12.決断


「陛下……。祈祷の終えた神官から報告があります」

 ベクターが最後にメラグの元を訪れてから暫く経ったある日のことであった。兵から伝達があり、ベクターは玉座の間へと神官を通した。二名の神官が王に見え、膝をついて深々と礼をする。神官は元より、彼らからの報告を受けるベクターの顔にも緊張の色が滲んでいた。
 ベクターは決断を保留する一方で神官達にこの海域を司る神へ祈祷をさせていたのだ。祈祷とはいっても、神とこちらから疎通をして願いを届けるほどの力は神官にはない。神の声を聞き、それを代弁するまでしかできないが、ベクターにはそれだけで充分であった。
 メラグの意識の失い方を見て、ベクターはある推測に辿り着いたのだ。 彼女の様子はまるで、身体はそのままに魂だけを抜かれたような状態であると。その巫女という身分から、魂が身体を離れて神の元にあるのではないかと考えた。自分自身まさかとは思う傍ら、巫女の不可思議な力の数々を思うと完全に否定はできない仮説であった。そこで神官を使って神の考えを探らせることにしたのだ。
 果たして、ーー驚くことにだが、ベクターの推察は概ね当たっていたのだ。

「陛下の御明察通り、王妃陛下の御魂は今神の手にあります。正しくは身体を司る部分は身体に残っているものの、意識、思考などを司る部分が神の元にあり、いわば分断されている状態です。しかしこのままでは、身体の機能も弱まっていくことでしょう」

「ならば、神に訊け。メラグの魂を捕らえるのは何故かと。我に求めるものは何かと」

「はっ…!」

 神官に命令し、ベクターは自室に戻るためマントを翻して玉座を降りた。廊下を進む足取りは、身体の奥から込み上げる何かを振り切るように段々と速まっていく。

(人の妻の魂を質に取り、王である俺を虚仮にするとはふざけた神だ。神だからとて容赦はせぬ。返答次第では神と戦争をすることも厭わん)

 ベクターの感情はここ最近、色が抜け落ちてしまったように無に近く、起伏がほとんどなかった。しかし今、新たな色がそこへ広がっていくのが解る。それは言うならば怒りーーーメラグの魂を捕らわれていることへの怒りと、そうすることでベクターを嘲笑い試すような態度を取る神自身への怒りであった。

 再び日が経ち、新たな報告がベクターの元に届いた。神の御言葉を聞き入れた神官が粛々と玉座の前に神妙な面持ちで並ぶ。

「報告しろ。神は何と言っている」

 ベクターの命に神官の長が重々しく口を開いた。

「はい。神は王妃陛下を……巫女を傷つけられたことにひどくご立腹をされております。巫女の魂を解放する条件として、『今捕らえている下手人と反乱軍の者…その全員の魂を生け贄に差し出せ』というものでございます」

 報告の内容を静粛を保ち聞いていた側近達が皆一斉に顔を見合せた。それまで眉一つ動かさずに聞いていたベクターも、眼を開いて小さく驚いたように声を上げる。

「……それは真か?」

「はっ……左様でございます。ここにいる全ての者が皆、同じ言葉を聞いております」

 開いた眼を今度はキッと細め、鋭い紫の光で神官を射抜く。玉座の間に緊張が走った。神官の下げられた顔にはうっすらと汗が滲んでいたが、その声はハッキリとしたものであった。

「…暫し考えさせろ」

 ベクターには神の言葉に対し、直ぐに結論を出すことができなかった。
 神はベクターに選択をさせようとしている。すなわち、国を取るかメラグを取るか、だ。今捕らえている彼らの魂を神に差し出せば、メラグは助かる。しかしそれは反乱軍の怒りに油を注ぐことになるだろう。衝突は免れない。
 メラグにもし意識があるならば。彼女はベクターから聞いて迷わず国の犠牲となるに違いない。彼女は元々、半ばその意思であったのだ。ベクターに何をされてもずっと引かなかったのも、一旦故郷に帰ったにも関わらずここへ戻ってきたのも、メラグはこの国の為なら…ベクターの為なら死んでも構わないと思っていたからだ。
 しかし今メラグが死んでしまったら…ベクターはどうなるのだろうか。恐らくもう二度と、何かを信じることは出来ないだろう。或いは、生きる気力さえも…。

 廊下を歩いていたベクターの足は無意識のうちに自然とメラグの部屋に向かっていた。護衛が立つ扉が見えて来たところで気がつき、ふと立ち止まる。 
 今この時に、彼女の部屋に行って何をしようというのだ。メラグが意識を取り戻すことはないのに。彼女を生かすか殺すか、それはベクターの手に委ねられているというのに。彼女の顔を見れば決心がつくのか。どちらかを犠牲にする決心が。ーー否、ベクターの心はもっと揺らぐに違いない。

「王様…」

 迷いの渦にあるベクターの元に、一つ声が届いた。少しばかり震えたような小さな少女の声。地面に視線を落としていたベクターがハッと顔を上げると、一人の少女が廊下の端で膝をつき、ベクターの方へ礼をしていた。

「お前は…。メラグの世話係の侍女か」

「はい…」

 ベクターも数度見たことがある緑の髪の少女。小さな返事を返したきり固く結ばれた口から幾度か喉を鳴らすような音が聞こえた。緊張しているのだろう。あるいは年端のいかぬ娘のことだから、他の者と同じようにベクターに恐れを感じているのかもしれない。

「フン…そんなに固くならずとも、お前を取って食ったりなどせぬ。…メラグに変わりはないか」

「はい」

「ならば用はない」

 ベクターは努めて平静を保ち少女に声をかけると、彼女にーーメラグの部屋に、背を向けて歩き出した。

「メラグ様はきっと、大丈夫です!」

 突如、先程までとは打って変わり、少女にしては大きく力強い声がベクターの背に届いた。ベクターは思わずその声に立ち止まり、彼女の方へと振り向く。

「メラグ様はいつも私に仰ってました。私は大丈夫だからと…。どんなことがあっても、いつでも…!だからきっと、大丈夫です!」

 ベクターの方へ膝立ちになった彼女は涙を流しながら切々とベクターに訴えた。しかしその橙色の両眼は強く、輝きを纏っている。眼を逸らすことが出来ず、ベクターはその輝きに見入った。色は違えどその光は、メラグのものに似ていた。
 彼女はメラグがベクターの意思一つ、声一つで生死を決められることになるなど、知りもしないだろう。しかしメラグと共にこれまで過ごし、ベクターの知らないメラグを知っている。ベクターに虐げられていたときも無茶なことをしていたときも、いつもメラグは少女に大丈夫だからと言って出ていき、そして戻ってきた。少女は信じているのだ。メラグならきっと、いつものように戻って来ると。
 それが、メラグと少女の絆なのだ。

(そうだ…!)

 突然目の前がパチリと弾け、雲が捌けて青空が広がってゆくように視界が広く明るくなった。暗く影がかかったようになっていた目の前の少女の緑の髪と橙の瞳がはっきりとした色をもって見える。

「………ありがとうな」

 気づけば、自然と口からそんな言葉が零れていた。長らくベクターの中で凍りつかされていた心が、その言葉と共に溶け出していく。人を、本当に愛しいと想う気持ち。人を信じる心。他人を思いやる心…。溢れ出たそれが、ベクターの心へと還っていく。
 ベクターは今にも駆け出しそうになりながら廊下を辿った。玉座の間へと戻るために。今度こそ、全てを終わらせる為に。
 息を切らすその顔には、もう迷いの色はなかった。

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