!大学生設定



「ねえ、白布さんってさ」

 そう切り出され、五色はちらと声の主に視線を向ける。しかし当の本人は、目の前の食事に手も付けず、頬杖をついて窓の外を見遣っていた。五色は茶碗に盛られた白米を掻き込みながら、次の言葉を待った。

「性欲あるの?」
「ぶっ」

 しかし彼女の口から飛び出た言葉は、待つに相応しくないものであった。
 突然なんだ。女子がそんなこと言うな。こんな所で言うな。俺に聞くな。
 様々な感情が驚きに集約され、その驚きは五色の口の中の米を、鼻だの喉だのに押し上げた。

「ゲッホ、ゴホッ」
「うわ汚、ちょっとやめてよ」
「ぐるじ……ゲホッ」
「水飲め水、ほれ」
「んぐ」

 五色は安っぽい湯呑みに注がれた冷水を受け取り、一気に口に流し込む。空になった湯呑みを叩き落すように置けば、コンと、いかにもプラスチックといった、軽く小気味の良い音がした。

「いきなり何言うんだよ……っ」
「え?」
「白布さんの、その……」
「ああ、」

 五色はやや涙目になりながら、眼前の同級生、もとい、高校時代の先輩の恋人を睨めつけた。

「いやだって、五色、高校の時白布さんと寮生活してたんでしょ?だから、そういうエピソードとか知ってたりしないかなって」
「安直!」

 まだ米が気管支に残っているような違和感を抱えながら、五色は嘆いた。しかし、そんな五色のことなどお構いなしに、みょうじは漸く△△大定食に箸を付け始めた。こんな話をされているが、ここは大学の学食である。

「えーでもさ、前に白布さん、五色の部屋によく行ってたって言ってたし。結構プライベートまで浸食し合った仲なのかと思ったんだけど」
「……そりゃ白布さんは先輩だから、しょっちゅう俺の部屋来て好き勝手してたけど、俺はエースだったとはいえ後輩だし、白布さんのことはそんな分かんねえよ。白布さんあんま自分のこと話すタイプでもないし」
「ふーん、そういうもんなんだ?」

 みょうじは殆ど表情を変えずに言った。自分から聞いてきた癖に、興味があるのか無いのかも定かではない。欲した情報を五色が大して持っていなかったのもあるかもしれないが。

「なんでそういうこと聞くのかって、五色は聞いちゃこないだろうから自分から言うんだけどさ、」

 あまり腹が減っていなかったのか、みょうじの食事はあまり進んでいなく、定食の主食である焼鮭の三分の二ほどを箸で切り分け、さも当たり前かのように無断で五色の皿に乗せながら話を続けた。学食とはいえ、二人で昼食を取りつつこんな行動、女子にされたら、俺のこと好きなのかもと勘違いしてしまいそうなものだが、みょうじは既に白布さんの彼女なので、五色には幸か不幸か勘違いしようがなかった。この話早く終わんないかな、と思いながら五色は今しがた寄越された鮭に箸を付ける。

「こないだ白布さん家泊まりに行ってさ」
「……ん」
「お風呂借りてあがって、」
「……生々しい話だったら俺あんま聞きたくないんだけど」
「生々しくないから話してんじゃん。お風呂上がって、ちょっとした拍子に躓いて白布さんに抱きつき?というか、飛び込んじゃったんだよ」
「ちょっとした拍子ってなんだよ……」
「狙ったんだよ察せよ」
「……うぅ」

 五色は再び涙が滲みそうだった。米粒の違和感は取れたけど、男女の、それも女性側の画策の話など聞きたくはなかったからだ。女子は皆お淑やかで可憐なものだと思っていたし、そうであってほしかった。大学に入って、そんなものは男の作り出した幻想に過ぎない、失敗する前に早いとこ現実を知っておけ、と目の前の女性に一蹴された訳だが(なんだか白布さんみたいである)、五色はまだ夢を捨て切れないでいた。

