覚めない魔法をかけて
「もうこんな時間になっちまったが…クリス起きてんのか…?」
問題を解き終わり、時計を見ればもう2時だ。
同じ階には兄弟3人の部屋が並んでいる。ミハエルは部活で早いからもう寝ているはずだ。
トーマスは弟を起こさないように物音に気をつけながらクリストファーの部屋へ向かう。
彼の部屋に着くと、扉が少しだけ開いていた。
閉めたときに反動で開いたのか、寝ていたら勝手に問題集を取っていきなさいとの無言の配慮か。どちらにしろ用心深い彼には珍しいことだった。
(たまーに抜けてるんだよな、アイツも…)
扉の隙間から覗いた部屋は明るかった。しかしデスクにはおらず、ベッドにいるようだった。
電気をつけたまま寝てしまったのか?と思いながらトーマスがノックしようとした時、
「はっ……ッ…」
部屋の中から息のような声のような、良くわからない音が聞こえた。
「…?」
トーマスはノックをする手を止め、開いていた扉を少しずつ、音がしないように開けた。
クリストファーはベッドに座っていた。しかし様子がおかしい。読んでいたと思われる本はベッド脇のサイドボードに置かれ、本人は何か別のことをしている。
(これは…)
自慰だ。兄が自慰をしている。
よくは見えないが、間違いない。顔は下を向き、ドアの方の片膝を立ててその足の間で右腕を動かしていた。何より時折聞こえる切羽詰ったような息遣いがそれを確信させた。
兄とはいえ男だし、自慰をすることもあるだろう。しかしその瞬間を目撃してしまうことになろうとは。それ以前に、兄妹の枠を越え好いている男と性を結び付けている場面に、トーマスは遭遇してしまったのだ。
いつの間にかその様子に見入ってしまっていた彼女は無意識にゴクリと喉を鳴らした。
クリスは何を思いながら自慰をしている?脳裏に思い描いているのは誰だ?
クリスに快感を与えているのは誰?
万に一つもないだろう可能性を想像すると、トーマスの下腹部が震えた。
クリストファーはしばらく一定の速さで性器を扱き続け、最後に呻くと手の動きを緩めた。
射精後の倦怠感に包まれているのか、彼はトーマスに気づくことなく、肩で呼吸を整えている。
結局兄の自慰を最後まで見てしまったトーマスはそこで本来の目的を思い出したが、部屋に入るのも憚られ自室へ戻った。
トーマスは部屋に戻った後、自分のベッドに倒れこんだ。枕に顔をうずめ、先程の光景を脳裏に再現させる。
堅物で硬派な、普段彼からは全くかけ離れた姿。
自慰をするのであれば、少しは性行為に関して興味があったりするのだろうか。
彼が初めてを経験する女性は一体誰なんだろうか。
彼の手が触れ、彼の身体に触れる女性は誰なんだろうか。
「ふっ……っ……ん…」
気がつけば、トーマスの手は自分の性器へと伸びていた。
脳裏にはクリストファーの股の間にひざまづいて彼の性器を触る自分。
興味深げに数回擦ると、誘われるように口に含む。
舌を動かす度に気持ち良さそうに息を乱しいつもの優しい手つきで頭を撫でてくれる兄。
次第にその手はトーマスの性器へと伸びていく。
「ふ……んんっ……くりひゅ……」
左手を兄の物に代えて口に含み、右手で芽を下着の上から擦り上げるように撫でる。それだけの刺激では段々物足りなくなっていき、もっと強い刺激を求めて腰が揺れる。
トーマスは下着の中に手をいれ、直接芽を摘んだ。
現実では欲望に従い動かしているのは自分の手であったが、頭の中ではトーマスを乱しているのは間違いなくクリストファーだった。
「ふぁっ……あ…ぁんっ!そこ…ぁっ…だめ……だめ……っ!」
芽を強く押し、動かした。揺らされるような感覚に震え、妄想の中の兄に追い立てられ指を激しく動かす。妄想の中の自分は口から兄の性器を離し与えられる快感のままに喘ぐ。
快感に震える腰を浮かせ、彼女は自慰にふけった。
「あぅっ…ああっ……クリス…クリスっ!ぁうっ……は…あああっ…!!!」
しばらくして、トーマスは絶頂を迎えた。身体がびくびくと痙攣し、雌は存在しない雄を求めて脈動してうねり、愛液を滴らせた。
「はっ……はぁ………は……」
乱した息を静まらせていく。ぼうっと眼を開けるとそこに兄の姿はなく、聞こえるのは自分の息と心臓の音、そして時計の音。もう2時半を回っている。
止まれなかった。理性の命令に反し、本能と身体が彼を求めてやまなかった。
兄で自慰をしてしまった罪悪感と、求めても届かない、ただただ自分の夢想であると突きつけられた虚しさに胸を締め付けられた。
そう、これは夢だ。兄の自慰を見てしまったことも、兄を求めて震える自分も。全部全部悪い夢。
明日になればいつも通りに「おはよう」と言い、「昨日は寝てしまって部屋に行けなかった、ごめん」と素直に謝るのだ。
トーマスは疲れに身を任せ現実から逃れるように眼を閉じた。
幸せになる恋の魔法とはいうが、彼女はどうやら悪い魔法のほうにかかってしまったらしい。
それは甘美さをまといながらも苦しみと切なさを含ませ、しかし一度かかったらその毒ごと享受してしまわざるを得ないほど、厄介な魔法なのだ。
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