12.決断


「只今より勅令を下す!重臣を集めよ!」

 バン、と音を立てて扉が開かれると共にベクターの声が玉座の間へと響いた。突然戻ってきたベクターの姿に、また突然の命令に、待機していた家臣達は蜂の巣を突いたように慌ただしく動き始める。ベクターはその騒々しさを気に掛けることもなくツカツカと真っ直ぐ玉座に歩み寄って腰を掛け、瞑想するように瞼を閉じた。
 声と足音が止みベクターが瞼を開くと、重臣達が整列し皆膝をついて礼をしているのが目に入った。見慣れた顔達だ。そして、その緊張した重い顔つきも、見慣れたものだ。ベクターは玉座の上で居住まいを正し、息を深く吸い込んだ。

「勅令の前に、言っておくことがある。顔を上げろ」

 静かで穏やかな音。今までのような重々しいものと全く違う音のベクターの声。自分でもこのような声を出すことが出来たのかと思う程であるから、夙に聞いた家臣達はさぞかし驚いたことだろう。次々に皆眼を大きく見開いて顔を上げ、ベクターを見た。
 皆の視線を一身に受け、ベクターは静かに続ける。

「これまでお前達には苦労をかけた。俺のような王に従うのは、さぞかし苦しかったことだろう。これまで多くの過ちを、俺は犯してきた。だからこそ今、俺がこの国を変える。新しい国に、再生させてみせる」

「………陛下!」

 一人が声を上げると、口々に声が上がる。まるで春を実感するような笑みに、少し涙を浮かべて。声を詰まらせて下を向く者もいた。
 そう……長い冬が明けて今、この国に春が訪れた。ベクター自身、それを感じていた。感極まって泣く者、口々にベクターを呼ぶ声。これまでどうでもいいと思っていたものが、煩いとさえ思っていたものが、今は身体を優しく包む日射しのように暖かく感じられる。今までベクターを恐れながらも命を賭けて従ってくれた、その事実を今は唯有り難く思う。国とはそうして創られていくのだと、ベクターはようやく知ることができたのだ。メラグが、気づかせてくれたのだ。
 だからこそ、ベクターは選んだ。

「したがって、公会堂で中断した和議を再開し反乱軍と和睦を結ぶ。捕らえた者達を一人残らず解放しろ。地下牢に捕らえてある少年もだ」

 これが、ベクターの決断であった。

 穏やかな空気に包まれた広間が一変、ざわりと騒々しくなった。無理もない。ベクターが国を選んだ…その背後で犠牲となるものの存在を、ここに集った家臣は皆知っている。

「………ですが、王妃陛下は…!」

「これはメラグとの約束だ!」

 家臣達の声に被せるようにベクターの一喝が響く。騒然となった場はたちまち、水を打ったようにシンと静まり返った。ベクターは玉座から立ち上がり、鋭い視線で家臣達を見回す。変わったとはいえ全く威厳の衰えないその眼光に、再び緊張が一同に走った。

「メラグの意志は俺の中で生きている。それを無駄にするわけにはいかぬ!あいつもそれを望んでいる!」

 ベクターはメラグを犠牲にして和平への道を取ったのではない。
 国の再生ーーそれを目指してベクターもメラグも和議へと取りつけた。それがこの国に残されたたった一つの希望だった。それを無下にすることは彼女の希望を、心を殺すことになる。
 今ならわかる。命よりも尊い志があることが。命を懸けてでも、成さなければならない使命があることが。メラグはその為に生きた。その意志を、殺してはならない。
 歴史に修正はない。もう一度同じ道を辿ることもできない。ベクターはこれから先、過ちを振り向くことはないだろう。しかし忘れることは決してない。過ちを繰り返してはならない。選択を間違えてはならない。
 ベクターはこの国を護り導く、指導者なのだから。

