平均点が高いほど短所は目立つ
「あけおめことよろー!」
「おらぁ黒木!! 落とし玉よこせやコラァ」
「えっ、俺っ!? っていうかお前歳いくつだよ!?」
 年が明けた。
 新年早々、私たち氷帝の演劇サークルは特にやる事もないので新年会でもしようかという軽いノリに身を任せ、まだ三日だというのにこうして集まっている。
 文化祭が終わり、三年は引退した。サークルの実権は二年生へ移り、今私たちは長編『現代改編版シンデレラ』と短編『白雪姫(正統派)』を一年間の演目と定めた。私はシンデレラではキーパーソンとなる義姉役を、白雪姫では意地悪な継母役を貰い、皆とともに練習に励んでいる。しかし我々は時々こうして集まって、三年生の就活の息抜きをしてやるのも役目の一つだった。
「っていうか今年シンデレラなんだってねー。あの部室の中に転がってた台本使ってるの?」
「はい。あれを少しアレンジして」
「あの台本すっごくドロドロしてなかった?」
「まぁ、本当の原作もあんな感じですし」
「おーい、立川聞いてるかー? 今年はあの現代版シンデレラだってさー」
 そして、私たちがいまだに三年生たちと交流している理由は、他にもあった。
「お、反応してる」
「最近よく呼び掛けに答えるんだよね。手を握り返したり、まぶたが動いたり」
「マジで? もうすぐ起きるんじゃない?」

 立川雪乃元部長は、二ヶ月以上もの間眠り続けている。脳死というわけではないのだが、やはり脳への損傷が酷かったらしい。

「ほら、雪乃。後輩たちが遊びに来てくれたぞ」
 黒木先輩は、悲しみが一回りして最近吹っ切れたようだ。大学の講義が始まる前や終わった後など、暇な時には足しげくここへ通っている。眼鏡を外した彼女の姿も最近見慣れてしまったが、そんな彼女の手や頬を撫でる黒木先輩にはいつまでも慣れなかった。三年生の先輩方は冷やかしながら穏やかに見守っているが、一、二年生にそれはできない。二人が結ばれますようにと、いつも黙って祈ることしかできない。
 少し気分を変えようと、売店へ行って何か皆で食べられるお菓子でも買おうと思った。その時だ。
「あ、見て見て! 雪だよ!」
 友人の一人が声を上げる。病室の窓が開け放たれ、冷たい風が吹きこんできた。
「ちょっと、寒いじゃん!」
「えーっ! いいじゃん雪!」
「東京では初雪だね」
 深いグレーの雲から、ひらひらと無数に落ちてくる白くて小さな物体。それは風に乗ってこの純白の病室にまで舞い込んできた。
 ああ、今年も嫌な季節がやってきた。


「千代田さん、日本国憲法の課題教えて」
「幸村さん。貴方、私と自分の学年を覚えていらっしゃいますか?」
「でもこういう系統は歴史学科のキミの得意分野だろ?」
「別にそういうわけでもないような気がしますが」
「あー、憲法の授業なんて取るんじゃなかった。眠いし、難しいし、課題多いし」
「授業中に寝ている貴方が悪いんです。言っておきますが、あの教授は容赦なく単位を落としますよ」
「えっ、マジ?」
「私は前期に受講しましたが、無遅刻無欠席でテストも九十点以上取ったのにBでした。おそらく中間レポートの出来が気に入られなかったのかと」
 あれから、幸村さんは私に絡んでくることが多くなった。メールのやり取りも極端に増えたし、科目が被っているわけでもないのに一緒に課題をしようという名目で年末年始の休暇中に地元の喫茶店へ呼び出されたことも少なくなかった。大学の授業が再開してからもこうやって、カフェテリアの4人用のテーブルを陣取って私が本を読んでいると、こんな風に近寄ってくる。
 あの日、キスをした。
 触れるだけの子供染みた口づけだったが、それでも彼の少しカサついた唇は、何度も私の冷たい唇へと押しつけられた。抱き締めてその行為を許容していたら、幸村さんの腕が私の背中に回ってきた。嬉しかった。もう、それだけで十分だと思えたのに。
 これでもう、縁が切れても未練はないと思っていたのに。
「さらば神の子無敗伝説。これで俺も青学で単位落としまくってるっていう赤也の仲間入りか」
「諦めないでください。一つ落とすと総合評価が急激に下がりますよ」
「元からそんなに高くないから問題ないよ」
「いや、そんな自慢げに言うことではないかと」
 どうして彼はいまだに、私の隣に居るのか。
 こうやって他愛の無い会話をしているのか。
「来期は何か一コマだけでもいいから、一緒の講義取ろうね」
 何故、私に微笑みかける?

