勉強のついで
「俺実は、アズールってウツボ君たちと付き合ってると思ってたんだよね」
「...急になんです?」
「特に理由はない。まぁ、強いて言うなら?俺たち出会って一周年だし、親睦深めたいじゃん?」
だからなんだと言わんばかりの顔を隠しもせずにアズールは呆れている。真面目に俺と会話する気は無いようで、教科書に視線を落としたまま生返事のような相槌が帰ってくる。出会って一周年ということは、付き合ってまだ2ヶ月程度でまだ友達期間のほうが長いのだからこの提案も悪くないと思う。興味がなさそうなアズールを置いて、とりあえず言い出したのだからと話を続けることにしよう。
「いや〜いつも二人と一緒じゃん?ラウンジが出来たら輪をかけてもう3人でワンセット並じゃん?だからてっきり、そういう関係なのかなと思って」
「全く、随分安直な発想ですね。いつも一緒にいるからといって、なんでも恋愛感情に結びつけるなんて浅はかすぎます」
話し出すとため息を付きながら俺と目を合わせてそういう。自分のことを見つめるグレーと水色が混ざった瞳がデスクライトの光を反射してきらきらと光っている。
「いやー出会ってたかだか1年弱じゃあ、腐れ縁か幼馴染か執着か、それとも全部か、的確に見抜けないって。ま、結局、腐れ縁が一番近いのかなとは、思うよ」
「お見事ですナマエ、持つべきものは理解者ですね」
「照れる照れるやめろって」
「褒めて差し上げたので対価を頂いてもいいですか?」
「持ち上げて落とすのやめてくれよ……」
また適当にあしらわれて、アズールは勉強に戻る。俺は勉強を再開する気分になれなくて、アズールの部屋をぐるりと見渡した。ディアソムニアの寮室とは全く違い、オクタヴィネル寮は水の中を思わせるほどにひんやりとしていて、夏場でも肌寒い。青や紫や白が散りばめられており鮮やかに感じる。暗くて、薄ぼんやりと緑の火が灯るディアソムニア寮に少し分けてほしいなと、ここに来るたびに常々思う。しかしながら、意味合いは違えどひんやりとしているのは同じかと思ったが、ディアソムニアは石造りと不気味な薄暗さで人間が勝手に背筋を冷やしているだったことを思い出した。
「寒いですか?」
「ん?いや、大丈夫。腕まくり直せば平気だよ」
無意識に腕をさすっていたようで、言いながら裾のボタンをとめる。結局眺めるだけになってしまった動物言語学の教科書のそばにアズールの生白い左手が俺のノートの文字の上を滑る。頬杖をついて見つめるとノートの真ん中あたりをトントンと叩く。確認してみると、訳が間違っていたようで、指摘されたことに少しふてくされながら、その部分を二重線で消した。アズールはいま占星術をしているんだから片手間に動物言語学まで学ぶなよな。そんな心の内を読んだように、アズールは自分のブレザーを俺の肩にかけて引き寄せた。
「そう拗ねないで」
「ちぇっ、なんでもサマになるヤツはこれだから」
「一周年効果で惚れ直したついでにスキンシップでもと思いましてね」
高笑いでもしそうなアズールの顔に、じっとりとそしてブスッと机を睨んだ。肩に回った手が腕をさすっているから、彼なりに気遣っているんだろうなと推測する。寒いのは事実なので、遠慮せず体重をかけて寄りかかると、小さくうめき声が聞こえてきたことに少しスッとした。しかし、俺達が座っているのはソファーなのできっとダメージなんて大した事ないだろうけれど。その時ふわりと香った、嗅ぎ慣れた不思議な匂いを追いかけたくなって、アズールの襟元に顔を向けた。人魚の、特にアズールの匂いは特に過敏に鼻が反応する。これは出会ったときからそうだった。
「なぁ、アズールは人魚の匂いってわかる?」
「嗅覚という意味ではわかりませんね。だいたいはその人間の持つ雰囲気や仕草で確証を得ていますので。貴方、匂いで見分けているんですか?」
「……人魚は不思議な匂いがするんだよ。一人ひとり違うけれど人魚だってわかる匂い。アズールはもっと特別な匂い」
