9.幸せの、選択を


 メラグの帰郷を祝い、城では盛大に宴が執り行われた。皆、メラグの無事と再会できたことに喜び、次々と盃を満たしていった。

「おいおい、そんなに注ぐな。メラグを酔わせるつもりか?」

 ナッシュも普段の気難しい顔を払い、臣下の冗談に笑ったり催しに拍手を送ったりしており、普段行われる祭りなどよりも随分と楽しんでいるように見えた。
 メラグは心地よい空気に包まれながらも、どこか遠くからそれを眺めていたのだった。

「ナッシュ……ちょっと飲み過ぎじゃないかしら」

「何言ってる……俺はまだいける」

「ちゃんと言えてないわよ。ほら、水飲んで」

 宴が終わったのは夜も深くなってからのことだった。羽目を少し外しすぎたナッシュは主賓である筈のメラグに支えられながら、自分の部屋へと辿り着いた。
 綺麗に片付いているナッシュの部屋。豪華とは言えないが、家具には拘りがあるようで、風格はしっかりと漂っていた。
 部屋は幼い頃から別々だったが、いつもナッシュの部屋に遊びに来ていた。この部屋の窓から見える海が綺麗で、その景色はメラグのお気に入りの一つだったのだ。

「ねぇ、ナッシュ」

 ナッシュが横になったその寝台の端に腰掛け、窓から見える景色を見ながらメラグは彼を呼んだ。

「……何だ」

「私、今日ここに泊まってもいいかしら」

「……好きにしろ」

「そう、じゃあ好きにさせてもらうわ」

 言うや否や、メラグはナッシュの隣に潜り込んだ。背中に感じるもう一人の体温。予想していなかった同衾に、ナッシュは少し驚く。

「おい」

「一日くらい、いいじゃない。……兄妹なんだし」

「一人で寝れねぇのか」

「今日は少しだけ、そういう気分になっただけよ。……一緒に寝るなんて、何年ぶりかしら」

「さあな……覚えてねぇ」

「ナッシュは、寝れてた?」

「まずまず……ってとこかな」

「もう、また根詰めて仕事してたの?」

「お前のこと考えてたんだよ」

「っ……!」

 ナッシュは寝返りを打ち、メラグの方へと向いた。月明かりだけが差し込む暗い部屋に、ナッシュの瞳がきらきらと光る。
 とてもじゃないが、さっきまで酔ってふらついていた人間とは到底思えない。

「お前が向こうへ行ってから……俺はずっとお前を手放したことを後悔していた」

「ナッシュ」

「お前が誰かのものになるのが、耐え難い苦痛だった。お前の傍に居てやれないのが歯痒かった」

 ナッシュは夜具の中でメラグの身体をそっと引き寄せ、その腕に閉じ込めた。メラグの顔のすぐ横に、静かに力強く鼓動する彼の心臓があった。

「ベクターとは……その……、したのか」

「え?」

「結婚して、床を共にしたのか?」

「……いいえ。しなかった、わ」

「そうか……。……なぁ、メラグ」

 ナッシュは安堵したように言葉と共に大きく息を吐いた後、メラグの頬に手を当て、自分の方へと顔を向かせた。

「ベクターは、俺に寄越した文の中でお前を再び連れ戻すということは一切書いていなかった。お前はこれからずっと、俺の元に居ていいんだ」

 これからずっと、ナッシュの傍で……。

 それはメラグがずっと前から望んでいたことだった。あの日、ドルベの誘いを断ってからもうこんなことは二度とないと思っていた。
 しかし、再び兄と共に過ごす日々を取り戻したのだ。メラグにとっては、……何よりも幸せなことだった。

「お前が居なくなって、気づいた。お前の存在の大きさに。俺は自身が思っていたよりもずっと、お前が大切だったんだ。誰よりも、何よりも……。お前を手放したくない。お前は俺が守る。だから、俺の元に居てくれ……ずっと、傍に」

 ナッシュは愛する女性に一世一代の告白をするように、メラグの瞳を見つめて言った。
 そこには、自分の片割れを取り戻した安息……そして、再び失うことへの不安で揺れるナッシュの瞳があった。

「ナッシュ……」

 ここまで深く自分を思ってくれるナッシュに、メラグの心が震えて涙となって零れた。ナッシュは髪をすきながら、涙を拭ってくれた。

「馬鹿……泣いてばっかりだなお前は」

「嬉しいの……ナッシュがそこまで、私のことを思ってくれているのが……」

「当たり前だろ……。俺を誰だと思ってるんだ」

 ナッシュはメラグを再び抱き寄せてその瞼に口付けた。小さい頃からメラグが泣いたとき、よくこうやって瞼や頬に口付けて慰めてくれた。その感触が柔らかくて、懐かしくて、メラグは涙が止まらないまま微笑んだ。
 そして……メラグの眼が開かないうちに、唇に違和感を感じた。ああ、口付けられている、と理解するのにそう時間はかからなかった。吸うこともなく離すこともなく、静かにナッシュの唇がメラグのそれに重なっている。ずっと一緒に生きてきたが、彼と唇を重ねたのはこれが初めてだった。
 唇が離れる頃には、メラグはもう泣き止んでいた。

「あーあ、やっちまった。……泣き止んだかよ」

「あなたのお陰でね。びっくりしたわ」

 なんとなくお互い気恥ずかしくて、子供時代にいたずらが成功して笑いあっていた時のように、二人とも顔を綻ばせた。

「俺達兄妹なのにな……」

「いいじゃない、これくらい。私は気にしないわ」

「……お前、ドルベが好きだったんだろ?」

「え……」

「知ってるぜ。……両想いだったんだろ……」

「もしかして、妬きもちやいてる?」

「うるせぇな……悪いかよ。ドルベにもベクターにも妬いたさ」

「あら、いいこと聞いちゃった。……でもね、私は……私の中では、ナッシュが一番だわ。ナッシュがいたから……私、どんなときでも頑張れた……」

「メラグ……」

「ん……?」

「辛かっただろう……。すまなかった……」

「いいの、ナッシュ。いいのよ」

 ナッシュはメラグの肩に顔を埋めた。メラグを抱き締める腕が小さく震えている。
 泣いているの?なんて、メラグには聞けなかった。ずっと彼も我慢していただろうから。
 メラグはナッシュの腕をそっと撫でて、彼がしたように自分も口付けを贈るのだった。

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