物語のような恋ではなく
 二度目に会った時、一瞬で恋に落ちた。

 2007年7月の始め、電車の中。
 そろそろお祓いに行くかと思った。高3の秋、部活引退後にできた大学生の彼女には「え? 私たちの関係ってセフレだよね?」とか言われてフラれ、大学に入ってすぐにできた彼女には「想像と違う」とか言われて2ヶ月でフラれ、前の彼女にはあの妊娠騒動で10万円取られた。挙句の果てに入学祝に買ってもらった財布が、その中に入ってた諭吉2枚ごと電車内でスられてまた思わぬ出費。そして今度はそのスリに気を付けてたら痴漢扱いって、どんだけ災難続きなの俺。しかもミネルバの子とか、妹に知られたら確実に殺される。
 周りのサラリーマンたちにあからさまな敵意を向けられ、目の前の女子高生は俺の服の裾をしっかりと握っていた。そうか、俺はこのまま痴漢の冤罪を擦り付けられて、将来をぶち壊されるのか。自分の人生に絶望しかけ、このまま前科持ちの男やもめ決定かと諦めかけたその時だった。

 一度目に会った時はほんの一瞬で、しかも少し距離があったからあまりよくは分からなかった。ただ、キツめの美人さんだとばかり。
 振り返ったそこにいたのは確かにあの時の女性で、色っぽい切れ長の眼と長いまつ毛が好みドンピシャだった。鼻や輪郭の形も整っていて、唇は薄く色付く桜色。真っ直ぐで艶のある肩までの黒髪。全体的に清楚な印象で、そんなところも好印象だった。
 けれどその印象とは違う凛としたよく通る声。その洗練された立ち振舞い、強くも慎ましい雰囲気、そして何度でもいうがなにより好みドンピシャの顔。俺はただそれらに目を奪われて、頭がボーっとして、体温が上がっていくのを感じた。
 なんとか彼女と話せる機会を作れないかな、なんて危機的状況にも関わらずそんな呑気なことを考えてた。そしたら願ってもない展開は、いつの間にか自然とやってきて。俺は今自分が巻き込まれているこの状況に甘い眩暈がした。
 だって、痴漢から助けてもらってそのまま手引かれて2人で途中下車だよ? なにそれドラマ? まぁ本当は痴漢ではなく痴漢冤罪だったわけだが、とにかく俺はその超絶好みな電車女に運命感じちゃったわけだ。
 無理やりの話題展開で強引に個人情報手に入れようとしても、気付かれてるのか無意識なのかうまい具合にはぐらかされて。でも絶対にメアドくらいは聞き出してやるって気合入れなおして、柄にもなく喋り続けた。少なくともエルメスのティーカップの代わりに、俺のメアドは握らせて帰る気満々だったね。
 見事に玉砕したわけだけど。
 外車の白いスポーツカーに乗った男が彼女のことを「楓ちゃん」と呼んだ瞬間、なんで今まで自分が忘れていたのか不思議になるくらい鮮明に思い出した。見る者すべてにクールな一瞥をくれるような目、真一文字に固く閉められた唇。間違いなくアイツの、千代田渚の妹だった。昔一瞬だけ見たことがある。あの頃から目を引く美人だったけど、成長してますます綺麗になった。
 彼氏がいるのも当然かと諦めた。しかも外車のスポーツカーって。きっと俺がどれだけ頑張ってバイトしようと到底買えそうにない高級車。若そうだから、おそらく自分の金じゃないだろう。良いとこのボンボンか、そりゃあそうだろうな。千代田はバカっぽかったから実感なかったけど、千代田家って言ったらお父さん会社の社長だしな。美人で金持ち、それ相応の男が付くのが当たり前。祖父母が金持ちだったから家はでかいけど、うちの父親は普通に会社員だ。そんな俺みたいな庶民相手にしてくれるはずがないと、少しだけ自暴自棄になった。
 これでよかったんだ。千代田の妹なんて、手を出したらアイツになんて言われるか分かったものじゃない。そう自分に言い訳して、できるだけ早く忘れようとした。あの綺麗な顔、声、繋いだ手の温度を。

 あ、そういえば四月に不二があの胡散臭い笑顔で『うちの義妹がそっちに入学したから』とか言ってあからさまな牽制かましてきたな、なんて思い出したのは帰宅した後。それでも学科も学年も違うし、会うことなんてないだろうって思った。

