「…おい、付いてくんじゃねえ」 「付いてないですぅーわたしは今独断で部室に向かって歩いてるんですぅー嫌なら帰れバァカ」 「お前が帰れバァカ」 「むしろしね」 「お前がしね」 世間が新学期というものを迎えて約2ヶ月。季節というものはどんな悪人の元にも平等に巡ってくるもので、我が霧崎高校の桜も入学式の頃には満開になり、そして今は青々とした葉が渡り廊下に影を作っている。 慌ただしかった時期を何とか乗り越えた晩春、やっと日常が戻ってきたように思う。土曜の朝、いつも通り部活に行く。いつも通りキャプテンとマネージャーの口喧嘩を聞かされる。いつも通りでないのはこいつらが鉢合わせた場に丁度鉢合わせたのが俺であったということだけだ。なんで俺。原は何処行った。俺は教室担当じゃないのか。 ふわりと風が吹き、木々が枝を揺らす。それに伴い木漏れ日がゆらゆらと揺れ、葉が擦れる音が静かに響く。その下で物騒な言葉のキャッチボールを豪速球で繰り返す花宮とみょうじを見ていると欠伸が込み上げてくる。この光景を見て平和だと感じるあたり、俺も1年で強くなったなと我ながら思う。 「だいたい休日にまで花宮の面見せられるとかわたし不幸過ぎると思う」 「バスケ部辞めろ」 「ふざけんなお前が転校しろ。誠凛行け誠凛、花宮の大好きな木吉がいるよ」 「しね」 「お前がしね」 「お前がし…ね…」 「………」 俺が上を向いてくあっと欠伸をしている間にもキャッチボールは止まらない。毎日元気で何よりだ。しかし部室の扉を開けた音がしたと思ったら、突然ひゅるひゅると会話は失速し、無くなった。滲んだ涙もそのままに前を向きなおせば仲良く並んで立ち竦む花宮みょうじ。部室に何かいたのだろうか。にしても、こいつらを一瞬で黙らせるものなんて存在するのだろうか。でっかい虫?殺人現場?どれもしっくり来ない。ああ、噂のイマヨシとかか? 考えるよりも見る方が早い。そう考えた俺は首を伸ばし、花宮たちの頭上から部室の中を覗き込む。瞬間、身体が硬直するのを感じた。 花宮にみょうじ、そしてついでに俺を一瞬で黙らせるものはこの世に確かに存在したのだ。 「おーっす、ってお前ら揃って何してんの?早く部室入…ぅおい!!誰だこのガキ!?!?」 俺ら3人が戦慄している間にザキが元気に登校してきた。ザキはザキなので、この光景を目の当たりにしても立ち尽くすことなく元気にリアクションをとってくれた。 そう、ガキである。俺たち霧崎バスケ部(但しザキは除く)を一瞬で黙らせるもの、ガキである。部室を開けたらガキがいたのである。これは戦慄するしかない。 しかもこのガキ、ただのガキじゃあなかった。 「…健太郎、」 「…なんだ」 「…このガキ、なんか見覚えねーか」 「…あるな」 「…瀬戸くん、」 「…なんだ」 「…この顔、毎日見てる気しない?」 「…するな」 静かに静かに、時は流れる。呼吸するのも躊躇される程だ。 「つーか原じゃね?」 誰もが思っていた、しかし誰も口にすることが出来なかったその一言を、ザキは躊躇うことなく吐いた。 一呼吸置いて花宮がドガシャァン!!とそれはもう大きな音を立てて思いきり部室の扉を閉めた。 「おいどういうことだザキ説明しろ」 「いや俺知らねーよ」 「ザキてめえ原くんと同じクラスだろ」 「いやそれとこれとは別じゃね!?」 混乱の矛先がザキに向いている間、俺は考える。しかしいくら考えたところで、あのガキは原だ。ちっさい原だ。目を覆い隠してしまう程に長い前髪、口から吹き出るチューインガム。考えれば考える程、原である。 「分かった分かった!もうアレ原!!はい決定!!お前らも見ただろ!?あいつただの原だって!!花宮もみょうじもマジ落ち着けって!?」 「「んな訳あるかバァァァカ!!!」」 両サイドからズパァァンとひっぱたかれているザキを見て、顔がひきつる。何かファンタジー的なことが起こった、という考えが俺にも過らなかったとは言えないからだ。まあ、口に出そうとも思わなかったが。 「どう考えても原のガキ…」 「!?」 ゆらり、突然の肩口からの声に心臓が縮み上がる。 「古橋おはよう!?」 「ああ、おはよう」 そうだそうだ、古橋って、こういう奴だった。生命力が一切感じられないというか、気配がないというか、能面というか。 「それで、さっきから大分大騒ぎしてるみたいだが…あれは俺が思うに原のガキだ。」 「えっ、ちっさくなった原じゃねーの!?」 「バカはすっこんでろ。…おい古橋、どういうことだ」 「俺は今日目撃した。原と、原Jr.が学校に向かうのを…」 「………」 数分前の平和を、返して欲しいと思う。切実に。 え、何?原Jr.?意味わかんない。っつか、解りたくない。 「…ねえ古橋?」 「何だみょうじ」 「…原Jr.って、原二世ってこと?」 「そうだな」 「つまりそれは…原が父親になったということ?」 「そうだな」 「………」 ああ、俺たちは理解してしまった。薄々解ってはいたが、しっかりがっちり100パーセント、噛み砕いて理解してしまった。その証拠にほら、ザキが戦慄している。 「…それで、俺が若干遅刻した理由だが…ほら。そこのコンビニで赤飯買って来た」 一番最初に原Jr.を目撃したであろう古橋は一通り戦慄し終わったのか、それともあの能面フェイスには特に衝撃では無かったのか定かではないが、無表情で花宮とみょうじの元へと歩いて行き、がさりとコンビニ袋を渡した。 「………」 「…サスガフルハシクン、キガキクナー」 「あーみんなオハヨー」 集団の視線が赤飯から声のした方向へ。 どうやら父親のお出ましのようだ。 六畳一間の宇宙 * * * 2013.05.11 |