いつか溶かしてほしい
1
「すいません、兄を送っていただいたのも家まで運んでいただいたのも感謝します。が、どちら様ですか?」
ミルクティー色の髪に一重の三白眼、しかしながら虎杖のような柔和さは感じられない表情。何より違うのは薄い身体ともうどうしようもないほど濃いクマだ。五条が虎杖と少し交わした話の内容をこれまた雑にかいつまみ話す。この場に伏黒がいれば状況が好転しただろうが、生憎と怪我の具合と相談した結果ホテルへと帰されたのだ。
「では明日からは悠仁は東京の高校に通うんですね」
「そういうこと。学費等、在学中に必要な費用は心配しなくてもいい。諸事情でね、補助金がでるんだ」
「まぁ、悠仁が決めたなら、それでいいです」
口ではそう言うが本心はそうではないことはあって数分の五条でもわかる。挨拶もそこそこに五条は虎杖家を後にした。
「悠仁、東京にいっちゃうの」
眠る悠仁に縋り付くように胸に顔を寄せた。どうして、という言葉が頭をこだまする。祖父も兄も、どうして連れ立つように離れていってしまうの、そのことで頭がいっぱいだった。祖父が長くないことは覚悟していた。でも、兄まで居なくなってしまうことは想定の範囲外だ。少なくとも、高校を卒業するまで一緒に居られるはずだった。
「なまえ……?あれ、俺学校にいたはずだったけど……」
「悠仁、おかえり。五条先生って人が送ってくれたんだよ。学校のことも聞いた。転校するって」
「そっか。ごめんな、こんなことなって」
優しく撫でる手に涙が出てくる。行かないでとも連れて行ってとも言えない。祖父が亡くなった以上、貯金を切り崩しつつ、アルバイトをして、それぞれの学費を工面しながら生活していかなければならない。そんな生活も兄となら頑張れるはずだった。
「なんで東京に行くかは聞いた?」
「聞いてない。でも、危険な仕事のための技術を学ぶ学校とはきいた」
「あ〜俺もそういうこと言おうとしてたけど、もう聞いてんのね」
一緒にいてやれなくてごめん、なんて親のような言葉にまた涙が出る。そんなことを言ってほしいわけじゃない。引き止めはしないから、連絡はマメにするとか、兄離れに丁度いいだろとか、休みは帰ってくるとかそういう言葉を置いていってほしい。
「俺も怖いんだよね。今日は、死に触れすぎたっていうか。だから、なまえがちゃんと居てくれて安心してる。連絡はするけど、帰ってこれるかはわかんねぇ。だから、俺が帰ってきても大丈夫なように生活しろよ。辛くなったらすぐ電話、はい真似して」
「つなくなったらでんわ」
「おう」
とろけるようにに笑う兄の瞳を見つめて眠る。起きたらきっと兄はもう居ないのだろうけれど、きっと数ヶ月は再起不能になる心と過ごすのだろうけれど、それでも兄を見送ることができて嬉しい。おやすみと隙間なく寄せ合った体温が心地よかった。
2
なまえが東京に来るというので、俺は東京駅へと向かっている。監視役は伏黒と釘崎、それから後から五条先生が合流するらしい。五条先生づてに来た連絡だから弟を騙る別のなにかでもない。「元気なさそうだったから目一杯甘やかしてあげるんだよ」という言葉には食い気味に返事をした。それぐらい数カ月ぶりの弟にはしゃいでいた。だって、こんなにも長く離れていたことは初めてだ。無意識に隣を見たり、声をかけたり、その度に何も返ってこないという虚しさを感じながらの生活をした上でに会えるのだから嬉しくないわけがない。だから、こんなことになっているとは全く思っていなかった。
「まってまってまって、こうなってどんくらい?」
「2ヶ月?くらい……?悠仁と電話が繋がらなくなってから」
それはそれは身に覚えがありすぎる期間に、急速に引いた血の気がさらに引いていく。そうだよな。そう、お前はそういうやつだった。お前はストレスのはけ口がご飯を食べなくなるという形ででるやつだったな。とにかく生きていることを確かめるために、もう骨と皮しかないんじゃないかとおもう身体を抱きしめる。薄すぎるし細すぎる。折れてしまう。正気じゃない。
「ゆうじ、あったかい。おれじりつできなかった……」
「本当に、本当の本当にマジでごめんな。俺らまだ高校生なんだから大丈夫。今日は胃に優しいもんくおうな」
「ゆうじぃ」
もうやめてくれ、泣いたら干からびてしまう。伏黒も驚いたようで釘崎と一緒に飲み物を買ってきたようだった。お礼を言ってなまえに渡す。もうペットボトルも開けられないほど力が入らないとか、どうなってんの?弟こうしたの俺です。隣で薬膳粥の店を教えてくれた伏黒には後でなにか奢ろうと思う。釘崎も最近流行っていて気になるから、とのことでついてきてくれるらしい。釘崎も後でなんか奢るから。
「危ない事って言ってたから、じいちゃん寂しがって悠仁のこと連れて行ったのかと思って」
「じいちゃんは寂しくて俺を連れて行くほど素直な性格じゃないだろ?連絡してやれなくてごめん。スマホ壊れちまってさ、ほら、番号登録すっから貸して」
「うん。今度じいちゃんの墓の前で謝ってくる」
「そうしとけ。ついでにそのうち俺も顔出すっていっといてよ」
昼飯の店につくと五条先生が店の前で待っていた。伏黒が店のアドレスを送っていくれていたようだ。そして痩せこけた頬と泣いて赤くなった目で見上げるなまえをみて大体の事情を察したらしい。あの五条先生には珍しく、少しだけ反省したような顔をしていた。
午後からは自由時間と称して俺達と伏黒たちで別行動をすることになった。五条先生は任務が入り途中で帰るらしい。ご飯なりなんなりを食べてこいとやや多めな小遣いを俺に渡して伏黒たちと雑踏に消えていった。金額的にきっと夜まで一緒にいていいということだろう。しかしながら、平日の昼間でも人が多い。この人の多さと慣れない移動でなまえはもう歩きまわる体力が残っていないのはすぐにわかった。
「よし、どっかカフェはいろ。本当はホテルの部屋で休みたいだろうけど、俺ロビーまでしかいけないし、ロビーで話すのも嫌だろ」
「ごめん手間かけさせて」
「いいの。しっかり俺のこと充電させなきゃだし、俺もなまえを充電しなきゃだし。それとも、行きたいところある?」
「ない。悠仁と一緒にいたい」
折れそうな手をとって指を絡める。握りかえされる感覚が無性に嬉しい。照れたように笑うから同じ色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
2021.01.27
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