毒花繚乱 | ナノ


それは放課後、着替えを終え原と共に体育館へと向かっていた時のことだった。ちょうど体育館に足を踏み入れようとしているみょうじの後ろ姿を見つけ声を掛けようとしたのだが、俺たちがそうするより早く、聞きなれない声とワードが鼓膜にダイブしてきた。


「Hey!なまえ!」


へい。なまえ。見慣れない光景を目にしながら、耳に入った見慣れない形をした言葉を取り出してみる。しかし何度反芻したところでその言葉は「へい。なまえ。」という形をしていたし、目に飛び込んでくる光景は、見覚えのある知らない優男とみょうじが会話をしているというものであった。


「…ねえ古橋」
「…なんだ」
「なまえって、何だっけ」
「自信はないが俺の記憶が正しければ、みょうじの下の名前と一致するな」
「みょうじって、あいつ?」
「ああ、恐らくあそこに立っているあの黒髪ポニーテールがみょうじさんだな」
「みょうじなまえさん?」
「みょうじなまえさんだな」
「じゃあ、そのみょうじなまえさんのお隣の優男、あれどちらサマ?」
「…」
「おい能面みてーなツラしてごまかすなよ」


自然と歩みを止めこそこそと会話をしていた俺たちにみょうじが恐らく気づいた。目が合ったのだ。


「ねえ古橋、みょうじ俺らが後ろでビビってることに気づいたよ、だって今目合った」
「いやたとえ目が合ったとしても相手がお前じゃみょうじはそのことに気づかないだろ、というか原お前目あるのか」
「あ、みょうじサイン送って来てる、早く来いだってよ、あの優男に見えないように指動かしてる」
「あれ挑発じゃないのか」
「あいつのサイン傍から見たら基本全部挑発じゃん」


あのサインの真意がどうあれ、俺たちがこれから部活動に参加すべくあの体育館に足を踏み入れなければならない事実は動かないので、俺たちはなるべく静かにそっと息を殺して、もう一度歩き始めることに決めた。しかし分かってはいたことだが、ちょうどみょうじの後ろを通ろうとしたところで俺も原も腕をがっしりと掴まれた。


「ああ、ちょうど良かった、二人にも紹介するよ、こちら秋田陽泉高校の氷室くん」


みょうじは笑顔でその優男を俺たちに紹介した。しかし俺たちも伊達に霧崎バスケ部のスタメンを名乗ってきた訳じゃあない、その笑顔の下に鬼みたいな形相が隠れていることはすぐに分かった。お前ら何こそこそ逃げようとしてんだよ、と、このぎりぎりと腕に込められた力が物語っていたし、何より顔に普通に書いてあった。しかしそれも恐らく数多の死線をくぐり抜けてきた俺原瀬戸ぐらいにしか分からないだろう。


「ああどうも、霧崎第一の原くんです」
「古橋くんです」
「はじめまして、色々あって彼女…なまえとはちょっとした知り合いなんだ、今遠征試合で東京に来ているからついでに会いに来ようと思って…本当に会えて嬉しいよ」


優男は猫を被っている時の花宮みたいな台詞を吐いてみょうじに微笑みかけた。さてはこいつも猫を被っているという可能性があるんじゃないだろうか。考えてみれば、花宮も一見優男だ。優男は危ない。


「それより氷室くん、時間大丈夫なの?せっかく東京来たんなら他に会いたい人たくさんいるでしょうに」
「ふふ、なまえったら嫉妬してくれてるの?可愛いところあるなあ」
「ほら誠凛の暑苦しい奴とか」
「冗談だよなまえ、怒らないで」


まずい、こいつ出来るぞ。みょうじの苛立ちパラメーターがウザインボルト並のスピードで加速上昇していっている。それに伴い俺たちの腕が締め上げられる。いだだだ痛い。


「…はあ」


しかしいつもと違うのはみょうじの眼前に立つのが眉毛の素敵な優男ではなく、泣き黒子の素敵な優男であるという点だ。すぐに爆発することはせず、まだ堪えようという気持ちが見てとれた。いつもであれば暴言が飛び出したであろうその小さな口からは、小さく息が吐き出された。頑張れみょうじ。


「Oh, ダメだよなまえ、溜め息は幸せが逃げる。っと、そろそろ時間かな。頭はクール心はホット、それじゃあね」


優男は爆弾と決め台詞とみょうじへのハグを残して去っていった。ちょうど花宮とザキが来た時のことだった。
原が小声で「俺らの場合肝はクール傷口はホットだね」と力無い声で呟いた。ザキは何も理解していないような顔で立ち尽くしていたが、そもそもあいつは元々そんな顔をしているし、来ていきなりこの状況を突き付けられたらザキでなくても理解不能であろう。花宮はこの状況をどう捉えたのか定かではないが明らかに苛ついていた。俺も霧崎生なだけあってどうやらあの優男は受け付けられないらしく、なんだか虫の居所が悪かった。「溜め息ついたぐらいで逃げてく幸せなんざこっちから願い下げだっつのハァァァァァァァ!!!!」とみょうじが身体中の息を、火を噴く勢いで吐き出した。何してんだみょうじは、と言ったら幸せの放し飼いだと返され、あの優男さえ乱入して来なければ今日もウチはそこそこ平和だったのにと溜め息が漏れた。
全く、色々あって知り合いって、何だ。あーあ、今日の練習は荒れそうだ。



ここはニッポン
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20140922