「時間は残されていない…。すぐに取りかかれ!」

 ベクターは家臣に命令すると、自ら玉座を降りて指示にあたった。



 反乱軍の兵達にベクターの命令が伝えられ、軟禁状態であった彼らは解放された。いよいよ処刑かと死を覚悟していた彼らは驚き、生還を喜んだ。和議を再開したいとの言葉に首領は承諾し、翌日用意された席へと臨んだ。
 ベクターはまず会議の席で反乱軍の首領以下兵達に対して公会堂での非礼を詫び、以前出したものから大幅に変更された約定と条件を提示した。それと共にあの場では語ることのなかった己の心を語り始めた。会議に参加した反乱軍側の席の者はただベクターの対応に驚くばかりであった。
 提示の内容を見ずとも、姿を見ればその心は、彼が自分達に何を約束してくれるのかが解る。目の前の王はあの時見た彼よりもずっと穏やかな顔をしていた。

「王よ……あなたは私達の理想とする国を創ってくださいますか。私達の……理想とする王になってくださいますか」

「俺だけが国を創るのではない。お前達の協力が要る。今国が再び一つとなるときが来た。多くの犠牲を払い、この国の民には長い冬を過ごさせてきた。新しい時代の為に、お前達の力を貸してくれ。国を憂う真の志士…お前達がいればきっと、この国は揺るがぬものとなる」

「…王様……っ…!」

 蒼い瞳を潤ませ、反乱軍の首領はベクターの前に跪き、深々と頭を垂れた。後ろにいた兵達もそれに続く。ベクターは彼に立ち上がるように言い付け、その手を取った。彼もそれを握り返す。戦の終息、そして平和と安寧の訪れをその場に居合わせた誰もが感じ取っていた。

 ガチャリーー
 鍵の音がして、重い鉄の扉が開く。少年は目の前に現れた兵を見て無念と憎しみを滲ませた表情を歪めた。せめて、死ぬ前に一矢報いたかったと。
 しかし兵達の処置は少年の想像を遥かに外れたものであった。剣を向けられることもなく、手と脚に取り付けられた枷が丁寧に外される。少年は重みがなくなり自由になった手を、呆然と眺めながら動かした。

「王からのお達しである。貴様の犯した罪は王のご慈悲により赦された。貴様はこれより自由の身となった」

「ゆるす?王を殺そうとした、おれを?どういうつもりだ?」

「お前が手を汚さずとも、かつての王は死んだ」

 少年の問いに答える声が静かなこの牢に響いた。ザッと兵達が端に跪いて道が開けられたかと思えば、奥からベクターが姿を現した。何故彼自身がここへ。彼の意図が全く解らず、少年は威嚇するようにその姿をキッと睨み、口許に不敵な笑みを浮かべる。

「いいのか、俺を逃がして。またあんたの命を狙いに来るぞ」

「この国は生まれ変わる」

「は……?」

 細めた眼をぱちくりとさせる少年にベクターが近寄る。彼は何やら痛みを堪えるような表情をした後、膝を折って少年に視線を合わせた。少年は彼がこんなに近くにいるにも関わらず自分が自由の身であるにも関わらず、その態度に圧倒されて手を出すことは愚か動くこともできなかった。

「幼いながら、お前の国を思う心は見事だった。…お前のような子供が先を案ずることがなく、手を汚さなくていい国に、俺がしてみせる」

 今少年が見ている目の前の王は、少年が知っている…少年があの時殺そうとしていた暴虐の王と同一人物なのだろうかと思う程にかけ離れていた。表情も、仕草も、その佇まいも。まるで少年の兄であるかのように語りかけてくる。少年の純粋な心はベクターの考えは解らずとも、その心を感じ取った。

「ほんとうか…?」

「お前に約束してやる。これからの俺の政治を見て、お前が納得いかなければ再び俺に刃を向けるがいい。その時は潔くその刃を受けてやろう。だが俺ばかりが約束するのは不公平だから、お前も俺に約束しろ。これから先国を思う心を持ち続けるならば、真に国を守護する人材となれ」

「ああ、絶対なる!約束だ、王様!」

 少年がスッと小指を差し出し、ベクターはそれに自分の小指を絡める。傍から見れば子供じみた口約束かもしれないが、二人にとっては大切な誓いであった。少年の顔にも、王の顔にも、それを象徴するように穏やかな笑みが浮かんでいた。
 後にこの誓いの通り少年は文武に励み、王ベクターの重臣となり国を護る戦士として立派に成長することとなる。

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