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それは柳先輩とダブルスを組んで練習している日のことだった。柳先輩は頭がいい。ただ頭がいいだけなら他にも沢山いるが、柳先輩は、幸村部長みたいに相手に有無を言わせずどうこうしたりしないし、真田副部長みたいに頑固で融通がきかなかったりもしないし、柳生先輩みたいに一般コースから言動が外れていたりもしない。ちょっとした悩みをきいてもらうなら、俺はいつも柳先輩を選んでいた。だから、今日もいつものように、休憩時間に柳先輩に話かける。



「柳先輩もーきいてくださいよ」

「どうした赤也」

「ウチのクラスにいるみょうじって女知ってるでしょ」

「みょうじなまえか、勿論知っている。確か今は赤也の隣の席だったか」

「さっすが柳先輩、そうなんすよ。で、そのみょうじがもうなんかおっさんみたいなくしゃみするんすよ。ありえなくないすか、女子がブエックショーイって」



俺は、その日の休み時間に隣の席から聞こえてきた驚愕のくしゃみを思い出しながら、柳先輩に悩み(というか今日の場合は愚痴か)を零す。いやあれはマジで無いわ。
柳先輩は俺の話を一通り聞いたあと、いつもありがたいアドバイスをくれるが、それは今日のような愚痴でも変わらないようで、俺は柳先輩の唇から落ちる言葉に耳を傾けた。



「赤也、そういう時は自分の上着でも脱いで彼女の肩にかけてやるといい」

「はあ?どういうことすかそれ」

「百聞は一見に如かず、だ。今度みょうじさんがおっさんのようなくしゃみをしたら実行してみろ」



*



翌日、俺は自席に腰をかけ、つまらない数学の授業を受けていた。なんだよ一次関数って。予選かよ。そんなものには一切興味が湧かず、机に突っ伏してそのまま左を向けば、みょうじが頬杖を突きながら何かをノートに書いていた。まさかこいつ数学分かるのかと思って身体を起こし、やや乗り出してみょうじの手元を覗きこめば一人で○×ゲームをやっているだけだった。バカだこいつ。
そう呆れたところで、チャイムが鳴った。みんながバタバタと教科書類を机の中に押し込む。休み時間だ。俺もぐっと伸びをする。



「ぶえっくしょーい」



そう固まった筋肉を伸ばしていた時だった。また、あのゴーカイなくしゃみをみょうじは放った。いや、本当マジでありえねえなこいつ。
いつもの俺ならば「お前マジでありえねえな、おっさんかよ」と思ったことをそのまま口にしたであろう。しかし、今日の俺には柳先輩からの入れ知恵がある。ひゃくぶんはナントカ。俺は柳先輩のアドバイスを試してみることにした。



「…みょうじ、」

「あー…、なに切原」



声を掛ければ、みょうじはくしゃみを放ったあとの鼻が少し赤いぶっさいくな表情をこちらに向けた。



「…ん」

「…なにこれ」

「寒いんだろ、使えよ」



柳先輩に言われた通り、自分のジャケットを隣の席のみょうじにかけてみた。さあ、何が起こる。



「…」

「…」

「誰に教わったの」

「え、部活の先輩だけど」

「…切原くん、身の丈にあった行動というものがあってだな」



みょうじは自分の肩にかけられた俺のジャケットを数秒見つめたあと、俺を数秒見つめて、こう言った。いや全然可愛くねえなこいつ。全っ然可愛くねえ。
大体ひゃくぶんはナントカじゃねえのかよ柳先輩も。今日部活で文句言ってやる。



「けっ」

「いいよ無理すんなよ、切原はそのままでいいって」

「お前俺のことバカにしてんだろ」

「めっちゃしてる」

「くたばれ」

「だって意味も分からずこういうことしてるの見え見えなんだもん」

「意味分かってなくねえし、寒いだろうと思って貸してやったんじゃねえか」

「そういう機能面の話じゃないの」

「はあ?意味分かんね」

「ばーか」

「あ?」



いや本当何度でも言うけどマジでこいつありえねえな。なんでこんな可愛さの欠片もねえの?
みょうじはそれから肩にかかった俺のジャケットに手と視線を遣ったあと、また俺の方に視線を戻してそのまま自分の机に上体を預けた。



「…不自然過ぎて面白かったんだけどね、でもこの上着から切原の匂いがするのはちょっとどきっとしたかな、なーんてね」



先程までの態度とは一転、ありがと、と付け足してみょうじは笑った。頬をほんの少し赤らめてはにかむその表情が、不意打ち過ぎてちょっと可愛いとか思ってしまった、これが柳先輩の言ってたひゃくぶんナントカなのだろうか。
ってか俺の匂いって。なんだなんだ。え?

…ちょっとこれは今日も柳先輩に相談だ。




百聞は一見に如かず
* * *
20170807