- ナノ -

届いた手は絡みつく愛

※オーバードーズ描写あり
※薬は必ず用法用量を守って安全に服用してね

 特に何も言うことはないけれど、それは何も感じないわけではない。例えば、アズールの横でウツボ君たちに挟まれながらビクビクして苦笑いしている彼にとか。モヤモヤした気持ちはあるけれど、大したことじゃない。そう、大したことじゃない。視線を外せばいつもと同じちっぽけな一つだ。


『お前も僕に力をよこせェ!よこせよ!』

 画面の中で不気味な何かを背負って黒い液体をばらまきながら叫ぶアズールと、画面の端には腐れ縁の尻拭いをする二人と魔獣を連れた少年。呆然と何度もその数秒の動画を繰り返す。曲がりなりにも恋人なのだから、なんて自負がどこかにあって、それに応えるようにアズールは甘えてくれたりしてくれていた、と思っていた。やるせない。俺はアズールの一つの居場所だと思っていた、はずだった。

「帰ったぞ。ナマエ?どうかしたのか」
「シルバー、お帰り〜。なんでもないよ。そういえば、アイツ寮長に交渉して一人部屋いったんだっけ……忘れてた」
「あぁ。レイドか。マレウス様に一人部屋をもらうためにプレゼンまで用意していたからな」
「あの情熱が勉強にも向けばいいのになぁ」

 スリープモードにしたスマホを枕元におけば、「これ、どうしたんだ?」とくすり袋を手渡される。床に落ちていたらしい。

「あぁありがと。いや、最近寝付きが悪くてさ。すーーーーごい弱い睡眠薬ってか、導入剤?みたいなの保険医さんにもらったんだよね」
「む、羨ましいな。俺の眠気が固形になればわけてやれるのにな」
「良い商売になりそうだな〜。ま、そう気に病むなって。それも含めてシルバーの良いところだろ?」

 向かい合わせのベッドで顔を合わせると、なにか考えるように斜め上を見て「お前はそういうやつだったな」と一人納得している。解決したならいいかと、俺はベッドのそばにあるお菓子袋に手を突っ込んだ。栄養価もあってしかもおいしい黄色い箱のアレが今日の夕御飯。シルバーがなにか言っているけれど、まともなご飯を食べる気分じゃない。聞こえないふりをして寝そべった。頭に響くアズールの小言が嫌に懐かしかった。

 特に避けているわけではないけれど、ラウンジでバイトをしているわけではない俺は、勉強なり、雑務の手伝いなり、同じ授業で一緒に移動したりなどで時間を作らなければアズールとは話さない。こんなときに限ってアズールの隣はもう先約がいて、そしらぬふりを貫き通す。「僕と交際しているとなると、危害が加わるでしょう」と言われ、それもそうかと思い誰にも話せず、かといって友だちの話だけど、なんて器用な真似も出来ないので同室のシルバーにも話していない。占星術の授業中、隣の席のサバナクローの奴とペアを組んで互いを占い合うと、意地の悪そうに瞳を歪める。

「へぇ、お前面白い結果がでてるぜ。言っとくが俺の占いは当たるぞ」
「もったいぶらずに教えてくれよ」
「”遠ざかる者有り。手は届かず”だとよ。彼女じゃなきゃあいいな?」
「ご親切にどーも。君の占いも随分良さそうだよ」

 遠ざかるのは、俺か、アズールか、どちらなのだろうか。


 とある噂を聞いた。アズールとうつぼくん達とハーツラビュルの子達とアトランティカ博物館へ行ったらしいという、真偽不明の噂。しかもこれには続きがある。小さい頃のアズールが写った写真があるとかなんとか。……置いていかれる寂しさっていうものは、きっとこういう気持ちを言うのだろう。しかし、俺は寮も違うから誘われないのもしょうがない。近づきがたいと他の生徒からのお墨付きのディアソムニア寮生なのだからと言い聞かせた。
 でも、消しても消しても、言いようのない寂しさの波が打ち寄せてきて、手にもったスマホを形も残らないほど壊したくなる。きっとこんなものがあるから、余計なことを考える。電源を落として引き出しにしまった。


 アズールと二人で話す時間がないままウィンターホリデーが来た。何も言えないまま、実家に帰ってきた。スマホは寮に忘れてきてしまった。それでも、特に不自由しない。強いて言うなら、ソシャゲが出来ないくらいだ。スマホがないと、自由で、気が楽で、どうしようもなく寂しい。アズールの簡潔なメッセージが、ラウンジの締め作業中だという声が、懐かしい。

「時を忘れ、意識は遠く、ここではないどこかへ。”夢の中で生きていたい”」
『おや、随分久しぶりですね。僕と勉強をしなくなってからの小テストは心もとないでしょう?』

 あぁ、アズール。君は背中がもう見えないほど遠くまで歩いて行ってしまった



 新学期が始まり、スカラビア寮生たちがいやにざわついていた。なんでも、副寮長であるジャミル君がオーバーブロットしたらしい。そうかそうか、強化合宿に加えて大変なウィンターホリデーを過ごしていたんだな。一人納得しながら鏡舎から校舎へ歩く途中、監督生たちが歩く。アズールと、肩を並べるジャミル君がいて反対側にはウツボくんが居て、俺を占ってくれたサバナクロー生を心の底から褒めちぎった。出来ないなりに息を潜めて、不自然にならないようにコースをずらす。俺は人生で初めて授業をサボった。何も、始業式の日でなくてもいいのになと自分でも思う。
 そうはいっても行き先は寮しかない。もらった安定剤を5粒ほど飲み込んだ。用法用量を破ったのも今日が初めてだ。ベッドに座っていると、だんだん手を握れなくなってきて、身体が重くなってきて、制服を脱ぐことも出来ずに目を閉じた。もう何も考えられなかった。


