二学期も終わりが見えてくると、外は凍てつくように寒い。特に、朝が寒い。
 なまえは余すところなく首に巻かれたマフラーに顎までずっぽりとうずめ、手袋ごと両手に息を吹きかけながら、教室に入った。いくら室内は暖かいとはいえ、身体がその温度に順応するまでは少々時間がかかる。登校したてのクラスメートたちは皆なまえと同様、防寒具をすぐに手放すなんてことはせず、未だ防寒具に縋り付きながら各々談笑したり、鞄の中身を取り出したりしていた。
 そんな中自席に鞄を降ろすと、なまえはふと視界の端に小さな違和感を感じた。そちらを見遣ると、そこには隣の席主、白布賢二郎が座っている。
 白布は、防寒具はもう既に付けていないようだが、マスクを着用しており、僅かに覗いている頬が心なしか少し赤いような気がした。白布がマスクを付けているのは別段珍しいことでもないように思うのだが、なんだか普段より白布の周りの空気が重い。違和感の正体は恐らくこれであろう。

「白布、おはよ。今日すっごい寒いね」
「……ん、あぁ、寒ぃな」

 白布は、大きい癖に開き切っていない目をちらりとこちらに向け、申し訳程度に答えた。
 白布は顔立ちが整っており、そして何より目が大きい。そんな彼が僅かに頬を紅潮させているのだから、可愛らしさや色気が感じられてもいい筈なのだが、実際には何故だか凶悪性を感じる。なまえは苦笑しながら自席に腰を下ろした。

「もしかしなくても風邪引いた?」
「……引いてない」
「でもなんかちょっと顔赤くない?声も少しだけイガイガしてる気がしないでもない」
「……喉がちょっと痛い」
「風邪じゃん」

 自覚症状を押し殺しているだけの白布に、容赦なくその症状名を突きつけてやれば、白布はばつが悪そうに視線を逸らし、「ん"っ、ん"」と咳払いをした。明らかに風邪っ引きのそれである。

「……朝起きた時、熱はなかった」
「うん」
「ただちょっと喉の調子が悪いだけ、だと思う」
「白布の風邪は喉からなんだね」
「だから風邪じゃねえって、ん"ん"っ」

 白布は、何となく、自己体調管理に厳しそうである。それでいて、絶対に負けず嫌いであろう(なまえと同じクラスに在籍している、ということは、白布はスポーツ推薦で入学したのではない訳だが、それでも強豪と謳われるうちの男バレで彼が二年生ながらスタメンまで上り詰めたことは、運動部と殆ど接点がないなまえの耳にも入っていた)。
 そんな白布の性格と葛藤が、今の会話と咳払いから透けて見えるようで、申し訳ないなと思いながらもなまえは笑いを堪えきれず、小さく吹き出してしまった。

「なに笑ってんだよ」
「ごめん、なんでもないよ。ね、飴玉、いる?」
「……俺今日飴すげえ貰う」
「そう、じゃあいらないか」

 なまえは漸く手袋を外し、鞄の中にある飴の入った袋を掴んだが、白布の回答を聞いて、鞄から出す前に手を離した。
 しかし、この、まだ酷くなりきる前の症状を見て、"すげえ"飴を貰うらしい。それは、純粋に白布の体調を慮っている者もいれば、白布と接するきっかけをただ探していただけの者もいそうである。ただ、確信は無いが、一番多いのは、なんというか、白布には飴をあげたくなる。それで、ここぞとばかりに今日の白布には飴が集まっているのではないか。表情や態度こそこんなだが、結局白布は可愛らしい。まるい頭の形に、まるい瞳。なんだか飴玉をあげたくなってしまう。

「いや……貰っとく。ちょうだい」

 しかし、飴玉飽和状態かと思われた白布は、なまえの想像に反して、手のひらを差し出してきた。
 先程までの反抗期真っ只中みたいな言動とは一転、「ちょうだい」と手のひらを見せてくる白布は少し幼く見える。
 なんだよ、造形側か表情側か、せめて言動はどちらかに統一してくれ、と少しどきりとしてしまった心臓を宥めながら、なまえは内心毒づいた。そんな「可愛い」と「怖い」の印象をころころと変えながら与えていたら、一体どれだけの人間が魅せられ、或いは傷つけられてしまうのか。末恐ろしい男だ、とまだ巻いたままのマフラーの中に溜め息を零してから、なまえは再び鞄の中の飴袋を取り出した。ぷちりとチャック部分を開け、袋の両脇を右手で軽く掴み、飴を出しやすいように口をたわませた。

