『特別』と共に育った
「怖いなら、僕から離れないようにね」
 そんな気遣いを見せるくらいなら、最初からこんなふざけたパーティーへなど出席させないでください。そんな言葉を、私は今年も飲み込んでいる。
 青山にあるレストランを貸し切ったパーティー。相変わらず、個人の誕生日を祝うだけだというのに参加者が多いなと感じた。日本人以外の者も少しばかりいる。そのほとんどがバレリーナやバレエダンサー、バレエの関係者。そして共通することは、皆若いということだ。丁度彼と同じくらいの年齢の者ばかり。
 腹部に大きなリボンが付いたこのパーティードレスは、私にはきっと似合っていないだろうと思った。童話のお姫様の様に裾がふわりと広がっているタイプの、膝が隠れるくらいの丈のワンピースだ。このワインレッドの色合いがジュリエットの衣装を思い出させる。滅多にしないフルメイクに、目の周りの不快感が半端なかった。母や姉を始めとした女性は、よくこんなことを毎日していると思う。
『よう親友! 久しぶりだなぁ!』
『アンドレイ! 元気にしてたか? 今日は来てくれてありがとう!』
 シャンパンを片手に、社交の限りを尽くす恋人。彼はあんなことを言っておきながら、いざとなったら私などお構いなしに色々な人へ挨拶するために会場内を動き回っていた。最初の内は付いて回っていたが、三十分もすると疲れて壁の花になる。去年もそうだったので彼も気にしない。私は彼が視界に入る位置で白ワインを口に含んでいた。
 アンドレイ。ロシア人だが、今は何故だか日本で活動をしている。おそらくはロシア国内の壮絶なポジショニング争いに負けたのだと思われる。日本でなら、外国人というだけでちやほやしてもらえるから。ロシアのバレエ学校時代も、ああやって彼にゴマをすっていたな。彼は金持ちのボンボンで人がいいから、形ばかりの友達は多い。
『こちらこそ、うまい飯食わせてもらってサンキューな! ……ところで』
『ん? なんだい?』
『お前、まだあの渚の代用品と付き合ってるのかよ』


 代用品。
 久しく聞いていない響きだな、と思った。

『……そういう言い方はやめろって何度も言ってるだろ?』
 アンドレイは実力の無い男だ。けれど私ほどではなかった。下位の者は自分より下位の者を馬鹿にして心を慰める。
「あ、今年も来てる」
「まだ別れてなかったんだねー」
「っていうか何? いつも思うんだけど、ちょっと愛想無さすぎじゃない?」
 姉の足元にも及ばなかった、けれど私よりはうんと才能のある日本人バレリーナたちも聞えよがしに話しだす。いつものことだからもうどうでもよかった。
「そういえば見た? 千代田渚」
「見た見た、ヤバいよねーアイツ。体動いて無さすぎ」
「4年半だっけ? 今更でてきてホント馬鹿。あのまま引退してたら伝説になれてたのに」
「だいたい、あのバレエ団もどうしてあんなの公演に出したわけ? 身長とか明らかに浮いてたじゃん」
「大方金の力でしょ。あと、あの無愛想な妹が彼に頼んだとか」
「うわ、なに。ベッドの上で?」
「そうそう、ベッドのうえで」
「やだー」
 下品な笑みを浮かべる彼女たちは、ジュニア時代に姉によって悉くコンクールで退けられてきた。そんな姉のことを、待ってましたとばかりに陰口を叩く彼女たちには怒りを通り越して呆れた。
 けれど自分のことを言われても特に何も感じない。事実なのだから。

 幸村さんは今どうしているだろう。あの後私の前から去っていったが、その背中はどこか追いかけられるのを待っているようだった。私の都合のいい妄想だろうか、そうであってほしい。
 空になったワイングラスを今度はシャンパングラスと交換する。冷えていておいしい。
 彼は、私のことを好きになってくれたのだろうか。そこまで考えて、自嘲した。そんなはずはない。あれはただ、傷心中だった彼に私が勘違いさせるような態度をとったから、少し熱に浮かされただけだ。失恋後に優しくされると恋を錯覚するというあれだ。彼が私を好きになるなどありえない。なぜなら、私が千代田渚の妹だから。妹であって、千代田渚ではないから。
 それでも、千代田渚の代わりとしてでも、幸村精市に愛されたなら。私はどれほど幸せだろうか。そんな事を考えてしまう自分が酷く滑稽だった。
 落ち着け千代田楓、お前は千代田渚ではないんだ。何度も言い聞かせていることだろう。
 空になったシャンパングラスを、今度は赤ワインと交換する。普段赤はあまり飲まないのだが今なら飲める気がした。


