素直じゃないし不器用だし被害妄想癖あり。だけど真面目で賢くて意外に頑固で、そしてすごく優しくて、たまに可愛い。
本当は、もうずっと好きだったのだと思う。つまらない意地にとらわれて御託ばかりを並べていたが、気づいてからは早かった。俺は楓がもう大好きでたまらなかった。
年末年始に何度かデートをしたつもりだった。最初にがっついてしまった後ろめたさもあって指一本触れなかったが、触れていたなら結末は変わったんだろうか。
彼氏と別れていなかったと知った時、正直もう女なんか一人も信用できないと思えた。
裏切られた、騙された。この子が俺のこと好きなのは確かなのに、この子は俺のものになってくれない。悲しかった、それだけ好きだった。もう二度とその綺麗な顔も見たくなくて、俺は家までのほとんどの時間、楓のことを心の中で罵倒し続けて帰った。
『楓ちゃんが、妹が彼氏の車から消えたのっ!! ねぇ、そっちに行ってない!?』
携帯越しに千代田からそう告げられたのは、俺はその日夜中から明け方にかけて降り積もるとニュースで大騒ぎしていた積雪に備えて、玄関先に出ていたプランターを家の中に運び終えた直後だった。間の悪いことに家の連中は全員外泊。もうすでに雪がチラつく中での地味な重労働にイラつきながら、一人でその大量の重いプランターを運び終えたと思ったら流れ出す着うた。
どうして千代田が俺にそんなことを知らせてきたのか、なんで俺の携帯番号を知っているのか、そんなことはもうどうでもよかった。
頭の中が一瞬だけ真っ白になって、次の瞬間には外の異常な寒さを思い出した。まだかじかんでいる手がそれを証明している。そしてただ防寒具と携帯と鍵だけ引っ掴み、何も考えずに家から飛び出した。何も考えずに、雪が降る中何時間も楓のことをただただ探し回った。
ただただ、楓が独りでこの寒空の下にいるのが耐えられなかった。
「楓」
泣き疲れて眠っているジュリエットを、俺のベッドへ運んだ。別にやましいことをする気なんてない。いや、本当はしたいけど。このところ毎日夢に見ちゃうくらい楓とあんなことやこんなことしたいけれど、でも。
「楓、楓」
髪を撫でた。真っ直ぐでちょっと硬い、けれど不思議と撫で心地は良い。髪の毛はその人の性格を表しているってどこかで聞いたことがあるけれど、一理あるなとは思う。俺のはふにゃふにゃで癖毛だからね。
ああ、そういえば千代田の髪もこんな風に真っ直ぐでサラサラで……。
ほら、俺でさえ気を抜くとすぐこれだ。
この子は今までどれだけの傷をその心に受けてきたというのか。
姉の代わりとして生きた、少なくとも本人がそう思い込んでいるこの19年間。彼女はいったい何を思って、何を耐えて、何を欲しいと思ってきたんだろう。
暖房がガンガンにかかった室内で毛布を被っていてもまだ冷たかった彼女をただただ抱きしめていたその時、そんなことを考えてはただひたすら切なく、愛おしく思った。
悲劇の神の子として幻想を抱かれ続けた俺と、愛されている姉の代わりになることで存在意義を見出していた彼女。俺たちは少し似ているようでその実全然立場が違う。
身近な人間に本当の自分を認めてもらえないのは、どれだけ辛いことだろうか。
かわいそうな神の子としてしか俺を見てくれない人はたくさんいた。それでも、そうじゃない仲間がいたから俺は最後まで戦えた。かわいそうな神の子として汚名返上のインハイ三連覇を成し遂げた。あの夏果たせなかった想いに、期待に、夢に、約束に、きっちり落とし前は付けたつもりだ。
神の子として全力で駆け抜けた王者立海大に未練はない。
だけど楓は違う、彼女の戦いは最後まで孤独なものだった。
家族に、恋人に、彼女は自分を見てもらいたかった。だから身代わりも何にでもなって、彼女は戦い続けた。いまだその敗れた夢の亡霊にしがみ付いていると言うのなら、俺にできることはなんだ。
悩んで、悩みぬいて、出した答えがあれだった。
言葉にしても、誰よりも純粋で捻くれているキミにはきっと届かないから。なら行動で示すまでだと思った。何度でもキスをして、何度でも抱きしめて。どうかこの行き場のない思いがキミへ届いてほしいと願った。
一晩中、ずっと。
「……ゆきむらさん」
彼女の髪を撫でて頬や額に口づけを落し、寄り添うようにして横になっていた。そうしているうちに、かわいそうに痛々しく腫れあがった瞼がそっと開く。カーテンを閉じていない窓から眩い朝焼けが差し込み始めた頃のことだった。
何度も何度も奪ったその小さな口が、俺の名を紡いだ。
「わたし、彼氏と別れます。がんばって、お別れを言ってきます」
まだ目の焦点が定まっていなかったが、その言葉はしっかりとした力を持っている。強い意志が感じられる宣言に、口元が綻ぶのを抑えるのに必死だった。
キミは知らなくていい。こんな俺の幼稚な満足感なんて。
「ずっと、貴方のことが大好きでした」
化粧は崩れ、目は腫れあがり、髪の毛ぼさぼさ、高そうなパーティードレスは皺だらけ。それでも楓は、あの舞台の上よりもずっと綺麗なお姫様に見えた。
体を横たえたままの彼女に覆いかぶさり、もう一度その唇に自分のそれを重ねた。
好き。
大好き。
この子に足りないすべてのものを、俺が与えてあげたい。
「もう少しだけ待っていてください。もう一度必ず、真正面から貴方にこの気持ちを伝えに行きますから」
「一度だけなの?」
「……えっ?」
「言ってよ、何度でも」
俺もさ。キミが晴れて俺だけのものになったら、飽きるほど言ってあげるから。
他の誰でもない、楓が好きなんだって。
今までキミが言われてこなかった分、いっぱい、言うから。
それは、2008年1月19日。清々しい朝の出来事だった。
第二幕 終