11.最後の賭け
反乱軍の首領の承諾により、和議が開かれることとなった。一時休戦との体で数回のやりとりを行い、場所は国の西側にある公会堂に決定した。ここは内戦で現在閉鎖されており、両陣営からも遠く公平な場所である。
このことに関してはまだ公にはなっていない。和議による王の不在を知られれば、王宮に攻め込まれる可能性がある。反乱軍も然りだ。両陣営共に、首脳となる人物にのみ知らせておくということを約定した。
和議は主に王と反乱軍の首領、この両名を中心に行われる。国王軍からは少しだけの護衛を連れてベクターのみ出向くこととなった。メラグには彼から労われた後、城での待機命令が出された。
「私も行きたいわ」
自室で支度をするベクターを手伝いながら、メラグはポツリと言った。
自分が言い出してここまで動いてきたことだ。後のことを彼に任せてこのまま自分はのうのうと休んでいるのは気が引ける。身体を休めるより、最後まで見届けたいと思った。
「お前にとっては息が詰まる話し合いになる。お前は役目を果たした。王宮で休んでいろ。後は俺の仕事だ」
メラグに振り向いたベクターは今までで一番自信に満ちた顔をしている。最近までの虫の居どころが悪く不機嫌だった顔が嘘のようだ。彼がメラグと同じように、この和議を成功させることに全力を傾けてくれていることが感じられる。
しかしその顔を見た途端、メラグは何故かざわりと胸が騒いだ。
メラグの説得の功あって首領の協力は思った以上に良好に得た。後は穏便に話し合い、両軍共々への声明を出すだけだ。道は順調に進んでいる。
しかし得体の知れない不安がメラグの胸によぎる。巫女として仕事をする中で培われてきた勘が、彼を一人で行かせては駄目だと言っている。しかしこのままもたついていては彼は行ってしまう。少し早口に、メラグはベクターに頼んだ。
「ね、居るだけでも駄目かしら…。余計な口は挟まないから…私も連れていってほしい」
「そんなに俺が信用ならんか」
「違うの。あなたと離れるのが嫌なの…」
言ってから、メラグはハッと口元を押さえた。彼が一人で行くことに不安を感じるのは確かだがもっと違う言い回しがあっただろうに、この言い方ではまるでベクターと離れることを「寂しい」と言っているようではないか。
「あ、いや、これはその……」
思わず言ってしまった失言にメラグはかぁっと頬を染めた。彼の機嫌を悪くしてしまったかと思いちらりとそちらに目を向ける。ベクターは顔をメラグから逸らしていたが耳がほんのり紅くなっているような気がした。
「全くお前は。正直に言ったらどうだ?それなら考えてやらんこともない」
ベクターは顔から紅みを消し、メラグに振り返ってニヤリと笑った。勝手に紅くなってしまったメラグを揶揄って楽しんでいる顔だ。しかし前のようなメラグを欺く為の顔ではなく、純粋に揶揄っているようだ。
「…もう……」
彼のマントに、メラグは顔を隠すように埋める。ベクターは準備を進めながらメラグの様子をクスクスと上機嫌に笑っていた。
「一緒に、行きたい。何もしないから、傍に居させて?」
「仕方がないな。着いていきたいなら勝手にしろ。だが余計な口は挟むなよ」
「わかってるわ」
ちょっと恥ずかしい思いをしたけれど、自分も付き従うことができた。嫌な胸騒ぎもあったが、巫女である自分が居れば大丈夫だろう。
身支度を整え王宮を出るベクターの一歩後ろを付いて歩く。彼の後ろに従わされることは何度かあったが、いつも気が重く、そして彼の背中はいつも遠かった。
しかし今メラグは自らその道を歩いている。その足取りは前と比べ物にならないほどに軽い。
歩きながら、マントをはためかせるベクターの背中はいつもよりも大きく見えた。
馬に乗ってしばらく行き、公会堂へと辿り着いた。扉の前で反乱軍の首領が数人の護衛を引き連れてベクターを待って立っていた。
流石に、両名に緊張が走った。敵対する勢力の頭となる人物が顔を合わせるのだ。一触即発の雰囲気に、誰もが緊張した。
「今日の和議に協力頂き、礼を言う。今日はよろしく願いたい」
「こちらこそ。王御自ら来て頂き、ありがとうございます」
