10.夜明けの訪れ


 王宮は、戦争の最中だというのにシンと静かだ。メラグは暗い廊下を恐る恐る進んでゆく。
 大きな廊下から離れた細い廊下は、いくつも枝分かれしておりまるで迷路のよう。勘があっていれば、ベクターが居ると思われる王宮の中央である玉座の間の方面へ進んではいるはず。メラグは自分の勘と運を頼りに、廊下を歩いた。
 角を曲がると、細い廊下の奥にある大きな通路が視界に入った。見覚えのある廊下だ。見慣れた通路を見つけたことにほっとため息をつき、足早にそちらへと向かう。

「誰だ!」

 メラグが通路に出ようとすると、ジャキンという金属音、そして剣が十字に交差しメラグの前を塞いだ。…危ないところだった。一歩早く出ていたら刺されていたかもしれないと思うと、冷や汗が背中を伝う。
 しかし、この声には聞き覚えがあった。彼は確か、メラグの部屋の外にいた番兵だ。すかさずメラグは声をかける。

「私よ、メラグよ!」

「メラグ王妃陛下!?」

 番兵はメラグの姿を確認すると驚いて剣を仕舞い、彼女の前にひざまづいた。

「無礼な真似を……申し訳ございません」

「いいわ。仕方ないもの」

「しかし、王妃陛下は国へ帰られたとお伺いしておりましたが…」

「色々あって、戻ってきたの。彼は居るかしら」

「はっ…玉座の間の方に……」

「わかったわ、ありがとう。お務めご苦労様」

 番兵にニコリと会釈し、メラグは玉座の間へと向かった。
 内心、番兵の彼がまだ自分を「メラグ王妃」として認識していることに安堵を覚えた。自分はもうこの国にとって部外者であり、番兵に城の外へ連れ出されるのではないかという不安が少なからずあった。ベクターならやりかねないことなのだ。しかしまだ兵達の中ではメラグはこの国の王妃のままのようだ。
 メラグは廊下を早足で進んでゆく。玉座の間はこの先だ。歩を進めると番兵の影が見えた。
 彼らもメラグの影に気づいたらしく武器を構えて彼女に声をかけた。

「止まれ!誰だ」

 メラグはその声に一度立ち止まり、息を整えながらゆっくりと近づく。彼らに届くよう、なるべく大きな声をあげた。

「メラグよ。帰ってきたの」

「王妃…陛下……?」

「王はこの中にいるんでしょう?会わせて!」

「しょ…少々、お待ちを」

 番兵は二人目配せして合図を送り合い、その片方が頷くと扉の中へと姿を消した。メラグは彼らの協力的な態度にほっと一息吐き、扉の方へと歩み寄る。
 なかなか帰って来ない番兵に少し焦れながら、メラグは返答を待つ。しばらくして、玉座の間から番兵が戻った。

「陛下から入るようにとご返答を賜りました」

「ありがとう」

 メラグは扉に手をかけた。取手を持つ彼女の手のひらは汗をかき、心臓の鼓動は早い。緊張で早まった鼓動を落ち着かせるように大きく深呼吸をする。
 突然帰ってきた自分に、彼は驚くだろうか。それとも、また国へ帰れと冷たくあしらわれる…?そんな思いが渦巻く。
 しかしメラグにもここに帰ってきた「思い」と「目的」がある。ただ物見たさに帰ってきたわけではないのだ。ベクターに何を言われようとも、自分は引けないし彼にもう臆することはない。
 意を決すると、玉座の間の扉を開いた。


 王は玉座に腰掛け、眼を閉じて何か物思いに耽っているような表情をしていた。その様子は、眠っているのではないかと疑うほど。彼の近辺に人はおらず、兵たちは扉の近くに待機しているようだ。
 扉の閉じる音がすると、彼は眼を開いた。

「お久しぶりね、ベクター」

「……何故戻ってきた」

 彼の発した言葉は、メラグの予想を違えることなく棘をもってメラグを刺す。メラグは別段それに反応することも取り乱すこともなくゆっくり玉座の方へと近づいてゆく。

「事情は、あらかた聞いたわ」

「フン…それで?何をしに来た」

「妻が夫の元へ戻ってくるのに理由がいるのかしら」

「お前が来たところでこの状況が変わるわけでもなく、お前に今更構ってやる暇もない。大人しく故郷に帰っておけば戦禍を免れたものを、自ら死地に戻ってくるなど、愚かであるか、どこか狂っているとしか思えんな」