 だからこそ再会した時、やっぱり運命なんじゃないかって柄にもなく信じたかった。
 俺を救ってくれたあの凛とした声が、弱々しく「助けて」だなんて言うものだから。もう全身全霊で助けるしかない。聞けば、ロミオとジュリエットの演劇でロミオの代役を探してるとか。最初に話が行ったのが日吉っていうのが気に食わなかったけど結果オーライ。シチュエーションは完璧、あの外車乗り回したボンボン彼氏から奪い取るくらいの心づもりもあった。
 でも、あの性格がダメだと気付くのに半日もかからなかった。


 第一印象が凛々しくて芯の強い女性って感じだったせいで、その悪い意味でのギャップは俺へ地味に大きなダメージを与えた。
 表情読めないし自分の意見言わないし、挙句の果てになんか俺のこと怖がってる。千代田の妹とはとても思えない内向的な性分、彼女の喜ぶ顔が見たくて代役を引き受けたのにまるでこちらが悪いことをしているようだった。過密スケジュールも災いして、とうとう俺のイライラは頂点に。このままではいけないとあくまで優しく、やさしーく、なんで俺に対してそんなビクついてるのか聞いてみた。
 そしたら、あの女。

 彼女は、ただのありがちな妄想系信者だった。運命の相手? 聞いて呆れる。
 その妄想力を別の方向で生かした方がいいというタイプの女の子に好かれることが、俺は大変多かった。顔と印象と外面と特技と今までの経歴を知ってそれにハマった彼女たちは、どいつもこいつも勝手に人を悲劇の主人公に仕立て上げた。幸村くんかわいそう。幸村くんは魔王だけどホントは悲しみを抱えて生きている。神の子幸村を幸せにし隊!
 ふざけんなよ寝言は寝てから言え。
 勝手に人の人生を悲劇にするな。生きてるだけで丸儲けって偉い芸人も言ってただろうが。ちょっと勾配が激しかっただけの平凡な人生だよ、いや、言うほど平凡でもないのか? 
 ともかく、どこの誰だか分からないような人間に世話なんか焼いてもらわなくても、俺は勝手に幸せを見つけて生きていく。それはこれからも永遠に変わらないことだ。
 けれどそんなこと彼女たちがそんな俺の気持ちなど察することなどなく、結局あきらめて高校時代は過ごした。立海以外の大学へ行けば、そんなこともなくなるだろうと心のどこかで期待もしていた。けれどやっぱり氷帝でも待っていたのは、悲劇の神の子幸村の涙涙の物語を語り継ぐ女たち。
 うんざりだった。頼むからもうそろそろ、俺を平凡な人間として扱ってほしかった。
 そんな日々の狭間で出会ったクールで知的な女の子。聞けば昔大好きだった女の子の妹って話。だったらきっと彼女も千代田みたいに、俺のことを神の子とも悲劇の主人公とも思わないはず。期待して何が悪い?

 そうやって勝手に盛り上がって暴走してる様が、あの女たちそっくりだった。
 それにようやく気付けたのは、彼女が舞台裏で俺を励ましてくれた時だった。

 彼女たちが俺に『悲劇の主人公』を期待していたように、俺はあの子に『千代田渚』を期待していた。自分の意見をはっきり言う、前向きで勝気で、そして俺のことを特別扱いしない女の子。そんな酷いことを自分がしていたと気が付いたのは、あの時彼女が俺に対して怒鳴るわけでも呆れるわけでもなく、そっと励ましてくれたからだった。
 イライラと不安に身を任せてとてもひどいことを言ったのに、彼女の声と手はどこまでも優しかった。
 彼女のことを勝手に決めつけていたのは俺の方だった。


 思えば、その時から俺の中で楓に対する印象が明らかに変わった。
 本当は、あの劇が終わった後はもう関わるつもりなんてなかった。おどおどしている人間は恋愛感情抜きにしても基本好みじゃない。でもこのまま彼女と仲良くならずにフェードアウトしたら、なんだか自分があの軽蔑してた女の子たちと同類になりそうな気がした。だから最初は自分の意地のためだけに彼女との関わりを保ち続けた。
 けれどやっぱり単純明快で馬鹿な千代田姉とは大違い。彼氏の気持ち弄ぶような小悪魔的な側面も見え隠れしちゃったりして、実はビッチか? とか嫉妬交じりの軽蔑の念を抱いたこともあった。
 でもあのバレエ公演で、やっぱりこの子は優しくて思慮深い子なのだろうなと思った。フィクションの安っぽい物語に置き換えた俺の過去ではなく、今の俺の傷を塞ごうと必死になっているんだと。

 そしてその細い腕に抱きしめられた時、楓のことを改めて好きになった。
 だから、キスをしたんだ。それだけは信じてほしかった。


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bkm
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