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この本棚は、一体誰を基準にして作られたのだろうか。天皇陛下?総理大臣?
最上段で悠々と構えて見下ろしてくる本たちを睨みながら私は考える。全く、マンションの住人といい本棚の住人といい、高ければ高いほどセレブみたいな考え、改めた方が良いと思うよ。もっと言うと、高級マンションでの話ならまだしも、地方の一公立高校内にある図書室本棚でその態度は、寧ろ恥ずかしいよ。ねえ聞こえてる?…なんて。




耳鳴りもしない森




私の身長はごくごく平均的だ。それなのに、最上階に住むあの本を手に取ることが出来ない。背表紙に指は触れるのに、本は少し動くのに、どうしても私の手の中に収まってくれないのである。そろそろ右肩と首が痛くなってきた。どうせなら、天井高くまで本を積み上げて、脚立を用意してくれれば良かったのに。どうしてウチの図書室の造りはこうもどかしいものに仕上がっているのか。届きそうで届かないなんて、悔しい。



「くっそーう、伸びろ私の腕っ、あ、嘘、やっぱ脚がいいっ、脚っ伸びろっ」

「…ねえ、小声だったら何言っても良いとか思ってんの?」



びくりと肩が揺れる。本棚に張り付いたままそっと後ろを振り返ると、月島くんが呆れ顔で立っていた。でも、月島くんは見る度に呆れたような表情をしているから、元々こういう顔の人なのかもしれない。…と、いうか。



「大きいねー…」

「…は?」



間近で見ると彼はすらりと大きい。確か、月島くんの側近みたいな人が「ツッキーは190センチ近くあるんだぜ!」と定期的に自慢して回っていた。うーんなるほどツッキー。



「…あのさ、此処、図書室。静かにするのは勿論だけど、加えてもう少し知的にして貰えるかな。たとえ小声でもバカ語は此処では目立つんだよね」

「それよりツッキーあの本とってくんない」

「…」



私はあと少しのところで手が届かない高嶺の本を指差して月島くんに訴えかける。あからさまに嫌そうな表情をされるが、月島くんは元々こういう顔をしてるから関係ない。



「嫌だね」

「…なんで!?」

「どうして僕が」

「背が高いから」

「…脚伸ばせば届くんでしょ」

「無理だよ伸びる訳ないじゃん」

「…」



黙ってしまった月島くんに、私は言葉ではなく目で訴えかける、「頼むあの本とってくれ」。月島くんは何を考えているのかは分からないが、私を黙って見下ろしている。視線が絡んで暫しの沈黙。
そして月島くんは動いた。くるりと私に背を向けて「まあ精々頑張って」と言って、ひらひらと手のひらを振った。



「…」



マンション、本棚、それに加えて身長。高ければ高いほど偉いみたいな、そういう考え、良くないと思うんだよね。私はその本棚の前に、再び一人立ち尽くす。目当ての本は、相変わらず余裕の表情で最上段にその身を置いているように見える。しかし、ここで諦めてはいけない。あの本にそこまで執着があるのかと問われれば、正直全くそんなことはない。けれど、此処まで虚仮にされて、黙って引き下がれるほど大人でもない。私は、今こそ全庶民を代表して立ち上がらなければならないのだ。



「…っ」



渾身の祈りと願いを込めて、もう一度右手を上へと伸ばす。届け、届け。そして私の手の中に降りて来い。本の背表紙に指が触れる。あともう少し。爪先に力を入れてぐぐっ、と本を掴もうと指を動かす。その時、
(捉えた!)
親指と中指が本を掴んだ感触。先程まで最上段で胡坐を掻いていた本が手の中に滑り落ちてくる感覚。しかし。



「…え、」



その本は余程プライドが高かったらしい。タダでは降りてかねえよ、とでも言うかのように、周りの本を道ずれにしてきた。
このままだと本の雨を被ることになる、やばい。私の防衛本能が申し訳程度に身体を縮こまらせた。



「…」



ばさばさという音が耳に届く。しかし予想していた痛みは降りてこない。その代わりに肩には優しい感触。
思わず閉じてしまっていた目を恐る恐る開けてみれば、薄情者の月島くんが左腕を掲げていた。右腕は、私の肩に回されていた。この優しい感触の正体は、薄情者の月島くんだったのだ。



「…何してんの」



月島くんは呆れたような表情で、私を見下ろした。その言葉そっくりそのままお返しします、と言いたいところだったが、何故か声にならない。



「…全く、ハイ、目当ての本」



ため息を一つ零した後、月島くんは本を一冊拾い上げて私に押し付けるように手渡した。



「落ちた本は自分で元あったところに戻しておいてね、って言いたいところだけど…どうせ届かないんでしょ」

「…どうして、」

「…」



やっと声になった言葉は、相手にも、自分にさえも伝わらない。どうして、の後に続けたい言葉が多すぎて、一つも出て来ない。そんな私を見て月島くんはただ「そこの本拾って、仕舞ってあげるから」と、あまり抑揚を付けずに言った。




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2014.04.07