 幼いころから理不尽な差別を受けていた、というわけではない。人並みに大切に育てられたとも思っている。ただ、私と渚は良くも悪くも正反対だった。それだけだ。
 千代田楓は小さな頃から大人びていると言われ、小学校の成績表にはいつも『真面目だが自己主張が乏しい』と書かれた。嫌がらせをされたり仲間外れにされることもまずなかったが、その代わり親しい友人も出来ず。両親も、私のことを賢い子だと言って褒めてはくれたが、頭を撫でてはくれなかった。それは、撫でてと言わなかった私が悪いのだけど。
 千代田渚は感情表現が得意で、口が達者で、馬鹿でバレエの天才だった。成績表には『明るく活発だが落ち着きがない』と書かれていた。バレエ馬鹿と貶され、彼女のことを嫌いだと言う者も多かったが、大好きだと言う者も多かった。
 両親は彼女のことをよく叱って、たまに叩いたりもしていたけれど、そのかわりよく頭を撫でてもいた。

 私と渚は一歳差だ。よって彼女が習う習い事は私も半強制で参加させられた。その方が母の負担が軽いからだ。しかし私はバレエが最初から性に合わず、上手く動かない手足を指差され母やコーチに厳しく指導されては、渚の小さな背中に隠れた。彼女は優しい人だから、そんな私の小さなSOSを受け取って私を庇ってくれたが、私は上手く礼が言えなかった。
 いいや、姉さんが上手すぎるから私がこんなにも叱られるんだ。と言う気持ちがなかったわけではない。
 しかし渚に喧嘩を吹っ掛ける勇気もなかった私は、何も言わずただ彼女を見つめた。そんな私を、彼女は怖がった。
「おかあさん、わたし楓こわい。なに考えてるかわからない」
 小学生の時、渚が寝る前に母へこっそり零していた私への不満だ。母は「下らないこと言ってないで早く寝なさい」と言っていたが、たぶん彼女も同じ気持ちだったのだと思う。我が子の頭を撫でる手がいつもより優しかった。
 学年が上がるにつれ、私と渚のレベルは開いた。そして私が中学に上がる頃には、渚は毎日の個人練習と毎週土日に有名バレリーナからの特訓を半日ずつ。私は毎週火曜と木曜に九十分ずつの練習、コーチは新米のアルバイト講師。これだけの差が付いていた。もう私はバレエを辞めてもよかったのだが、ただ何となく惰性で続けていた。バレエを辞めたいと母に言うのも億劫だった。

 だが、事件は起きてしまった。
「渚が、渚が足に怪我をっ!!」
 発狂したかのように泣きじゃくる母を見た時、不謹慎にも渚が羨ましいと思った。私が同じ怪我を負っても、きっとこれほどまで悲しんではもらえなかっただろう。私の足と彼女の足では、スペックも価値も何もかもが違い過ぎた。
 渚には悪いが、母をざまあみろとも思った。子どもに夢なんて託すから罰が当たったのだ。そのころには、渚の習い事に執心する母を馬鹿にする気持ちも芽生えていた。
 でも。
「渚が踊れない。いやよ、信じない。信じない! だって渚はこの前まであんなに!」
 日に日に。
「夫に捨てられて、夢だったあの子も、もうまともに歩くことすらできない。……無様ね、本当に」
 いいや、それよりも格段に速いペースで壊れていく母を。
「ねぇ、楓。貴方もそう思ってるんでしょう? 私を、馬鹿だと思ってるのよね」
 私は。
「……ごめんね、こんな母親で」

 馬鹿な女だと鼻で笑えたら、どれほど楽だっただろうか。


 綺麗事を並べたが、本当は母に撫でてもらいたかっただけなのかもしれない。渚の様に『夢』と言ってもらいたかっただけなのかもしれない。でも、それのどこが悪いというのか。
 子が親に『期待されたい』と願うことに、何の罪がある。母からの注目を諦めるには、私はまだ幼すぎた。
「姉さんの代わりに私が頑張る。だから私に、一からバレエを教えてください」
 この程度の綺麗事で、母の瞳に少しでも光が戻るなら、私は何度でも同じセリフを言おうと思った。その気持ちだけは嘘じゃない。


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