「……それ、」

 しかし白布の手のひらの上に飴を出す前に、白布がイガついた声を発した。反射的になまえが白布を見遣れば、白布は少し驚いたように目を見開きながら、なまえの手にある飴袋を見ていた。

「飴玉って、」

 白布がそう発したのを聞いて、なまえはしまったと思った。きっと白布の元に集まったのはハチミツとかミルク系ののど飴、もしくはガラス細工のような飴、ひょっとしたらお伽の国の木の実みたいな飴ばかりだったかもしれない。少なくとも、もし誰か女の子が白布に飴をあげていたとしたら、何かアピールの意味も込めて、きっと可愛いらしい飴を手渡していたに違いない。そんなやり取りを白布が今日繰り返してきていたのだとすれば、なまえが渡そうとしていた飴はあまりにも"可愛い"とはかけ離れたものであった。

「あー……いや、これは」
「それは飴玉とは言わないんじゃね」

 白布はそう言ったあと、吹き出して、肩を震わせた。なまえは困惑する。

「えぇ?なに、なんで笑ってんの……?」
「いや、だって、飴"玉"あげるっつって、龍角散出てくるとは思わないだろ。のど飴あげるならまだしも」

 白布はお腹の前で腕を交差させるようにしながら、くっくと笑っている。

「う、うるさいな、私も白布がちょっと驚いてんの見て察したよ。ミスったなって」
「ガチの飴出てきたじゃん」

 白布はツボにはまったのか、まだ笑っている。

「なんだよ、どうせ朝からなんか綺麗な色した飴とか貰ってたんでしょ」
「うん、そんな濁った緑じゃないやつ、個包装の」
「うるさいなー!いいよもう」

 笑い続ける白布から繰り出される龍角散ディスに、なまえは居心地が悪くなり、飴玉改め龍角散のど飴を鞄の中に退避させようと手を引っ込める。
 しかし、なまえが引っ込めるより早く、白布がその腕を掴んだ。直後に、先程までより幾分いかつめの咳払いをする。

「まあ待て、みょうじが笑わせてきたせいでこの通り喉の調子が悪化した」
「なんだと」
「だから龍角散はもらう」

 白布はそうじっとりとした目で言い放ち、なまえの腕ごと龍角散のど飴の袋を傾け、手のひらに一つ転がした。

「うわ、ちょ、強引だな」
「この色」
「まだ言うか」

 白布はわざとらしく、手のひらの上の龍角散のど飴を目線の高さまで持っていき、そのいかにもな色を確認したのち、マスクをずらして口に含んだ。歯に当たって、ころり、という微かな音が聞こえるのとほぼ同時に、白布の頬がぽこりと膨らんだ。

「あー、効くわ龍角散、あー」
「それは良かった。あの、ところで白布さん、そろそろ腕を離してくれませんかね」
「え?あぁ、悪い。つい」

 白布は、忘れてた、とでも言うかのような口ぶりで、マスクを戻しながらなまえの腕をぱっと離した。なまえは、制服の袖ごしに感じる白布の手の力強い感触に内心どぎまぎしていたというのに、えらい差である。もう十分過ぎるぐらい寒さなんてものは既に消し飛んでいたが、なまえは巻きっぱなしのマフラーを鼻の上までたくし上げた。

「ん?なんかお前もちょっと顔赤くねえか」
「……おかげさまで、白布の風邪が移ったのかも」
「いや、もうそのマフラー暑いんだろ。取れば」
「やだ」
「はぁ?」

 白布は訳が分からない、という目をなまえに向けたが、なまえは頑なに譲らなかった。
 自分の顔が熱いのが、既に温まった身体のせいでも、ましてや白布の風邪が移ったせいでもないのが、なまえにはよく分かっていたからだ。

 その原因である白布にこの赤さを晒すなんて、たとえ白布が何も分かっていない、気にしていないとしても、恥ずかしいじゃないか。




捨てちまえそんなプライド
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20191226
賢二郎パイセンパーソナルスペースおかしくないですか
バレー部内だけ?