「幸村さん」
「なに?」
「貴方、クリスマスに何があったかをお忘れですか?」
 私が恐る恐るそう言うと、幸村さんは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。そしてしばらくすると、少し照れたように視線を逸らす。微かに朱に染まった頬が、初めて恋を知った純粋な少女のようだった。
 昼の休憩時間中。学生が友人と談笑し昼食をとるこの時間帯、カフェテリアは人で溢れている。それなのに彼はそんな人気の多い場所で、私の左手に自分の右手を絡めてきた。その大胆な行為に驚き彼を凝視するも、彼はやはり視線を逸らしたまま。このままでは誰かに見られる。見られて困るのは明らかに幸村さんなのでは。
「私は、貴方が分かりません」
「俺もキミのことよく分からないけど、これからよく知っていけばいいんじゃないかな」
 指と指が絡まる。彼の指は長くて、けれど少し固くなった肉刺の痕がゴツゴツとしていた。間違いなく男性の手なのに、その仕草は恋を知りたての少年の様で。私は、こんなにも胸が苦しくなる手の繋ぎ方を他に知らない。
「わ、私は」
「うん」
「貴方と、キスをしました」
「改めて言われると照れるなぁ」
「傷心中の貴方に付け込んで、慰めるフリをして」
「うん。むしろそれは俺のセリフだよね」
 ごめんね、傷心のフリしていきなりキスして、とか。俺あの夜カッコ悪かったなぁ。などと言っては、全く憤る様子など無くニコニコとしている幸村さん。背景に花畑が見え隠れしたような気がしたが、私は疲れているのだろうか。
 嫌われると思っていた。かなり自分本位な希望を含めたとしても、もう前の様に仲の良い先輩後輩には戻れないと思っていた。当然だろう。あの場限りのノリだと分かってはいるが、恋人がいるのにあのようなことを許容した。あの場で彼は冷静な判断力を失っていたのだ。私がもっと理知的な女だったなら、ほかに手段などいくらでも思いついたのに。
 軽い女だと蔑まれると諦めていた。少なくとも気まずくなるのは避けられない。今まで通りの付き合いなどありえないはず。
 けれども幸村さんは、何故かますます私と仲良くしようとする。
「あの、放してください」
 違和感と不安は、拭えない。
「えー、なんで? まだ授業まで時間あるし」
「私、帰るので」
「え?授業は?」
「今日は、どうしても」
「なんで?」

「彼氏の、誕生日なんです」

 お前は誰のために生きているのだと、自問自答する。


「は?」
「ですから、彼氏の」
「ちょっと待って」
「はい?」
「切れてなかったの?」
「?」
「だから、別れてなかったの?」
「別れてって……え、誰と?」
「……は?」
「いや、ですから」
「……ちょっと待って、待ってよ。今整理するから」
 幸村さんの手が、私から離れていく。彼の温かい温度が消えて、少しだけ寂しいと感じたのは私の我儘だ。先ほどまで照れたような笑顔を浮かべていた顔は蒼白で、彼は俯いたまま顔を上げようとしない。その目は、虚ろだった。
「別れてなかったんだ」

 数秒して、私は彼が何を勘違いしていたのか、やっと気が付いた。ここ二週間ほどの奇行の正体も。
「ごめんなさい、私っ!」
「……」
「貴方がそんな、私ごときに」
 私ごときに、本気になるはずがないと思っていました。そう言うと、幸村さんは急に顔を上げて私を睨んだ。恐ろしい双眸、中三の全国決勝で青学の一年と対峙していた時でも、こんな目はしていなかったと記憶している。
「悪い? こう見えて恋愛の駆け引きは苦手でね。馬鹿にしたいならすれば?」
 冷たく言い放つ幸村さんに、私は慌てて首を横に振った。違う、そんな意味合いで言ったのではなくて。
「……あの場の、ノリかと」
「はぁ?」
「身代わりで、されたのかと」
「……一晩限りの相手だったら、キスだけで帰すわけないだろ」
「!?」
「そういうさ、物分りのいい女ぶるのやめなよ」
 いい加減気づいたら? と咎めるように言い、鋭い双眸で私を睨みつける幸村さん。状況の判断ができない。なんだ、つまり幸村さんは渚ではなく私を? いや、ありえない。そんなことは。
 自分に言い聞かせるようにその言葉を脳内で繰り返していた。だがその時だ。
「千代田さん」
 名前を呼ばれる。覗きこんできたその顔の表情は真剣そのものだった。
「キミは、俺のことが好き……なんだよね?」
「……」
「どうして彼と付き合ってるの?」
「……それは」
 言葉が詰まる。その理由は私にとっては常識でも、他人にとっては非常識も甚だしかったからだ。
「家の関係とかだったら……俺にもまだチャンス、あるよね?」
「……違います。そのようなことでは」
「じゃあ何? もしかして、弱みでも握られ」
「幸村さんっ!」

 彼と付き合い始めた切っ掛けを思い出してしまった。
 けれど彼自身は別に私の弱みを握ろうとしていたわけでもなく、ただ言葉のあやでああ言っただけなのだ。私が勝手に、彼と付き合わなければという強迫観念に駆られていただけで。
 今は違う。私は自分の意思で彼と付き合っている。彼が私を必要としてくれるから。

「ごめんなさい。そろそろ校門まで迎えに来る時間なんです」
「……」
「ごめんなさい」
 幸村さんのその顔。唖然として言葉を失っているその顔。私は一生忘れないだろう。
 何故だかあのクリスマスの夜よりもずっと、悲しそうに見えた。

「どこにでも行ってしまえ。二度と俺に近づくな」
 刺だらけの言葉を責める気はない。彼が自分を保つために、最後のプライドを守るため言い放った言葉なのだと、泣きたくなるくらいによく分かったから。


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