いつから通訳に転職したのか知らないが、古橋はちっさい原が言わんとしていることを抑揚のない声で訳した。ちっさい原の保護者は原であり、ちっさい原が指名したのは花宮みょうじであるから、取り敢えず俺が関係ないことだけは分かる。うんよし、黙っておこう。 「…これでも食わせとけ」 花宮もみょうじも暫くの間黙っていたが、やがて諦めたように花宮が溜め息を吐き、忘れ去られていた赤飯をコンビニ袋ごと原に向かって投げた。…万事解決、だな。良かった良かった。オイお前らとっとと着替えろ、と此方を振り返りながら呟いたキャプテンに久方振りの安堵を覚えながら付いていく。漸くいつもの土曜が始まる訳だ。原以外。 後ろから原がコンビニ袋をがさがさとさせている音が聞こえてくる。手伝うことは出来ないが、クラスメートとして、チームメイトとして、俺はお前の育児心から応援してる。 「これ食えってさー」 「おれあずききらい」 ぴたり、花宮の動きが止まった。…アレ?なんか…アレ?空気が重い、気がする。取り敢えず隣の古橋の表情を伺う。能面であった。俺が悪かった。 「テメェいい加減に…」 そんなことをしている間に花宮が踵を返し、ちっさい原を死ぬほど見下ろしていた。霧崎生の俺にも分かった。あれはヤヴァイ。 「…ふえっ」 「マズイ花宮、堪えろ」 瀬戸がちっさい原から花宮を引き剥がす。だよね。瀬戸、今のまずかったよね。 「お前今泣きかけた?」 「べつに」 「花宮、気持ちは分かる。分かるけども」 花宮を必死で抑え込む瀬戸の姿は流石対花宮用ストッパーである。視界の隅で死ぬほど笑っているみょうじには、敢えて何も言わないでおこうと思う。 キュッキュッ、とバッシュと床が擦れる音が響く体育館。通常よりも大分遅れはしたが、なんとか部活が始まった。ちっさい原はというと、何を考えているのか、再びみょうじの元へと歩いていき、服の裾をちょいちょいと引っ張った。 「…何」 「まーひー」 愛想は死ぬほど無かったものの反応はちゃんと返したみょうじに感心する。しかし、ちっさい原が要件を述べたにも関わらずそれには反応しない。どうやら硬直しているようだ。どうした。 「…おいこらテメェ原くん、」 「え?」 「どういう育て方したら5歳児が業界用語ぶっ放すようになんだよ、え?」 「俺育ててないよ、こいつが勝手に業界風に育ったんじゃね」 みょうじはすぐさま原をとっ捕まえて尋問を開始した。それにしても今日の原は強い。何というか、動じない。母は強し、とはよく言ったものである。 「んな訳ねーだろ意味わかんねーよ!!!!」 「ねえねえ、まーひー」 「ああん!?」 「…ふえっ」 「マズイみょうじ、堪えろ」 咄嗟に古橋が出てきて、ちっさい原からみょうじを引き剥がす。流石対みょうじ用ストッパーである。 「お前今泣きかけた?」 「べつに」 「みょうじ、気持ちは分かる。分かるけども」 デジャヴである。 「古橋、アレ買ってきて、ピヨピヨサンダル」 古橋によって深呼吸をさせられ漸く落ち着きを取り戻したのものの、まだ少し抜けきっていない怒気を抑え込みながらみょうじは言った。 「は」 「アレ履かせとけば何とかなるでしょ」 「意味が分からん」 「歩く度にピヨピヨ鳴る幼児用のサンダルだよ!!!!」 みょうじが言いたいことは分かる。ただアレって、果たしてピヨピヨサンダルって呼ぶ物なのだろうか。ピヨピヨサンダルさえ履かせておけばどうにかなるって、アイツは一体どんな幼少時代を過ごしてきたのだろうか。甚だ疑問であるが、そんな口答え出来る雰囲気では当然なく、古橋は大人しく体育館を出ていった。 ちょうどその頃、「オイ休憩」と場を仕切るキャプテンの声が響いた。ああ、向こう側部活やってる。そうだ、俺たちはバスケットボール部であって、ベビーシッター同好会では決してないのだ。 「クソ女、レモン」 「ん」 クソ女、と呼ばれたことに対して何の反論もせずにみょうじは大人しく、どろりとした何かに漬かったレモンをタッパーごと花宮に向かって投げつけた。それに花宮は腕を伸ばす。因みに俺にはタッパーをスティールしているようにしか見えなかった。どんなミラクルなのか知らないが、タッパーは空中で綺麗に開き、液体は原目掛けて、レモンは俺目掛けて、各々一直線に飛んでいく。次の瞬間、脳天に慣れた衝撃。普段通りの部活動に戻って欲しいとは思っていたが、そういうことじゃなくて。花宮もみょうじも、完全にこの展開を初めから狙っていたのであろう。 ダメだ、奴ら相当キてる。 そんなことを思ったのを最後に俺は意識を手放した。 耳をすます前に弾けて * * * 2013.08.20 |