「さあ、どうかしら。でも、あなたが私を守ってくれたこと、嬉しかった。感謝しているわ」

「減らず口は相変わらずだな。お前は俺を苛立たせることに長けているようだ」

 彼と交わす久し振りの会話。夫婦の間では到底交わされることのないような、刺々しく相手を挑発するような会話。
 しかしそんな変わらない彼の姿と、彼の口ぶりにメラグはなぜか安堵を覚えた。彼が無事でよかった、その事実だけでも確認することができ、思わずため息と笑みが零れる。ベクターはそんな彼女をただ無言で一瞥する。

「陛下」

 静かな広間に声が響いた。ベクターとメラグは声がした扉の方へと顔を向ける。兵はつかつかと広間の中央へ来ると玉座の前にひざまづいた。

「東方面の戦況の報告です」

 報告を聞いたところで、メラグには戦のことはわからない。しかし、内容を聞くに王国軍にとってはいい状況とはいえないことだけはわかった。最初は勢力的に反乱軍を王国軍が鎮圧する形だったのが、少しずつ形勢を逆転してきているらしい。
 ベクターは兵の報告を聞き指示を出すと、玉座を立った。

「我は自室に戻る」

 傍らに立っているメラグには目もくれず、彼は広間を出てゆく。一瞬戸惑ったが、メラグはベクターの後を追った。後ろからついて来るメラグに気づいていただろうに、ベクターはメラグに是も非も、何も言わなかった。
 自室に入った彼の後について、メラグも部屋へと入る。

「俺以外の者が座るような椅子はここにはない」

 ベクターは自分の椅子に腰掛けながら、ようやくメラグに言い放った。彼はやはり後を追うメラグに気づいていたらしい。
 彼の言葉は彼女を歓迎しておらず冷たいが、言外にメラグが部屋にいることを許可しているようだった。

「結構よ。私が勝手に来ただけですもの。それよりベクター…体調は大丈夫なの?少し横になった方がいいんじゃないかしら」

 彼が発作を起こしてからそう月日は経っていない。それに戦の緊張からきているのか、メラグが顔色を窺うに少々疲れているようだった。
 しかしベクターはふいっとメラグから顔を背けた。

「お前に言われる筋合いはない」

「でも……疲れているみたいだわ。休んでいないのでしょう?臣下は何も言わないの?」

「自分の管理くらい自分でやっている」

 メラグの話を半ばあしらうようにベクターは返事をする。彼の態度はなんとなくナッシュを思い出させた。メラグが心配しているのをうざったく思い、ぶっきらぼうに返事をする機嫌が悪い時のナッシュと少し似ている。
 機嫌が悪いのは確かだが、おそらくベクターは思ったことをそのまま言っているのだろう。

「戦は、なんとかならないのかしら。私に何かできることはない?」

「言っただろう、お前が来たところで状況が変わるわけではない」

「でも!こんな戦争、無意味だわ。同じ国の人たちが争うなんて」

 メラグは思わず声を上げる。そう、無意味な戦いだ。国が疲弊していくばかりで何も利益を生まない。それどころか、近辺の国々につけこまれる可能性だってある。現に、この国はもういくつかの国から狙われている。
 
「反乱軍の首謀者と和議をすることはできないの?」

「無駄だ。奴らが狙うは俺の首。それを獲らぬ限り終わりはしないだろう。俺に不満を持つ輩は少なからずとも存在していた。お前の話を聞いた奴が剣を取ったーーそれだけだ」

「……どういうこと……?」

「反乱軍を探らせた。すると、お前の名前が出てきたのだ。『女王陛下の勇気ある抵抗を讃え、我らも今立ち上がるのだ』と」

「そんな…」

「お前はさぞかし満足だろうなぁ?お前の望み通り国が変わっている。そして俺はそれに対し何も出来ずにいる。反乱軍が小規模なら全員粛清しろと命を下せただろう。しかし反乱軍の規模は膨らみ、足止めをするのがやっとの戦力差だ。それに反乱軍には後ろ楯として、近隣国の、俺が戦争をした国からの援助を受けており、今後勢力は更に増すと考えられている」

