った。


「ふふ、秘密。ね、原くん」


みょうじが機嫌が良いおかげで俺の失言が花宮にばれて殺されることはなかったが、それとはまた別の理由で俺は生命の危機に晒されることとなった。原因はくるくるとローテーションしているが、結果として俺は常に喉元に刃を突き付けられる生活を送っているのだなと思いました。



空中三歩
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20170816