拝啓、未来の海の魔女へ
※アブラツノザメの人魚
※幼少期アズール捏造
アズールと出会ったのは偶然だった。エレメンタリースクールの帰り道、忘れ物に気づいて引き返したときに彼にぶつかってしまったのだ。ばらまいてしまった貝を拾い集めて手渡す。おれたちは目が合うと、人見知りどおし目をそらしたのが面白くて、くすくすと笑い合った。
それから、放課後一緒に勉強をするようになった。要領も悪く、お互いにどこが間違っているのか指摘しながら少しずつ。家までの帰り道は短くて、アズールの蛸壺を探すなんて理由で寄り道もたくさんした。そうして半年ほどすごすと、アズールがいじめにあいはじめた。いつもの帰り道、曲がりなりにもサメであるおれは茶化す奴らを追い払ってみたはいいものの、からだの成長が緩やかなことが裏目に出ることが多く、アズールのからかいの道具になっていた。「泣き虫墨吐き坊主とサメの癖に臆病なちびのコンビはお似合いだぜ」嘲るその声に、情けなくて、でも何も言えなかった。
数年もそんな付き合いが続くとお互い遠慮がなくなってくる。友達以上、家族未満。蛸壺のなかは俺とアズールの字で埋まっていて、二人で勉強をしていた。俺はもっぱら陸の言葉に興味があり、でも上達はせず、楽しむ程度に留まっている。時々アズール相手に話してみたりしながら、アズールはそんな俺に簡単な魔法をかけて効果を確かめたりと、そんな毎日だった。
「アズール、この、”パスタ”ってなんだろうね?アズールのお店では出しているの?」
「ううん。これは茹でなきゃいけないから海の中ではお出しできないよ」
「ふぅん。陸って火が使えるから、たくさん料理があるんだね。魔法薬も、きっともっとたくさん作れるんだろうなぁ」
「うん、だって、釜を火にかけてかきまぜるなんて、海の魔女ほどの技術がないと難しいよ」
「そんなこといって、来月には実践できるんだからアズールにはかなわないよ。鮫の歯や鮫肌が欲しくなったら言ってね」
なんとなしにそういえば、アズールは悲しげに俺を見る。うねうねとうごく触腕たちは一本ずつ絡んできて本能的な恐怖を感じる。アズールのように大型の蛸は鮫でさえも食らうため、いざ触腕が絡むと怖い。
「そんなこといわないで。僕は、君のこと、材料だなんて思ってない。これからも大事な人なんだ」
「……アズールは変わってるね。こんな、こんな。美しい人魚なんて他にいるのに、なんで」
「あのひ僕とぶつかったのがなまえだったからだよ。僕だってこんなだもん。おあいこだよ」
ぎょろりとした俺の目がアズールを見る。まあるい顔が近づいてきてぺろりと目玉を舐めた。「しょっぱい、なかないで」と目尻をちゅうちゅうと吸われる。鮫肌が彼を傷つけないように注意しながら抱きしめるとすべての触腕が絡みついてくる。俺はまだまだ子どもで、わからないことがたくさんあるけれど、きっとコレが”大切”で”好き”って気持ちなんだろうと思う。
そんなおりだった。おれは両親にあと数年で珊瑚の海をでて南の海へいくと告げられた。ここは俺たちが暮らすには水温が低いらしい。俺も随分育ったからもう少しあたたかな場所を求め、群れと合流し移動するとのことだった。回遊魚である俺たちには珍しくもなんともない。でも、もう大切なアズールと別れることがショックで、家を飛び出した。
行きなれた蛸壺の周りを、見慣れない長い体躯の人魚が泳いでいる。最近ウツボに付きまとわれている、と愚痴を溢すアズールの言葉を思い出した。彼らに悪態をつきながら本を読み漁る姿を憶えている。腹が冷えるような、喉がつまるような感覚がして苦しくなってきて、結局アズールに何も言えないまま家に戻ってきた。何だか、ぽっかりと穴が空いたような、そんな心持ちだった。
次の日も、何時ものようにスクールはあって、ぼうとしてる間に何もかもが終わっていく。勉強会は先週アズールから「しばらく出来そうにない」と断られてしまっていて、スクール内でも顔を合わせていない。遠くからこっそりみているばかりだった。
ついに珊瑚の海を出る日が来た。結局アズールとは話せないまま。夜の海を俺たちの群れが突き進んでいく。突然、先頭の人魚があげた悲鳴に恐怖が伝播した。夜の海、魔法技術でカモフラージュした人間が、魚も人魚も慈悲などなく狩っていく。30はいたはずの群れは、気づいたら半分もいない。針が刺さった部分から漏れる血の匂いがあたりを充満していた。父さんも母さんが俺を逃がそうと背中を押すが時既に遅し。網が身体に纏わりついた。もう逃げられない。船にあげられみんなとは違うケースに入れられる。あぁ、こんなことなら、アズールに別れを告げておくべきだった。
さようなら、俺の海の魔女様。
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