ずりずりと落ちていく俺の頭をアズールは丁寧な手付きで自分の膝にのせる。顔を見上げる俺の目はきっと涙が零れそうなほど潤んでいるんだと思う。意地の悪そうな顔をしている彼は、正しく人間を惑わす人魚そのものだ。「勉強どころじゃない顔ですね」なんて涼しい顔で言ってくるもんだからおとなしくアズールの腹に顔を寄せる。細い指が頬を撫でるから、その手を掴んで人差し指にキスをする。そのまま、するすると口の中に収めて、抜いて、今度は中指も一緒に咥える。舌をくすぐる指が気持ちいい。じゅるる、と上品には程遠い音をたててすすっても唾液は口の端から落ちていく。
「あずーる、勃ちそう?」
「っ、ちょっと、頭で押すのやめてください。ただでさえ人間の体は不便なのに」
「勃たせようとしてんの。アズールがいったんだろ?勉強どころじゃないって」
「そんな貴方に少々伺いたいことが」
「いまぁ!?マジ!?アズール将来女の子と結婚する気あるなら今のこの状況マジ最悪だから直しといた方が良いよ」
一気に冷めた気分のまま膝にうなだれる。ハンカチで手を拭きながら「今の所その予定はないので構いませんね」なんてすました顔で言うもんだから興も削がれてしまい、適当に返事をした。スマホを出してなにかを操作して画面を見せる。
「あ、この写真なんで持ってるの? 」
「僕こうみえてジャミルさんと親友なんです」
「まって。もしかして、嫉妬とか、していただいた感じですかね」
「……まぁ、平たく言えば」
喉に言葉をつまらせた様子がなんだか嬉しくて、腰に抱きつく。たぶんアズールば 別のことを聞きたいのだろうとは思うけど、それでも、愛されている実感を掴んでしまって顔がゆがむ。いや、もしかして親友を取られて嫉妬した可能性も無きにしもあらずか?やべ、すごい恥ずかしい勘違い?でも否定されないってことは、そういうことだよな……。嬉しすぎる……。まぁ、アズールがジャミルくんと親友だなんて事実も初めて聞いたけれど。
「それ、錬金術の時に一緒になって、初めて一発で成功したってジャミルくんに言ったら、記念に写真撮ってやるから部活の荷物持ち手伝ってくれって言われたときのヤツ」
「あぁ、ありましたね。一週間くらい前でしたか」
「そうそう、アレ。どうせだからって一緒に写ってくれたんだよね」
アズールのなにがしかの熱も俺の平凡な答えに冷めたようで、遠い目で画面を見た。そんなにがっかりしなくとも、と思うけれどもソレはソレ。大方ジャミルくんについての情報が引き出せると期待していたのだろう。残念ながら彼とはその日以降交流はない。むしろ名前と出来事を憶えていた事を褒めてほしいくらいだ。
「相変わらず周囲への関心と興味が薄いですね」
「他人に興味を持つって難しいもの。アズールは別として……あ、あとウツボくん達も」
「それは嫉妬でしょう」
「そうだけどさ。それでも一応関心があることだから自白しといた」
アズールの膝から頭を持ち上げて横を向いたままソファーの背もたれに体重を預ける。寮服を着た3人が厄介なお客様を迎えたところを想像して、一人気が重くなる。彼がいずれ帰る水底に思いを馳せて、振り払って俺を見る瞳を見た。
「一周年なら、泣きそうな顔をしないでください。可能性の一つに振り回されず、意識をここにとどめて。そう。戻ってきましたね」
「うん……来年は二周年やろうね」
「えぇ。次は勉強会のついでなどではなく盛大にするとしましょう。ナマエ、僕は今ここに居て、貴方を見ている。思い描くなら、欠けた方ではなく満ちている方になさい」
「はい」
ぎゅうと音がなるほど抱きしめるとアズールも痛いほど抱きしめ返してくれる。心を満たすのは寂しさではなくアズールの匂いで、まだ遠い二周年の席には、溢れんばかりの料理とジャンクフードとそれを食べつそうとする俺とアズールが軽口を叩き合いながら笑っていた。
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