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何故、どいつもこいつも、こんなにも共通の感情を燻らせているのか。遺伝子に組み込まれているとでも言うのか。

日もとっくに落ちた夜の十時、月の淡い光と夏の匂いを感じながら歩く夜道は、そんな考えをより増長させた。それを頭の隅になんとか追いやろうと苦闘しつつ、俯き気味に隣を歩くみょうじに視線を落とす。ゆっくりとした呼吸が感じ取れそうな程、みょうじは妙に落ち着いているように見えた。




高校時代、三年間同じクラスだったみょうじは、学部は違えど、今同じ大学に通っている。何の腐れ縁かと言いたいところだが、残念ながら昔も今も、そんな大層な言葉を使えるほど親しい仲ではない。連絡先すら知らず、広いキャンパスで偶々出会すなんてこともなく、大体みょうじが同じ大学にいると知ったのも、新生活を始めてから暫くして送られてきた高校の同窓会報からだ。進学実績の頁、俺の名前の隣に、みょうじの名前が並んでいるのを見つけた。

それから二年近く、遠目に姿を見つけることはあってもすれ違うことはなく、だからどうということもなく、順調に単位を取得しながら気づけば俺は三年になっていた。一年の時よりも授業は減っていくのに反比例し、何故かレポートの量は増えていく。教授の指定した本を読んで埋めるレポートなんかは、如何にも必修科目がやりそうなことで非常に面倒臭い。が、そんなことに文句を垂れたところで片付けなければいけないことに変わりはなく、今日は四限終わりから大学図書館に今の今まで籠っていたのだ。



「…ふう」



流石に、少し疲れた。溜め息を一つ溢す。
見上げれば、月が雲に丁度覆われて、灯りがぼんやりと霞んだ。それは人の手で作られた街灯の灯りとあまり大差を感じられない。

時間は、待ってくれはしない。俺がどう生きようと、どう後悔しようと、なんの感情もなく流れていってしまう。知っていた筈のこの世界の常識を、最近になって強く実感するようになってきていた。

もう一度溜め息を吐き出そうかとした時だった。



「宮地くん…だよね?」



鈴のような声が、鼓膜を揺らした。



「…みょうじ、」



俺を呼び止めたのは、高校卒業以来、遠目に数度見ただけの、あいつだった。

目を見開き、心臓を跳ねさせ、突然の出来事に俺は驚いていた。こんなに面と向かって顔を合わせたのはいつぶりだろうか。みょうじは、俺の記憶とは違い薄く化粧を施していて、俺の記憶よりも少し大人びていて、純粋に、綺麗だと思った。



「良かった、わたしのこと覚えててくれたんだ」



みょうじは安堵したように微笑んだ。その表情に、高校時代の制服を着たみょうじが重なる。身体の芯にある固まった何かが熔けていくような感覚がした。



「んな鳥頭じゃねえよ」

「そっか、…じゃあ、今度から見かけたら声かけても大丈夫だね。今まで大学で宮地くん見つけても、認識されてなかったらどうしようとか思ってて」

「…ハッ、なんだそれ」



言いながら、口角が上がって歯が覗き、目が細まったのを自分でも感じた。数年ぶりのみょうじの、それも俺に向けられている言葉に、胸の辺りがじわりと温かくなる。みょうじの意識に自分が存在していたということも、俺の中に温かく広がった。



「…今帰り?」

「ああ」

「遅いんだね」

「…みょうじこそ、今大学出るとか遅すぎんじゃねーの」

「ええ、まだ十時だよ?」

「オイ言ってること矛盾してんぞ、この辺高校ん時と違って街灯少ねえんだし…特にお前、…いや、とにかくもっと用心しろよ」



特にお前は女なんだから、と言いかけて、止めた。みょうじを女だと自分の口から判を押してしまうことが何故だか躊躇われた。少し不自然になってしまった俺の物言いにみょうじは多少不思議そうな表情を見せるも、そこまで気にする様子も無く「だって、夜の方が気持ちいいから、つい」などと呑気な答えを返してきた。こいつの性格は相変わらずの温さで、思わず溜め息が出た。

会話が途切れる。街灯の少ない夜十時のコンクリートの道の上はそこそこ暗い。みょうじに視線を落とせば、うっすらと口許が弧を描いている気がした。会話が無くなったことに特に不都合は感じていないようだ。それどころか、この薄明かりで満ちた空気感を楽しんでいるように見えた。
夜風が、頬と、半袖から伸びる腕を撫でた。夏の匂いが鼻孔を擽る。その風は確かに心地好かった。



最近よく耳にする、周りの「寂しい」という言葉。どいつもこいつも、その寂しさを紛らわすように騒いで、安易にくっついて、直ぐに離れる。そんなループする一連の行動が、俺にはどうにも情けなく思えた。
しかし、俺だって確かに「もし隣に誰かいてくらたら」なんて考えてしまうことは少なからずあって、それが奴等と違わぬ「寂しい」という感情であるという理解もしていた。

もう一度隣に視線を落とせば、みょうじの穏やかな呼吸が感じ取れるようだった。月明かりに照らされる白い腕、首筋。みょうじが好むという空気の中、俺の心臓は感情を抑え込むようにとくとくと脈打っていた。

高校の時からみょうじを意識していたのかもしれない。けれど、それは今の俺の寂しさが勝手に作り出した過去の感情の様にも思える。短時間の間にじわりじわりと芯を持ち始めたこの気持ちは、俺が軽蔑しているものと同じ類の感情なのではないか。

暫くすれば、きっと治まる。みょうじの隣をゆっくりと歩いたこの日を、なんてことなかったなと思える日が、直ぐにやって来る。

ふとみょうじが顔を上げ、目が合った。




シングルベッド・プレビュー




俺の独りよがりの寂しさにみょうじを巻き込むなんて情けない真似、出来る訳がない。

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20140729