変わらないもの/前


 帰宅後、入浴し湯船に浸かりながらトーマスは物思いに耽った。
 
 今までは一人の女として見られたいと思いながら、妹であるという身分に優越感を感じていた。
 クリスと接する誰よりも彼に甘やかされ愛されるからだ。
 しかし、それを越える存在が現れてしまったら?
 その不安と共に、いつしか妹という身分では物足りなく感じるようになっていた。
 そして何よりも、彼のことを思うと身体が疼いて仕方がなかった。今まさに、触れられたいと願い震えている。
 道を踏み外そうとしているこの身体と心は今日の会話で焦りもう止まりそうになかった。
 この二人きりであるチャンスを使うしかない…そう思った。


「クリス…」

 トーマスはクリスに近寄ると後ろから首に抱きついた。
 クリスは一瞬驚き、手にしていたコーヒーをローテーブルに置いた。

「なんだ、トーマス…髪が濡れていて冷たい」

 トーマスの頭を覆うタオルを動かして髪の水分を取ってやる。

「この体勢だとやりにくいな。床に座れトーマス」

 いつもと同じやり取り。手入れにずぼらな妹を甘やかし、髪を乾かしてやる兄。
 しかし、トーマスは顔を上げようとはしない。クリスの耳元で、ため息を一つついた。

「俺たち、血が繋がってなかったらよかったのにな」

「何?」

「なんで俺たち、兄妹なんだろうな」

「私たち家族に、不満があるというのか」

「あるさ。大有りだ。でも家族でよかったと思ってる。あんた以外は」

 そしてクリスから離れ、悲しみに歪んだ顔でついに自分の思いを打ち明けた。

「好きになっちまったんだよクリス…!あんたのことを考えると気が狂いそうになる…我慢すると壊れそうになる…。なあ、兄貴だろ?助けてくれよ…道を踏み外す悪い妹を、守ってくれよ……!」

 声を振り絞って言うと、トーマスは泣きそうになって俯いた。
 情けないが自制が利かなかった。
 これで自分は完全に道を踏み外してしまった。

 クリスはどういう風に自分を見るだろう。
 血の繋がった赤の他人?それとも優しいクリスだったら、馬鹿なことを言う妹だと、やはり兄として優しく包んで流してくれる?

 顔を上げられないトーマスの腕がひかれ、床に座らされた。
 驚いて上を見ると、ドライヤーを手にしたクリスがいた。

「風邪を引くだろう。…そしてこれは私の独り言だから気にしなくていい」

 電源が入り、熱風が髪を揺らした。やはりクリスの髪をすく指が気持ちいい。
 その中で、トーマスは辛うじて聞こえる声に集中した。

「私は多分…いや、間違いなく、トーマスを一人の人間の前に妹として見ている。それは私の兄としての自覚が強いからだ。」

 やはり自分は妹としてしか見られていないのかと落胆し、トーマスは告白したことを後悔しながら、クリスの言葉の続きを待った。

「トーマスは私と恋人の関係になりたいと思っているのだろう。壊れそうなほどにそう思っていると。ならば私は、兄としてお前を守りたい。お前に応えたいのだ」

「でも俺は…あんたに異性として見られたくて…触って欲しいし…キスしたいし…それ以上のことだって…」

「恋人が最終的に行き着くのは家族だ。トーマス。なら、最初から家族である者でも、異性として愛し触れることが決してないわけではあるまい。男が女を求めるのは本能の働きなのだから」

「でも兄妹じゃ…だめなんだろ…?だから苦しいんだよ…」

「血が繋がっているから、というのは理由になるか?それを禁断と決めたのは一部の人間が作り出した倫理観だ。しかし、人間が人間を好きになる、ということは変わることのない真理だ」

 ドライヤーを置き、クリスはトーマスに向き直った。

「お前が願うなら私は何でもしよう。何故ならお前を愛しているからだ。お前が世界の倫理を敵に回そうとも、お前を守り、味方でいる。お前を愛している。それが兄としての、私の応え方だ」

 ゆっくりとクリスの顔が近づき、唇が触れた。キスされた、と気づいたのはクリスが顔を離してからだった。
 自分の唇にそっと触れながらトーマスは呟いた。

「あんたには叶わねーや……あんたが兄貴だってことが……今…こんなに嬉しいなんてな…」

 どれだけ悩んだだろう。拒否されることを恐れただろう。
 でも、もう自分が間違っているとしても、何を敵にしても怖くなかった。
 期待した以上に、彼は応えてくれることがわかったから。
 兄という器は、自分が考えていたよりも深く大きかった。

「クリス…もう一回…」

 いつもは意地を張って兄が甘やかすのを受け入れる風を装ってばかりいて、自分から甘えることはほとんどなかった。
 でも今日はとにかく自分から甘えてみたいと思った。
 クリスはトーマスを膝に乗せ、もう一度唇を触れ合わせた。

「ん……んん…」

 何度か角度を変えて唇を吸い合い、お互いの背に手を回した。
 最後にリップ音を残して、唇を離す。トーマスは嬉しさと気恥ずかしさで、クリスの胸に顔を埋めた。

 初めてのキスは想像以上に気持ちよかった。心が満たされ、ずっと唇を吸い合っていたいと思った。

「何を考えている?」

「ん…キスが気持ちよかったってのと…今日一緒に寝たいなー…ってこと…かな」

「寝るだけでいいのか…?」

「…うるせーな!っ意地悪すんなよ…!恥ずかしい…」

 嬉しさと恥ずかしさから、トーマスはぷいっと顔を逸らした。
 クリスがその様子にクスリと笑ってトーマスの腰を撫でると、「ん……」と甘い息を漏らした。

「私の部屋に行こう。私に掴まっていろ」

 そう言うとクリスはトーマスを横抱きに抱き上げ、リビングを後にした 。


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