12.決断

 玉座の間に戻るため廊下を歩いていると、前方からバタバタと騒がしい音が聞こえた。付き従っていた兵達は武器に手をかけて万一に構える。ベクターは立ち止まるよう命令を出した。

「陛下!」

 前方の廊下から姿を現した兵はベクター見るや否や、息を切らして駆け寄った。やはり、彼はベクターを探していたのだ。その急ぎ方は尋常なものではない。慌てふためく彼の姿を見て、嫌な予感が胸に過る。

「…王妃陛下のご容態が…!」

「チッ、やはりな……。来たか…」

 予感は的中した。
 神が動いたのだ。要求に背いたベクターに、神は怒り狂っていることだろう。ベクターの出した結論を赦すはずがない。要求に背くことーーそれは、神への冒涜と同義だからだ。そして、代償としてメラグの魂をこの世から拐おうとしている。
 ベクターは報告を聞くなり突如駆け出した。

「陛下、どちらへ…!」

「お前達は城で待っていろ!」

 単身廊下を駆け、城の外に出る。闇雲に走っているのではない。ベクターの行き先は既に一ヵ所に決まっていた。それは城から少し離れたところにある神殿であった。ここには、メラグの魂を手中に収めた海の神が祀られている。
 神殿に着くなりベクターは呼吸も置かず、ばんと音を立てて扉を開いた。その音と突然現れた王の姿に、業務をしていた神官達は驚き一斉にバタバタと道を開けて跪いた。それを尻目にベクターは早足に奥へと進んで行く。目指すは再奥の部屋。そこへ辿り着くと、慌てる神官の言葉を振り切り扉を開いて中に入り込んだ。
 部屋の中にあったのは色とりどりの花に飾られた大きな祭壇、そして陣が描かれた床であった。祭壇の中央には祀られている神の像が設置されてある。神官達はここで祈を行い、神の言葉を聞いているのだ。
 ベクターは祭壇の前に立ち、神の御像を見上げる。本当は神の御前でとるべき作法などがあるのだろうが、そんなことをしている暇はない。それに神の怒りを買っている今、最早そんな細かな作法など意味を成さない。ベクターは立ったまま、乱れた呼吸を整える為に深呼吸を繰り返した。同時に逸る鼓動も落ち着かせてゆく。段々呼吸が鎮まり深くなってくると、一つ大きく息を吸った。

「メラグッ!!聞こえるか!内戦は終わった!俺の元へ帰って来い!」

 静寂を保つ空間に響いた、怒号にも似た声。そう、ベクターはメラグを神の元から呼び戻す為にここへ来た。彼女の魂は今神の元にある。神の声を聞けるここならば神の元へ…メラグの元へ、こちらから声を届けることが出来るだろうとベクターは踏んだのだ。
 神がベクターの決断に対して怒り、メラグの魂を拐うだろうということは、ベクターには解っていたことだった。しかし一度怒らせた神に匹敵するような力など、こちらにはない。そこで、メラグ自身に呼び掛けることを試みたのだ。彼女ならば或いは…。
 本当にそれが可能かどうかは、定かではない。徒労に終わるかもしれない。しかしベクターは、その僅かな可能性を信じた。そして、メラグを信じた。彼女ならばきっと、帰って来ると。

「もしお前の持つ巫女の力が、お前をそこに縛り付けているというなら、そんなもの必要ない!俺に必要なのは、「巫女のお前」ではない!俺は運命にすら…神にすら背く王だ!そんな愚かな王である俺を信じ運命を共にすると言った、愚かなお前自身だ!俺を信じるなら、この先も俺と共に歩むと言うなら…巫女の力も神も捨てて帰って来いメラグ!!」

 かつて巫女であるメラグの力を狙い、それを我が物にする為に近づいたベクター。しかし今彼は、その巫女の力を失ってでもメラグを取り戻そうと叫び続ける。彼女の名を何度も呼び続ける。彼がここまで、人を求めたことがあっただろうか。人の為に命を削り、声を枯らしたことがあっただろうか。
 ベクターはようやく気づくことが出来たのだ。彼女との間にある絆に。互いを信じ、支え合い、慈しむ…それが愛情であり夫婦の絆であると。偽りの夫婦であった二人に、その本当の意味をくれたのはメラグだ。だからこそそれを失いたくないと…彼女を失いたくないと、切に願った。
 やがて、声を出し続けていた喉は限界を迎えた。ヒリヒリと灼けるように痛む喉を押さえ、ゴホゴホと噎せながらベクターはその場に蹲った。唇を動かしても、出るのは息と微かな音のみ。叫んでも、天に届かせるような声はもう出ない。ベクターの声は、届いただろうか。或いは、徒労に終わってしまったのだろうか。ギリッと歯を食い縛り、ベクターは心の中で彼女の名を呼んだ。

