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「うおおっ…とあぶない」

「…」



都心を走るやや満員電車の中。乗車している人間全員分の吊り革は無いが、微妙に人間間にスペースのある、確かに一番不安定な態勢になりやすい状況ではあった。とはいえ、先ほどから見ていると、みょうじさんはこの電車の揺れに翻弄され過ぎだ。少し電車が予期せぬ揺れ方をしただけでバランスを崩し、なんとか踏みとどまろうと毎度頑張ってはいるものの、その努力も虚しく近くの人にぶつかり謝ることもあった。
この人と電車に乗ってから、見ていられないポイントはこれだけではない。駅に電車が到着し、人の乗り降りの波が生まれる度に、また「うおー」とか何とかアホみたいな声を上げて、溺れかかっている。どうしてだ。この人毎日電車通学しているんじゃないのか。



「…日吉、あとどれくらい?」

「あと3駅ですね」

「くっそあと3駅も…」



みょうじさんは眉間に皺を寄せ、苦悩を滲ませる。正直、バカじゃないのかと思う。
そんな中、みょうじさんを更に追い詰めるかの如く、電車は軽くブレーキをかけた。人間という人間に今まで散々もみくちゃにされた結果、座席に背を向ける形で立っていたみょうじさんはいとも簡単に、そしてあろうことか後ろへとバランスを崩した。みょうじさんの目が見開かれる。俺は咄嗟に、これから起こるであろう事態を回避すべくみょうじさんの腕を掴み引き寄せた。



「…ったく何をやっているんですかあなたは」



みょうじさんの重心は、思った以上に簡単に此方へと移った。座席に腰を下ろしている人たちへ行く筈であった被害は、幾分か規模を縮小させて俺へ回って来た。
どうしてこんなに重心がフラッフラなのか。この人は本当に立つ気があるのか。一応先輩とはいえ、呆れは隠せなかった。



「…ありがとう」

「いえ別に」

「日吉は色んな意味で気持ちが良いほど先輩見下すね」



みょうじさんは俺に顔面から衝突してきた態勢から、俺の上着を掴みつつ此方を見上げ、居心地が悪そうに言った。



「ごめんて、ちゃんと立つって」



みょうじさんは反省したような表情を見せて、俺から離れ、またひとり立ちをした。
散々みょうじさんを弄んだ電車は、やがてゆるゆるとスピードを落とし、次の駅へと到着する。扉が開けば、その扉を目がけて我先にと、人がどっと出ていく。みょうじさんはつい先ほど「ちゃんと立つ」なんて言った側から、目の前でまたもみくちゃにされて流されていく。俺はこれ見よがしに溜め息をついた。



「もういいですから、俺に掴まっててください」



どこぞのサラリーマンが背中に背負ったリュックにガンガンと小突かれているみょうじさんの腕を再び引っ掴み、自分のすぐ側へと寄せる。みょうじさんはやはりいとも簡単に俺の元に流れてきた。本当に、危なっかしいことこの上ない。



「…日吉は逞しいねえ」

「みょうじさんが電車に慣れてなさ過ぎるんですよ、跡部さんでもあるまいし。毎日電車通学してるんじゃないんですか」

「だからごめんて」

「…もういいですよ、あと2駅ですからいい加減大人しくしててください」

「…日吉のそういうなんだかんだ優しいところ、私好きだよ」

「…はあ?」



人の腕に捕まって、再び動き出した電車にふらふらと揺らされているみょうじさんを見下ろす。しかしみょうじさんは機嫌が良さそうに「んーん、何でもない」と、先ほどの発言を取り消す発言をした。




踏切越えて




電車の揺れに合わせて、右腕に引っ張られるような柔らかな刺激が走るのを感じながら、悶々と考える。
先ほどまで優位に立っていたのは俺の筈なのに、というか今だって俺の方が優位に立っている筈なのに、どうして突然俺の方が居心地が悪くなるのか。
全く腑に落ちない。これだから先輩なんていう人種は苦手なんだ。



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20170806