10.夜明けの訪れ


 メラグが戻ってきた日からベクターはメラグが部屋に入ることに対し何も言わなくなった。そして、ベクターが寝台で横になる時にメラグが膝を差し出すのもいつしか自然な流れとなっていた。
 今も、彼はメラグの膝に頭を乗せて何事か思案している。

「お前はどう思う。この国の行く末を」

 無音の時間が流れていた二人の間に、ポツリとベクターの声が割り入った。自分に意見を求める彼にメラグは驚きながらも自分の思うままを答える。

「国家と国民が手を取り合えば、建て直すことはできる。まだ遅くないわ」

「お前はあくまでも反乱軍と和睦を結べというのか」

「そうよ、一刻も早く。遅くはないけれど、反乱軍を止められている、今しかない。今を逃せば、もう取り返しがつかない」

 ベクターの、メラグの言葉を聞く表情は冷静であった。今までならば一蹴するようなものだったが、現在の状況を見て判断出来ないほどにベクターは暗愚ではなかった。現状、王国軍に徐々に不利になりつつある中で、武力をもって状況を覆すのは不可能であることはベクター自身が既に悟っていることだった。
 それに、周りには彼を助けてくれるような同盟国はメラグの故郷を置いて他はない。ポセイドン王国に援軍の要請をしても最短で2週間はかかる。援軍が来る前に王国の政権を奪われる方が早いだろう。
 この王国で尽くせる最善の手は、メラグの言う「和睦」の他にはなかった。

「亡命を、するつもりはないのでしょう?私が言えば故郷はきっと受け入れてくれると思うけれど……」

「亡命か。…フン、生き恥を晒すくらいならば死んだ方がマシだな。俺は一人になろうとこの王宮を離れるつもりはない」

「……一人なんて言わないで…。」

 メラグの発した言葉にベクターが顔を向けると、メラグは優しく微笑んだ。彼がこの城と運命を共にするならば、メラグもそれに殉じるつもりでいるのだ。彼を一人にしないために戻ってきたのだから。
 ベクターはそんな献身的なメラグの言葉に応えることはなく、自分の手を見つめながら言った。

「俺は、間違っていたのか」

 普段の彼からは考えられないような言葉。不意に心に浮かんだ一言をそのまま転がしたような、誰に向けるでもないその問いはただ静かに宙に浮いた。メラグはそれを拾ったが、否定はしなかった。

「誰だって、過ちはあるわ。人間誰しも間違いなく生きられるとは限らない。過去の過ちから学んで、未来を良いものにする。…それが、人間の歴史だと思うわ」

 いつしかーーそう、メラグがこの国に来たときに言った言葉だ。誰だって一度や二度、過ちはある。それは未来をより良いものにするためのものだと。

「恐怖で人を支配しても、必ずどこかで破綻が起きる。ーーこれは今までの歴史が証明していることよ。今ここで民と手を取るかどうかで、この国の未来は決まる」

 ベクターはメラグの言葉を聞いているようだが、彼の表情に変化がないため、何を考えているかはわからない。メラグは彼が何を考えているのか詮索しようとしたがぐっと堪えた。
 ここで彼を探ってはいけない。信じてもらうには、自分が信じなければ。ベクターに言葉が届くと信じて、自分の言葉を伝えなければ。

「人を疑って、人の心を利用するだけの悲しい政治は、もう終わりにしましょう。人との信頼と絆が新しい時代を作るのよ……それにはあなたが、民を信頼しなければ」

「……今更俺に他人を信用するなど……」

「できるわ。あなたならできる…私は信じているわ。私はあなたの妻ですもの」

 メラグは彼を見つめ、言葉に魂を込めた。そう、自分は彼の妻。自分の生も死も、彼と共にあるのだ。そう、メラグは決めたのだ。
 ベクターは見つめていた手を伸ばしてメラグの頬に触れた。するりと頬を撫でた手が肩を掴んだかと思うと、メラグは強い力に引き寄せられた。

「きゃっ…!?」

 小さく悲鳴を上げ、彼の胸の上に倒れ込む。背中に回された腕の存在が大きく感じられた。抱き締められている、と思うとメラグの心臓がドキドキと五月蝿く鳴り始めた。
 以前抱き締められていた時よりも乱暴だったが、以前よりも彼の腕を通して感情が伝わってくるような気がした。今のベクターはメラグを欺く為に抱き締めているのではなかった。

