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「おーい高尾ビール追加ァ」

「へーい、すんませーん店員サーン」



彼はよく周囲を見ていて、とっても気が利く。が、ゆえに、こういった飲み会ではいつもお酒を注いだり追加の注文をしたり、はたまた酔い潰れた奴の介抱をしていたりする。



「あ、みょうじさん次何飲みます?」



そして高尾はまた新たに注文を終えた後、目ざとく私のグラスがもうじき空になるのを見つけた。本当すごいなこいつ。センサーでもついてんのか。高尾は愛想のよい笑顔を浮かべながら空いていた私の正面に屈んだ。腰を下ろさないのは、またすぐに立つつもりだからであろう。



「…」

「みょうじさん?」

「高尾ってお酒飲めないの?」

「へ?」



高尾は目をぱちくりとさせる。だって、高尾がお酒を飲んでいるの、乾杯直後の最初の一口しかいつも見ないから。苦手なのかなって。そう思ったのだ。それならば、飲み会の場であくせく働いているのも頷ける。



「…いやいや、俺結構いけるクチっすよ」



しかし、高尾は私の予想とは大きく外れた回答をした。三白眼のつり目に、挑戦的な笑み。「後輩らしい」動き方をするわりには、物怖じも全くしない。高尾はそういう奴だ。
今思えば、私も少し酔いが回り始めていたのかもしれない。この、ちょっとナマイキだけど誰からも可愛がられるよく出来た後輩が、お酒を飲むところが見たい。この高尾がお酒を飲んだらどうなるのか、見てみたい。そんな好奇心が芽生えてしまったのだ。



「高尾、もう今日は働かなくてよろしい。私と飲もう」

「あちゃー、先輩命令ときたらしょうがないっすね」



それでいて、付き合いも良いときた。こいつ、ほんとにすごいな。高尾はついに私の正面に腰を下ろし「すんません、生2つ追加で」と片手を挙げた。「いやあでもみょうじさんも大分飲めますよね?」と目を細める後輩を前に、「お手柔らかに」と私も負けじと笑って見せた。

しかし、この自分の好奇心と、後輩の言葉と表情に甘えた結果、私はすぐに罪悪感に苛まれることとなった。一杯目は勢いも良かったものの、二杯目からペースが急激に落ち始め、三杯目に手をつけた頃には、ジョッキの半分を残して、高尾の身体は弛緩しきってしまっていた。ぐったりと高尾はテーブルに上体を預けており、組んだ腕から覗く顔は気だるげで、目は閉じかかっている。
やってしまった、と私は思った。完全に潰れてしまった後輩を前に、私の酔いも完全に醒めてしまった。近くの同期が「アーララ、高尾潰れた?こいつ酒弱かったんだな」と首と口を突っ込んできて、私は頭を抱えた。なんて嫌な先輩なのだろう私は。高尾はあの時、強がって見せただけだったのかもしれない。それとも、先輩である私の誘いを断れなかったのかもしれない。だって、高尾が自分のペースを把握してないなんて考えにくい。…え、これって軽くアルハラになる、のでは?



「…私、高尾送ってくわ。家この辺だったよね?」



スマホで、タクシー会社のホームページを探しながら、今さっき首を突っ込んできた同期に尋ねた。赤い顔をした同期は、私の質問に答えるついでに、もう殆ど眠ってしまっている高尾に「捕まったのが責任感ある先輩でまだよかったな」と茶化したので、その額を小突いてやった。

店の外にタクシーを呼んだ私は、自分のかばんと高尾のリュックを持って、店を出た。何人かに高尾をタクシーに押し込めるのを手伝ってもらい、運転手に高尾の住む家の住所を告げた。エンジンのかかる音がして、ゆっくりと車体が動く。見慣れた大学付近の景色が窓の外を流れていった。



「…高尾、起きてる?」

「うーん、なんとか…」



高尾はもう目も開けられない癖に、僅かに唇を動かして答えた。意識は気合いで何とか繋いでいるのが実に高尾らしい。
運転手が「もうそろそろ着きますよ」と丁寧に教えてくれた。店から高尾の家までは、車で10分もかからなかった。
タクシーが止まって、私が下りた後、高尾はこれまた気合いで降りてきた。私は高尾がふらつくのを少し支えるだけで良かった。こんなになっても、本当に、高尾は高尾らしい。



「高尾、鍵どこ」

「ええっと…リュックの、ポケットっす…右の…」



言われた通り、高尾のリュックの右ポケットを漁れば、家の鍵が出てきた。高尾は私に体重の半分を預けながら、「すんません」と言った。
鍵穴に鍵を差し込む。かちゃりと音がして、扉が開いた。「今日はごめんね」、高尾にそう言おうとした。しかし「今日はご」まで行ったところで、再びかちゃりという音に遮られる。振り返るとそれは、高尾が鍵を内側から閉めた音だった。高尾はいつの間にか一人で、しっかりと立っていた。



「結構いけるクチって言いましたよね?俺」



高尾は私を壁際に追い詰め、両手を壁に付いて近距離でそう囁いた。さっきまでの気だるさはどこへ飛んでいってしまったのか、その鋭い目は愉しそうに細められている。
漸く気付いた。この男は、始めっからこれっぽっちも酔ってなどいなかったのだ。
高尾は口元に弧をつくり、それから首筋にかぷりと噛み付いてきた。甘い痛みが走る。



「…お手柔らかに」



あの好奇心が運の尽き。そう私は諦めて、彼に身体を預けることにした。



深淵の矛盾
* * *
20170822

昨日ついったで回ってきたネタを高尾バージョンで思わず書いてしまった