 冷静に、口元に笑みを浮かべてベクターは言う。その嗤いは一体誰に向けられたものだろう。事情も知らずのこのこ帰ってきた酔狂な王妃に対してか、この危機的状況にあって手をこまねいて見ているしか出来ない自分自身に対してか。はたまた、この国の行く末に対してなのか。
 ベクターから発せられた、衝撃の真実にメラグは震えた。自分の取ってきた行動は、今形を変えて彼を追い込んでいる。自分はこのような事態を招くつもりで今までベクターに抵抗してきたのではない。

「違う……違う……そんなつもりで、私は…」

 しかし、メラグの抵抗は王の虐げに屈せず闘う姿として、同じく恐怖政治で疲弊していた国民に希望を与えていたのだ。メラグが望んでいなかったとしても。図らずとも結果、そうなってしまったのだ。これでは、メラグがこの内戦を引き起こすきっかけになったようなものではないか。
 いくら声を大にして違うと弁解したとして、その言葉は果たしてベクターに届くのだろうか。ベクターにはこの戦は遠き因果関係にあったとしてもメラグが招いたものとして映ってしまっている。「私を信じて」など、そんな都合の良い言葉を、今ここで吐くことが出来ようか。
 どんな時でも彼の眼を見据えてきたメラグは初めて、ベクターの視線に耐えられず眼を逸らしてしまった。

 しかし、その一方でベクターはメラグに対して何の罰を下そうともしなかった。そこまで判っているならば、彼はメラグの入国を許さなかったはずだ。もしくはあえてメラグを招き入れて捕らえ、戦犯として処刑することもしたはず。メラグの見てきたベクターはそういう男だった。
 しかしメラグは今生きて、立っている。それどころか、余人が入ることのできない彼の部屋にいる。ベクターは一体、何を考えているというのだろう。

「私を罰するの?この国に戦を招いた戦犯として…」

「何か勘違いしているようだな。俺に楯突き戦を起こしたのは自分であると言いたいのか」

「私の行動が招いた結果のようなものじゃない」

「お前を見せしめに罰して、状況が変わるならしないでもない。だがそれこそ無意味なことだ。時間の無駄に過ぎん。お前は処刑される為に帰ってきたのか?」

「いいえ、いいえ!そんなわけないわ」

「ならば、何の為に帰ってきた。俺を嘲笑いにきたのか?間違った政治を行った為に国民の反感を買い、自業自得で内乱を許した末に今命の危機にすら陥っている暗愚の王だと!」

「やめて!」

 口元は上がって歪んだまま、眼は怒りに見開き声を荒らげるベクター。彼は今神経をすり減らして疲れているというのに、何故自分は彼を苛立たせてばかりいるのだろう。信じる、信じる、と言いながら彼の腹を探ってばかりではないか。
 メラグはベクターに近づき、彼の首もとに腕を回した。心臓の鼓動を聴くと、人間は本能から気持ちを安らげるという。彼に効くかどうかはわからないが、何もしないで突っ立っているよりは、彼の為になるのではないだろうか。

「離れろ。犯されたいのか」

 ベクターから発せられた一言は、メラグの背筋を恐怖で凍りつけるのに充分なものであった。
 今まで彼はメラグを虐げて来たとしても一線を越えることはしなかった。単に彼の興が乗らなかっただけかもしれないが、処女であるメラグにとっては、愛情なく身体を求められるよりも有難いことだった。貞操は、女にとって命よりも重いものだから。
 しかしベクターはその一言を発する程に苛立っている。メラグは気丈に笑い声を震わせながら、それに応えた。

「いいわ……。私を犯して」

 今更何を言ったところで最早ベクターの苛立ちを収めることは出来ないだろう。余計な言葉は彼を怒らせるだけだ。ならば、彼の気が済むまで黙って身体を差し出すまで。…それで彼を少しでも癒せるなら。怖くて脚が震えるが、彼の為になるなら嫌ではない。
 メラグの震える背中に、静かな体温を感じた。