「…俺は、力が全てだった」

 しばらくの沈黙の後、ベクターはメラグの耳元で呟いた。メラグは何も言わず、彼の言葉の続きを待つ。

「……俺は幼い頃、親を亡くした」

「やっぱり……あのクローゼットに入っていたのは、あなたのお母様だったのね」

「……そうだ」

 メラグが秘密の部屋に訪れた時に見たもの。…ベクターの幼少期の面影を残すあの部屋のクローゼットの中には、白骨死体があった。標本のように綺麗に漂白されたそれは女性用のドレスを着せられており、骨であるにも関わらず一人の女性がそこに佇んでいるようであった。
 ベクターの思い出であり、大切な空間。彼がこの城を離れる気がないのは、あの部屋の存在もあってのことだろう。

「俺の母親は、父親に殺されたのだ」

「え……?」

 メラグは驚き、顔を上げようとしたが身体をガッチリと抑え込まれているせいでそれは叶わなかった。顔が見えない方が彼も話しやすいだろうと判断し、メラグはそのままベクターの話を聞いた。

「生まれつき俺は身体が強い方ではなかった。それでも母は俺を生かし守ろうとしたが、父は早々に俺を見限った。俺を跡継ぎにはできないと判断した父は次の後継者を作る為に俺の前で母を強姦した。俺は何も出来ずにそれを見ていた」

「……」

「母に子種を植えると、今度は俺に剣を向けた。お前は用済みだ、そう言って父は剣を振りかざした。殺される、そう思ったときに俺の前に母が立ちはだかった。母はそのまま、斬られた」

「ひどい……」

「俺はその時自分の身を守ることしか考えていなかったと思う。守ってくれた母はもう動かなかった。父が再び剣を振りかざし、俺は咄嗟に傍にあったものを投げつけた。一瞬の隙ができた所を狙って剣を奪い、父を刺した。その息が尽きるまで、何度も。…俺が8歳の時だ」

 8歳と言えば、病気で亡くなったメラグの両親はまだ健在だった時だ。家族と友達に囲まれて幸せな日々を送っていた。同じ時に、彼は両親を亡くして自らも命を奪われる危機に遭っていたのだ。

「恐らくそこから、俺の歯車は歪み始めていたのだろう。俺は王に仕立て上げられ、何もわからない裏で派閥の争いが起きた。俺が頼りにしていた者は皆政治の争いに巻き込まれて暗殺された。その他は権力を握る為に、俺を利用する為に近づく者ばかりだった。……その意図に気づいたのは14の時。俺は暗躍する者を全員処刑して傀儡ではなく自分の意思で王に君臨した」

 ベクターは何を思い出しながら話しているのだろう。彼の語りは驚くほどに淡々としていたが、メラグの背中にある腕は震えていた。メラグも堪らず彼の肩をぎゅっと強く掴む。

「俺は近づく者全てを信用しなかった。力を手にしたからだ。力さえあれば人々は皆俺を恐れ、俺を利用しようとする者も現れない。利用される前に利用する、殺される前に殺す。俺は次第に人の恐怖心を支配することを覚えた。国民や王宮の人間は皆俺を神のように怖れた。それが、たまらなく快感となっていった。…お前のこともそうだ」

 ベクターは腕を緩め、肩を掴んでメラグの上体を起こさせた。顔が向かい合う。ベクターの紫の瞳は揺れていた。

「俺は既に歪み切っている。頭の隅で罪悪感を感じようとも、それ以上に支配することの快感で掻き消されて行く……俺はもう戻れないだろう。……それでもお前は俺を……」

「私の心は変わらないわ」

 メラグはベクターの髪を撫でる。彼の真実を聞き震える心そのままに、メラグも瞳を揺らめかせながら微笑んだ。彼へのこの想いで彼の歪んだ心を包めるようにと願って。

「あなたの心の氷を溶かしてみせる。……ううん、あなたがもう、心がないと言うのならそれでも構わない。もう一度、創り直しましょう。私と一緒に」

 どちらから、唇を重ねたいと思ったのだろうか。まるで同じ意思を持ちそれが通じあったかのようにその流れは自然だった。メラグは気づけば眼を閉じていた。唇に重なるもう一つの温度に全ての意識を傾ける。背中に再び腕が回される。
 音を立てて唇が離れたかと思うと、ベクターは再びメラグの唇を吸った。何度も何度も、離れることが名残惜しいようなその動きがまるで母親を求める赤子のように感じて、思わずメラグは笑みを含んだ吐息を零した。

 長い間メラグを覆っていた暗闇に、一筋の光明が差す。長い長い夜が明ける。この光の中でなら、きっと最善の未来を見つけ出せる。
 メラグはそう確信しながら、彼の唇に静かに応えたのだった。

←戻る
←一覧へ戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -