log | ナノ


『なまえちゃーん 今ヒマ?』
『平日昼間だぞ仕事だわ』
『の割には返信はやい!熊谷から連絡きた?』
『は?きてないけど』
『やっぱり(笑)』
『要件』
『熊谷今日風邪ひいて仕事休んでんだけど』
『ウサ公キサマ何をした』
『ごめん』
『ごめんて何?』
『まー気が向いたら様子見に行ってやってよ
余計なお世話かもしんないけどさ』
『ほんとにね』


「…」


それから私は次の返信を待たずにスマホを鞄の中に押し込んだ。いつも通りに朝起きて、いつも通りに出社し、いつも通りに自分のデスクに座ってキーボードを叩いていただけだったのに。嫌な奴からの嫌な知らせに、溜め息を一つ零してから、私は一度席を立つことにした。

先程連絡を寄越してきたのは、兎原という、みつ夫の大学時代からの友人で、現在の職場の同僚にあたる人物だ。勿論私にとっては友人でも同僚でもないのだが、数年前、私と兎原は不慮の事故で知り合ってしまい(デート中に街でばったり会って騒がれた)、あの時のみつ夫の本当に嫌そうな顔は今でも忘れられない。それ以来、私自身と兎原はやはり特に何の関係もないが、たまにこうして連絡がくる。


「…」


あのみつ夫が仕事を休むのだ、相当悪いのだろう。本当は今すぐポカリだのゼリーだの買って飛んでいきたい。けれど、私が自分の為に当日午後休なんて取ったと知ったら、逆にみつ夫を落ち込ませそうだ。
ああもう、こんな状況で仕事に集中なんて出来るかよ、まだ午前中だぞ。全く考え無しの兎原め。



* * * * *



「…なまえ、」
「…声、どうしたの」


結局、みつ夫心配vsみつ夫のプライド×社会人としての責任で、右側が辛うじて私の中で勝利を収めた結果、私がみつ夫の家を訪ねる頃には、空の色はすっかり濃い橙に染まりきっていた。
みつ夫は玄関の扉を開け私の顔を見るなり驚いたような表情を見せたが、私が事情を知っているらしいことを察すると、ふいと目線を背けた。


「…兎原か、」
「本当はみつ夫から連絡が欲しかったよ私だって」


みつ夫はばつが悪そうな表情をしながら私を部屋に上げ、「別にこのぐらいすぐに治すし、お前だって仕事あるだろ」とガビッガビの声で言った。すぐに治る、ではなく、すぐに治す、と言ってくるあたり、染み付いた体育会系は相変わらず抜けていない。


「ふーん。で、調子はどうなの?」
「明日には治る」
「予報じゃなくて今の調子聞いてるんだけど」
「明日は仕事に行くよ」
「いや意気込みでもなくて」


頑なに強がるみつ夫に、私は本日何度目になるか分からない溜め息をついた。


「ご飯、つくっていい?今日大したもの食べてないんでしょ」
「…うん」
「全く、そもそもどうせ周りの世話ばっか焼いてたから風邪なんて引いたんでしょ」
「…別に」
「それは止めないし、みつ夫のそういうとこ好きだけどさ。せめて私には世話焼かせてよね」
「…連絡しなかったこと、怒ってる?」
「怒ってない」
「ごめん」
「怒ってないってば。もう、ご飯出来たら持ってくから横になってて」
「うん」


みつ夫がのそのそとベッドに向かって歩いて行くのを背中で感じつつ、私は帰りにスーパーで買ってきた食材その他諸々の入った袋を持ってキッチンに立った。そうして、買ってきたものを冷蔵庫に仕舞いながら、自分の気持ちと行動も同時に整理をする。

(連絡しなかったこと、怒ってる?)

…確かに、今のじゃあまるで怒っているようだ。本当に怒ってなんていないのに。どうしてあんな咎めるような口調になってしまったのか。ぱたりと冷蔵庫を閉め、それからお米を御釜に二人分、ざらざらと入れる。
それはきっと、みつ夫のことが心配だったからだ。心配なのに、兎原から連絡が来なかったらみつ夫が風邪引いたことすら知らなかっただろうことが寂しくて、みつ夫が私を頼ってくれなかったことが寂しかったからだ。それで、怒ってないけど、全然怒ってはいないのだけど、あんな口調に無意識のうちになってしまったのだ。
お米をざくざくと研いで、その研ぎ汁を流す。この行為はもう三度目で、流した水の白い濁りは大分薄まってきていた。私はたった今研いだお米を炊飯器にセットし炊飯のスイッチを押してから、そろそろとみつ夫の元に向かった。みつ夫は私に言われた通り横になっていたが、眠ってはいなかった。


「みつ夫、」
「…出来た?」
「…あとご飯炊けたら、もうすぐ出来るよ」
「そっか」
「うん。…あの、ごめんね、さっき」
「何が?」
「怒ってるみたいな言い方しちゃって」
「ああ。…気にしてたの?」
「そりゃあ、ね」


みつ夫は、私が謝ったことに対して意外そうな表情を見せたかと思うと、次の瞬間には「ははっ」と声に出して笑った。


「…なんで笑うのよ」
「いや、ごめん。素直だなと思って」
「…」
「俺の方こそ、ごめん。もし逆の立場でなまえが連絡くれなくて、なまえが風邪引いてたことすら俺は知らなかった、ってなったら、それは少し寂しいかもなって思った」
「…」
「来てくれて、ありがとう」
「…なによ、なんで風邪引いて声ガビッガビの時に限ってそんな饒舌なの」
「…熱があるからかもな」
「熱あるんじゃない!!もう!!」


私は、感極まったのか恥ずかしくなったのか、最早自分でもよく分からないが、湧き上がる何かしらの感情に耐えきれなくなって、みつ夫のベッドの縁に勢いよく突っ伏した。みつ夫は「そんな近くにいるとうつるぞ」と言いながら、いつもより少し熱っぽい手を私の頭の上に置いた。

炊飯器の、お米が炊けたことを知らせる音が、ピーピーと、静かな部屋に鳴った。


/20180506