「身体が震えている癖によくそういったことが言えるな」

「…身体が震えるのは仕方ないわ……。でも、少しでもあなたの心を潤せるならそれでも構わない」

「お前は愚かで酔狂な奴だと思っていたが、俺の想像以上に酔狂らしいな。お前にいちいち苛立つのが馬鹿馬鹿しくなってくる」

 先程よりも、言葉に怒りの色がなくなっている。怒りが収まったのか、はたまた、メラグに呆れたと言った方が正しいのか。いずれにしろ彼の様子が変わったことに、メラグはほっと息を吐く。

「疲れた。俺は横になる。離れろ」

 ベクターの言葉に、メラグはすんなりと身体を離した。何も言わず、寝台に向かうベクターの後ろ姿を見送る。
 すると、振り向いたベクターに「来い」と声を掛けられた。先程のやりとりからドキッとメラグは心臓を鳴らしたがさして抵抗することなく寝台に足を運んだ。

「膝を貸せ」

「え…?」

 一瞬彼の意図が解らず、メラグはきょとんとして聞き返した。

「何をしている。そこに座れ」

 彼の言うままに靴を脱いで寝台に上がり、指された場所に座る。するとベクターは、メラグの膝を枕にするように頭を乗せて横になった。

(あっ……)

 先程とは違う意味で、メラグは心臓を鳴らした。早くはないが何時もより大きく感じる自分の心臓の音を聞きながら、メラグは頬を染める。思わずクスリと笑みが零れた。彼の気に障らないよう、そっと明るい橙色の髪を撫でる。
 彼は横になったものの眠いという訳ではないようで、眼を開いたままメラグの手を受けている。

「私ね、あなたに『使ってもらいたくて』戻ってきたの」

「お前の身体をか」

「あながち、間違ってはいないわね。……私が使って欲しいのは、私の巫女の力よ」

 巫女とは、神と意識を通じ合わせ、国の繁栄を影で助ける役目にある。国の繁栄を祈願し、国に対して神が怒りを放ったときにはその怒りを鎮める為に祈る。そして、神から信託があった際にはそれを国の皆に伝える。
 それとは別に、巫女は生涯において一度だけその神の威光を操ることができた。

「神の威光は見る者の心を浄化して魅了し、いかなる者をもその御姿の前にひざまづかせることができる。それを使えば、双方の軍は瞬く間に神を畏れて戦意を喪失し、神の御言葉を聴きそれに従うでしょう。そうして国の戦争を収めた巫女の話を聞いたことがあるの。…あなたも、その力を聞いたことがあると思うわ。だから、私を」

「フン……。そういえばそうだったな。それを使えばこの国の戦を収めることができるとお前は言いたいのか」

「ええそうよ」

「その力を使うには?」

「……私を生け贄にして、巫女の心臓を捧げるの」

 まるでベクターに世間話をするような口振りのメラグは自分でも驚くほど冷静であった。きっと自分は先程までよりもずっと穏やかな顔で話していることだろう。
 ベクターは表情をこれといって変えるわけでもなくただじっとメラグを見ていた。

「大層なことを言っているようで結局のところお前は死にに戻って来たのではないか」

「一緒にしないで欲しいわ。ただで死ぬわけじゃないもの。この国に平和と繁栄を取り戻すため。そして、あなたも神の威光で浄化され、神があなたを良き方向に導いてくれるわ。……私の命一つで、これ以上血を流さなくて済む」

「……くだらん」

 一言そう言ったかと思えば、ベクターはさほど興味がないとでも言うようにふいっとメラグから視線を外した。一体何に対してくだらないというのだろうか。
 ベクターは巫女が持つこの力を手に入れる為にメラグを手に入れた。そして国の危機が訪れた今、当の本人が全てを捨てて命を使う覚悟までしているというのに。

「何よ」

「俺は神にひざまづくつもりなど毛頭ない。ましてや神の意思でこき使われるなどもってのほかだ。お前のその小さい命で召喚した神など、俺はありがたくも何とも思わん。そんなものの為に使うなら俺にとってお前の価値はそれまでだ」

「ベクター……」

「お前は使う。だが、俺にとってもっと有意義になるようにだ」

 果たしてこれは、自惚れていいものなのだろうか。メラグのいいように変換しても構わない言葉なのだろうか。メラグは気づけば肩を震わせてしゃくり上げていた。
 ベクターはメラグの方に再度振り向くと、彼女の眼を濡らす雫を指で拭った。

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