「ナマエ、ナマエ」
「だ、れ…すごく、ねむいんだ……おきたくない……」
「駄目です。起きて、僕の顔をしっかり見てください」

 一瞬、死んでいるのかと、思ってしまった。イデアさんよりも血色が悪く、取りこぼした薬袋があるベッドの足元、顔が安らかだった。ぐずる彼を起こすと「おれ、ゆにーくまほうかけたんだっけ」と光のない瞳が笑う。僕は、彼が”物分りの良い少年”だということをすっかり忘れてしまっていた。その結果がこの薬袋だった。

「意識ははっきりしてますか?」
「ぅ、ん、あぁ、ここは、寮。なんで、アズールが、シルバーとみまちがえてる」
「いえ、僕はアズールで間違い有りません」
「じゅぎょ、行きなよ。優等生なんだから」
「……もう放課後です。貴方ずっと眠っていたんですよ。僕が今起こすこの瞬間まで」

 ヘラりと笑う一人を好む寂しがりやに苛立ちと呆れと執着がない混ぜになって抱きしめる。何も食べずにいたせいか、衰弱しているようで、肩や腕が震えていた。すり寄る仕草は変わっておらず、やっと安心する。番は、やっと僕のもとに戻ってきた。

「あいつの占いあたってたんだけどなぁ」
「”あいつ”とは?」
「ホリデー前の占星術で、遠ざかる者有り、手は届かずって占ってくれた、ペアの、だれ、おぼえてない、でも、本当にそうだった」
「何を言ってるんです。貴方の手は届かないでしょうけど、僕の手は届きます。見くびらないでください」

 そっか、と笑ってお腹が空いたという彼に、リゾットを作ることにした。つくづく思うが、監督生は物事を引っ掻き回す運命にあるらしい。僕は今回なぜこうなったかおおよその理由は想像できる。ナマエは人魚のソレより夢見がちでロマンチストで奥手で臆病、何を勘違いして、何に拗ねて、何に嫉妬して、どうやって誤魔化したかなんて手にとるようにわかった。だからこそ改めて思う。引っ掻き回すなと。トマトピューレとコンソメでぐずぐずにされたライスをかき混ぜながら、ホリデー前の一周年の際にも似たような表情を見たことを思い出した。彼はきっと周期的にこうなるらしい、定期的なケアも番の務めだ。あぁ、せめて寮が一緒であれば楽なのに。
 鍋をかき混ぜる僕、オクタヴィネル寮の寮長がいるにも関わらず何も言わないのはシルバーが上手く手を回してくれたのだろう。対価である眠気覚ましの調合はナマエとともに行おう。よそった器を手に部屋へと踵を返した。

 ノックをしてから扉を上げる。蝶番が軋む音と、漂う匂いに気づいたナマエの顔は、餌をねだる稚魚のような幼さがあった。

「トマト味リゾット」
「えぇ。貴方用にチーズ抜きです。熱いので冷めるまでお話しましょうか」

 そういった途端、肩を揺らして涙をためる。悲しむ必要など微塵もないのに、これだから彼の健気さはいけない。抜け出せなくなる。

「アズール、遠くなっちゃったと思って」
「僕も、貴方の大人しさにあぐらをかきすぎましたね……。魔法を使わせるほど追い詰めた」
「アズール」

 ぽたりと落ちる涙を、ポケットから出したハンカチで拭う。リゾットはサイドテーブルに置いて、肩にナマエの頭を乗せる。じんわりと熱さと冷たさを感じて、動物にするような手付きで、髪をすいてそのまま背中を撫でた。

「すまほ、引き出しにいれっぱ」
「通りで連絡が取れないはずです」
「スマホもつの、好きじゃない、から」

 喉を引くつかせながら濡れた部分が広がっていく。ふと枕元に置いてある黄色い箱に少しだけ苛立つ。安心させるように頭をなでていると落ち着いたのかもう食べたい、と体を起こした。
 もそもそと咀嚼していく。その口の愛らしさと言ったら!離れていた分愛おしさも倍だ。人間の姿でなければすべての足を絡めて吸盤を見せながらあちこちに吸い付いている。すぐに食べ終えると、恥ずかしそうに、「ちょっと足りない」なんてアピールされても、一日何も食べていない胃にいきなり大量に食べると消化不良に繋がるためコレ以上は駄目だと釘を打った。今日は新学期始まりということでラウンジも休業、部活もない。ジェイドに寮長業は任せて来たので何も問題ない。

「僕の伸ばした手は貴方に届きました。今日は離すつもりはありませんから」
「シルバーいるけど」
「ご安心ください。シャイな貴方のためにと別の寮生の部屋へ泊まりに行かれましたから」
「ありがとう、アズール」

 取り戻したその手にかけた魔法を、誰にも解かれないように何十にも呪いをかける。人魚の愛から、ナマエは一生逃れられない。存分に依存させる第一歩を踏み出した。



|