第一声はどちらとも穏やかなものであった。ベクターの丁寧な物言いに空間を張り詰めさせていた緊張が幾分か収まる。二人は軽く手を取り握手をした後、公会堂へと入って行った。
事前に用意されていた席にそれぞれ着く。特に雑談などもなく、会議はすぐに始まった。
まずは内戦の状態そして国を取り囲む諸外国の情勢を合わせて情報交換し合い、戦局を確認した。その上で王国軍ーー王としての意見と和議に至った経緯とを述べる。
ベクターは至極冷静に淡々と事実を述べていく。元々この国は表向きの政治、経済などには問題のない国なのだ。ベクターは権力での圧迫をしてきたが本当のところは話術を得意とする。その上での人の心の掌握にも長けているのだ。
反乱軍の首領は、恐らくベクター自身と会うのは初めてであろう。毅然とした態度は崩さないが、その中に緊張が見える。そしてベクターが思っていたよりも理性的で頭のいい人間のように思え、また王国軍の反乱軍と国の未来に対する良心的な措置を講じるという姿勢から、徐々にベクターに対しての疑念と憎悪を取り払いつつあるようだ。
斯くして、和議は王国軍の心証よく、王国軍の有利に進んでいた。
しかしメラグはベクターの隣で、焦れったそうに眉間に皺を寄せながら落ち着きなく話を聞いていた。
(これでは駄目よ。表面上の話し合いでしかない…。もっと心を寄り添わせないと、本当の意味でのこの和議は成功しないわ。もっと心を開いて話さなきゃ…)
意見を言いたそうに半分口を開いては何も声を出さずに閉じる。ここに来る前に「余計な口を挟まない」と言って来させてもらったのはメラグなのだ。メラグには発言権はない。
メラグを置き去りにして、和議は進んでいく。もう議題は進み、半分程終わっただろうというところだ。相変わらずメラグは集中できないまま、ベクターと反乱軍の首領二人の話を聞いていた。
その時ふと、メラグは何かを感じ取った。ピリッと皮膚を刺し、胸を圧迫するような黒い、気配。得体の知れない気配がゆっくりゆっくりと強くなっていく。ただならぬ気配だ。
この会場でそれを感知しているのは恐らくメラグだけだ。ベクターは気づいておらず、話を続けている。反乱軍の首領も気づいていない。両陣の護衛もだ。
この気配はどこから。早く特定して、護衛に追い出して貰わなければ…とメラグはキョロキョロと辺りを見回す。だが部屋を見回しても怪しいものはない。
まさか、とメラグが下を向いてそれを捉えた瞬間、一瞬にしてそれは明確な殺意へと変わった。
「メラグ、何をしている?」
先程からソワソワキョロキョロと落ち着きないメラグに苛立ちを覚え始めたベクターは彼女の方に顔を向けて睨んだ。
しかしメラグと目が合うより前に、凄まじい形相をした彼女がベクターに飛び掛かった。
「危ないッ!」
メラグの声が耳に届いた時、ベクターは椅子ごと押し倒され背中から勢いよくガタンと音を立てて倒れた。突然の衝撃と痛みに顔を歪ませる。
途端に、ベクターの視界と聴覚の外が騒がしくなった。頭を打ってしまったおかげで一連の出来事への処理が追いつかない。一体何事だとベクターが頭を擦りながら起き上がろうとしたとき、顔に生暖かい雫が落ちた。
その感触に眼をバッと開く。目の前の光景にベクターはみるみるうちに眼を見開いたまま顔を歪ませていった。
唐突に、記憶の水底に仕舞ったはずの記憶が一気にフラッシュバックした。白い靄を纏いながらもそれは鮮明に映し出される。
自分を庇って白刃を受けた母親の死体、母を刺した父の歪んだ顔。そして自分が父の身体を千切れるほどに激しく刺し貫く光景ーーー
それはベクターの上に馬乗りになった状態で、後ろから身体を白刃に貫かれ白い巫女装束から血を滴らせる最愛の女性へと映像を結びつけた。
「うわああァァァ!!!メラグーーーッッッ!!!」
ベクターの中から何かが音を立てて崩れ落ちていく。我を忘れて叫んだ彼の悲痛な声が、未来を繋ぐ希望の場所であったはずの公会堂の中に響いた。
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