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いちご牛乳、カフェオレ、ココア、オレンジジュース…



「うーむ…これは困った」



自販機に小銭を入れてもう五分は経ったであろうか。 未だわたしは昼食のお供を決めかねていた。 早くしないと自販機が待ちくたびれて小銭を吐き出してしまう。




こちらネバーランド、応答せよ




わたしの中でのレギュラードリンクは四種類。だから金曜日は毎週こうやって自販機の前で頭を悩ますことになる。だって四本とも月曜から木曜の間に既に一度は登板しているのだ。金曜日は必然的にダブることとなる訳で、週の最後にもう一度購入されたジュースは差詰めMVPにでも選ばれた気分になるであろう。選ぶ側としても軽々しくその赤く光るボタンは押せない。わたしは直感と理論とのバランスに気をつけながら、再び左端下段のいちご牛乳から一つずつ、注意深く視線を右にずらしていく。



「…よし、君に決め」

「おっせえ」



がこん。悩みに悩み抜いて漸く結論を出し、さあ目当てのボタンに手を伸ばした、しかしまだ押してはいない、押す直前に、その音は響いた。勿論紙パック飲料を自販機が産み落とした音だ。しかしもう一度言うがわたしはまだボタンを押していない。
視界右上端に映る細長い指と、背後から聞こえてきた聞き覚えのある声。考えるまでもなく、そいつが犯人だ。わたしはその紙パック飲料を少し屈んで取り出す。それはレギュラー入りどころかベンチにも入っていない、牛乳。



「…」



ちゃりんちゃりん。牛乳パックに印刷された可愛くない牛を見つめ黙るわたしのことなんか気にもかけず、影山は自販機に小銭を入れた。

がこん。



「…」



しかし影山が目当てのボタンを押すより早く、わたしの指が別のボタンに触れた。訪れるべくして訪れた沈黙に空気を読むことを知らない小鳥がちゅんちゅんと割って入る。影山は少しの間固まってから、先程のわたしと同じように屈んで紙パック飲料を取り出した。



「…てめえ」



そして影山はパッケージを見つめた後、地を這うような低い声でぎろりとわたしを睨んだ。



「なーに?」



牛乳にストローをぷすりと差し込みながらわたしは答えてやる。背が高くて目付きが悪くて、その癖丸い輪郭が最早テンプレと化した表情でわたしを見下ろしてくる。…うえ、まず。勢いで口を付けたもののやっぱ牛乳は好きじゃない。



「俺は牛乳を買いに来たんだよ」

「それも牛乳じゃん」

「いちご牛乳は牛乳じゃねえ」

「いちご牛乳でもいいじゃん、本当はわたしがそれ飲みたかったのになあ?誰かさんのせいでさあ?」



依然こちらを睨み続ける影山の頭のてっぺんからは苛々という文字がにょろにょろと流出し続けている。その手にあるピンク色の可愛らしいパッケージはそんな彼には実に不釣り合いで、実に間抜けだ。もう一度勢いで牛乳に口を付ければやはり美味しくない味が広がる。影山は舌打ちを一つしてから、わたしと視線を漸く逸らし、いちご牛乳にストローをぶすりと差し込んだ。



「こんなん飲めるか!!」



そして怒った。仕方なく教室に戻ろうとしたのだろう、納得いかねえ、といった様子でわたしに背を向けたのがつい二秒程前。すぐに眉間に皺を刻んだ丸顔は戻ってきた。



「甘!!」

「そりゃそうでしょそれ牛乳じゃなくていちご牛乳だからね」

「フザけんな!!」

「影山くん横暴」



一言言い返してみれば分かりやすくぴきりと表情が歪む。ちょっとこの人単細胞にも程があるでしょう大丈夫だろうか。そう本気で眼前の男を心配していると、突然、影山は一度表情を落として、それから真っ直ぐわたしの手の中にある牛乳をじっと見つめた。その黒い瞳には間抜けにも、可愛くない牛が映し出されている。



「…おい、分かったぞ」

「…は?何が」

「寄越せ」



真剣な面持ちで、影山は言った。その日本語、ジャイアン以外で使う人初めて見た、とか言う雰囲気ではなかった。影山は真剣なのだ。



「で、やる」



影山はわたしから牛乳を奪い取った後、代わりにいちご牛乳を押し付けた。大して中身が無くなっていないのに手荒く扱うものだから、中身が少し吹き出してしまっている。



「最初っからこうすりゃ良かったんだよお前も少しは頭使えバカ」



そう勝ち誇ったように言い放ち影山は勢いよく牛乳に口を付けた。それを見て、少なくとも影山よりはバカでないと自負しているわたしは、ほんの少しだけ頬に熱が集まるのを感じた。



「…バカはどっち、」

「あ?」



この反応の差。何だか悔しくて、意を決してわたしも勢いよくいちご牛乳に口を付けた。そうそうこれこれ。わたしが飲みたかったのはこの味。ぷはあとストローから口を離し、男らしく手の甲で唇を拭って影山ともう一度目を合わせる。



「…」



すると、そこには耳まで真っ赤になった丸顔があった。影山はわたしと視線が合った瞬間すぐに顔を逸らした。え、そういう反応しちゃう?



「…バカならバカで最後まで貫いてよ」

「…悪い」



影山は小さな声でそう告げてから黙ってしまった。え、ここは「うるせえー」って叫びまくるところじゃないの影山くんよ。
出来れば訪れないでいて欲しかった沈黙に空気を読むことを知らない小鳥がちゅんちゅんと割って入る。わたしがうるせえと叫びたいくらいだ。

さて、眼前の真っ赤な単細胞も、わたしのうるせえ心臓も、今後の身の振り方も、一体どうしたものだろうか。誰かバカなわたしたちに教えていただきたい。



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2014.05.18