「陛下…!」

 背後でベクターを呼ぶ切迫した声。ゆっくりとそちらへ振り向けば、部屋の入口で息を切らした一人の兵が跪いていた。彼はベクターを見るなり口元を緩ませた。

「メラグ様が…!」



「メラグッ!」

 声と共に、ばんと扉が勢いよく開かれる。医師と侍女が扉の方へ振り向くと、走って来たのだろう、息を切らせたベクターが立っていた。彼は呼吸をそのままにつかつかと寝台に歩み寄る。

「メラグ…」

 小さな掠れた声でベクターはメラグを呼び、横たわる彼女を見る。瞼はまだ閉じられたままだ。しかし先程、兵から一旦呼吸を止めた彼女が息を吹き返したと報せを受けた。声が届いたのか。偶然ではないのか。逸る心をなんとか抑えながら、白い頬を撫でる。

「メラグ、俺だ……。帰ってきたなら、返事をしろ……!」

「………」

 その時、僅かにメラグの唇が震えてひゅうっと息の音が聞こえた。一瞬のことだったが、気のせいではない。もう一度ベクターは彼女の名前を呼ぶ。

「ベク、ター…?」

 小さく、だがはっきりと、名前を呼ぶメラグの声が聞こえた。確かに、彼女の意志に基づき、目の前の彼女から出た声だ。生きている。彼女は自分の元へ帰って来た。ベクターはぎゅっと込み上げるものを堪えるように唇を噛み締め、寝台の脇に膝をついてメラグに顔を近づけた。メラグの手が僅かに震えながら寝台から上がり、そっとベクターの頬を撫でる。

「聞こえたわ、あなたの声…。ありがとう……あなたのお陰で、私は帰って来れた…」

「ったく…この俺に手間を取らせるとは、つくづく面倒な女だなお前はっ……」

 意地を張っていつものように言ってみたものの、意図せず声が震えた。身体の奥から眼に熱が伝わり、視界が霞む。それを振り切るように、ベクターは半ば衝動的にメラグの頭を抱き込んだ。震えるベクターの首に回された手が、優しく髪を撫でる。それがまた生還を実感させて、抱き締める腕に力が籠る。

「……帰って来たということは、本当に…俺と共に歩む気があるのか。…俺は神を敵に回した。それでも……」

「誰を敵に回そうとも、私があなたの味方でいるわ」

 ベクターの言葉に、メラグは小さく頷いた。衰弱していて身体の動きは弱々しくても、その紅い瞳の光は変わらない。ずっとベクターを見守り、行動し続けてきた、強い意志の籠った光。ベクターが再び見たいと望んでいた光だった。

「私ね、嬉しかったの……あなたが巫女の私じゃなくて、私自身を必要としてくれるって、言ってくれて…」

 そして今度はメラグの宝石のような美しい瞳が潤んでいく。彼女の涙をベクターはこれまでに何度も見てきた。しかし今見ているのは今までとは違う、苦しみや悲しみに暮れた表情から流される涙ではない。彼女は笑っていた。

「この俺に着いて来ようなんて度胸のある女はお前くらいしかいないからな。…メラグ」

 メラグの涙を指で拭い、名前を呼ぶ。
 その声は今までで一番優しくて、一番穏やかで、きっと今までで一番、愛に満ちている。

「好きだ…俺の傍にいろ、ずっと……。俺と共に、生きてくれ」

「ええ…。私も好きよ。だいすき」

 彼女の頬を両手で包み、ゆっくりと顔を近づける。メラグの眼が閉じられるのを見て、ベクターも眼を閉じた。唇の先が温かく柔らかいそれに触れて、そのまま重なる。この確かな温度が愛おしく手離し難くて、何度も求めるように重ねた。愛している。これからもよろしく頼む…そんな思いを伝えるように。
 長い時を経て今、二人はようやく「夫婦」になれたのだった。 

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