「それで白布さんなんて言ったと思う?危ねえな気をつけろよ、だよ?風呂上がりの彼女が抱きついてきて、危ねえなで終わるか普通?これ私の色気が足りないのかな?どう思う五色?」
「もっと……経験がある人に……聞いてほしいです……っ」

 五色は拳を握りしめ、振り絞るように言った。もうお手上げである。

「そうなんだよね、それで白布さんは昔から性欲がありませんって話だったらそれはそれなんだけど、いや白布さん普通に人並みだったよって話だったら私これなんとかしなきゃなと思って、経験はなくとも白布さんと生活を共にしたことがある五色に聞いてみたんだって」
「力になれないどころか、俺が傷ついただけで終わった気がする」
「ごめんねエース」
「謝らないでくれ、余計に傷つく」

 五色はなんとも言えない心の空洞を感じながら、安っぽい湯呑みを手に取り傾けたが、口の中には何も零れ落ちてこなかった。そういえばさっき全部飲んだんだっけな、と思いながら湯呑みを置きかけたところで、突如、一つの記憶が呼び起こされた。

「……あ」
「ん、なに?」

 みょうじは漸く手を付けた鮭を口に運びながら視線を向けてくる。

「この前、高校のバレー部の同窓会で」
「うん」
「白布さんの彼女の話にちょっとなって、」
「え?うん、」

 みょうじは意外そうに目を見開いた。

「白布さん、最近どうなのみたいなこと聞かれても、最初は特になにも、別に普通だ〜みたいなことしか言わなかったんだけど」
「うん」
「みんな酔ってきたあたりで、なんか、ちょいちょい手出しそうになるから困ってるって、キレてた、ような」

 五色はアルコールが入っていた時の記憶を慎重に手繰り寄せる。白布さんがキレてるのはよくあることだからあまり印象的ではなかったが、その隣の川西さんが「まだ手出してないの」と酷く驚いていたのが珍しくて、隣のテーブルの話だったが少し聞いてしまったのだった。

「……それ本当?」
「俺も酔ってたし直接話した訳じゃないからあれだけど、多分」

 あの時白布さんたちと同じテーブルにいたのはあと誰だったか、と腕を組みながら五色がうんうん思い出そうとする。しかし、みょうじは五色からの更なる情報を手に入れる前にテーブルに上半身を倒れ込ませた。頭を使っていた為、みょうじに殆ど意識が行っていなかった五色はギョッとする。気付いていなかったが、みょうじは五色の話を、目の前のトレーを脇に追いやり身を乗り出して聞いていたのだ。

「えっ、みょうじ……?」
「……なにそれ、」

 みょうじは小さな声で一言、そう呟いた。自身の腕に埋めていた頭を少しずらし、顔を覗かせたので、五色はどうしてしまったのかとその顔色を伺った。
 瞬間、五色に衝撃が走る。

「白布さん、ちゃんとそういうこと思ってくれてたんだ」

 みょうじは顔を僅かに赤らめ、それは嬉しそうに、噛み締めるように呟いた。

「すごい、良かったー……。嬉しい」

 はぁぁ、と溜め息を吐き、みょうじの顔がまた自身の腕の中に戻っていく。それから、くぐもった声で、白布さんに会いたいなあ、と独り言のように言った。いや、もう殆ど独り言なのだろう。
 暫しの沈黙が訪れたが、やがてみょうじはがばりと上体を起こし、五色の身体がびくりと硬直する。

「ありがとう、五色」

 そう言って笑った彼女のその笑顔は、とても可愛らしくて、可憐で、五色は咄嗟に反応ができなかった。

「今度、なんか奢る!何がいいか考えといてね!」

 席を立ったみょうじは足取り軽く、ひらひらと手を振って、食器を片付け学食を出て行った。もうすぐ3限、五色は空きコマだがみょうじは講義なのだろう。

 白布さんには、あんな可愛い顔するのかよ。

 五色は、彼女欲しいなあ、なんて、そんな月並みなことを思いながら、残した焼鮭の皮を丸めて、席を立った。




それはその時々による
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20200111

つとむに夢を見過ぎてる自覚はある