マーメイド・シャーク/中(上)
いつものように、ドルベはナッシュの部屋に来ていた。扉を少し開けて覗く。誰もおらず彼は一人で寝台にいた。
彼が犯される場面を見ながら待つのは気分のいいことではなかった。彼のその姿を見ると、焼けつくように胸が痛むから。
今日はその場面に遭遇せずに済み、内心ほっと溜息を吐いた。
しかし、彼はいつもの「寝ている」のとは違った様子だった。顔が青ざめ、ぐったりとしている。
「…ナッシュ?」
思わず彼の元へ近づき、呼吸を確認する。…呼吸をしていない。
口を開くと、ドロリと唾液と精液が混ざったものが流れ出た。ドルベはそれを全て掻き出して上に向かせ、砂浜で彼を保護した時のように応急処置を行う。
よく彼を観察したところ、無数の赤い印とは別に、首元になにかあざのようなものを見つけた。それは明らかに首を絞めた痕だったのだ。
(酷いな…)
恐らくは首を絞めて呼吸がままならないところに、精液を口の中に出したのだろう。ナッシュはそれが原因で窒息状態に陥っていたと思われる。
自分が見つけなければどうなっていただろう、と考えてドルベは背筋がゾクリと凍えた。
「は……はぁ……」
彼に呼吸を送りながら様子を見ていると、小さいながらに彼が呼吸を始める音が聞こえた。まだ弱弱しく、一人での呼吸は難しいようだ。ドルベはさらにゆっくりとナッシュの肺を空気で満たしてやる。
しばらくして、腕が弱く叩かれるような感覚がしてドルベは彼から顔を離した。薄く眼を開いたナッシュが大きく呼吸をしながら、ぼんやりとこちらを見つめている。
「気がついたか。よかった……」
ナッシュは眼をぱちぱちさせ、何か言いたそうな……強いていうなら、何故お前がここに、と問うているような眼をしている。
ドルベはどう答えるべきかと困ったが、逆に彼に聞いてみた。
「ナッシュ……湯浴みに行かないか。この状態では、心地よく眠れないだろう」
「………?」
突然のことに戸惑う彼を、いつもしているように抱き上げる。ナッシュに腕を叩かれて怒られたが、笑って躱し、浴場へと運んだ。
ナッシュはドルベがするままに座らされ、後ろにいる彼に寄りかかった。その胸に身を預けながら、彼が石鹸で自分の全身を洗って行くのを見る。
この手つきは、ナッシュが意識の底に感じたものと同じだった。
(お前……だったんだな)
彼から与えられるのは快楽ではない、心の安らぎから来る気持ち良さ。自分を労る優しい手つきに、ナッシュは安心して身を任せていた。相手が以前自分を助けてくれた人間だと思えば、尚更。
「すまない、……少し、失礼する」
ドルベの手が、下半身へと下がった。驚いて咄嗟に自分の手で阻止し、彼を見上げる。
「……抵抗したいのはわかる。だが、ここも洗わなければならないんだ。放っておくと、大変なことになる」
ナッシュの弱い抵抗を少し強引に退け、片手で脚を洗いながら、後ろの孔にもう片方の手の指を入れた。ぐちゅりと掻き出され、白濁液が中から流れ落ちて行く。
「っ……ふぅ、……は、っ……」
秘部を触られる感覚や精液が流れて行く感覚、ドルベが身体を洗っていく手つきが、快感に慣らされてしまったナッシュの中で別の意味を持ってしまった。
ナッシュは襲いかかる快感から逃れようと、ドルベの腕を掴み、身体を仰け反らせた。彼の性器はすでに勃起し始めている。
「辛いか、ナッシュ……すまない」
謝りながら、彼はナッシュの身体を丁寧に洗い、湯で流していく。
しかし、ナッシュはもう限界だった。自分で、自分のモノを扱き始めた。彼は突然のナッシュの行動に、驚いたように手を止めた。
散々人のモノを擦って、舐めて、嫌というほどに快感を引き出し続けた手は、その技術でもってナッシュ自身を高めていく。
「はぁ、はぁ……っはぁ、はぁ」
ドルベが見ていようが、最早関係のないことだ。それよりも自身の熱を冷ましたかった。
それに、彼も男だ。あの、自分を抱きに来る兵士たちと同じ……男なんだ……。そう考えれば、自棄になって自身を擦っても何も感じなかった。
だが、彼はナッシュの身体を見てはいたが、触ることはしなかった。目の前で自慰に耽っていくナッシュを、どこか悲しそうに見ている。
やがて、ナッシュは果てた。吐き出した精液は、身体の汚れと共にドルベが流してくれた。
「すまない……」
ドルベは再びそう言うと、ナッシュを抱き上げて浴槽に座らせた。温かい湯が身体を包んだ。
「少し、温まるといい」
ドルベがニコリと笑ってその場を去ろうとすると、咄嗟にナッシュの手が彼の腕を引いて動きを止めた。
ナッシュの眼から何かを感じ取ったのか、彼は大丈夫だ、と囁いてナッシュの腕を取った。
「私も洗ってくるから少し待っていてくれ」
そう言って彼はナッシュを残して自分の身体を洗い始めた。
しばらくして、ドルベはナッシュの元へ戻った。兵士が5人程入れる浴槽だから、広い。二人は片隅に隣り合わせになって座っていた。
ふと、ナッシュがドルベの腕に文字を書いた。それに気づいた彼が聞き返す。ナッシュは同じ文字を綴った。
『お前だったのか』
「何のことだ?」
『いつも俺を、洗ってくれてた』
「……気づいていたのか」
『なぜ、こんな真似をするんだ?』
「私がただ、やりたいだけだ。……私が君をここへ連れて来なければ、こんなことにはならなかった」
『ドルベのせいじゃない』
「君はそうかも知れないが、私はあの時てこでも君を止めておけばよかったと……今も思っている」
『俺は大丈夫だ、これくらい。ここに来るのは俺が望んだことだ。俺はここで、機会を待っている』
「……それは、どういうことだ?」
『詳しいことは言えない。だが、いつかお前には話すつもりだ。世話になったから』
ナッシュの動きが辿々しくなったように感じて、ドルベは彼の方を見た。湯でのぼせてしまったのか、ぼんやりとしている。
「少し浸かりすぎたようだな。出ることにしよう」
ナッシュの身体を抱え上げ、再び浴場を出て部屋へと戻る。ドルベは着替えたが、ナッシュは裸で、手を拘束されたまま。寒くならないようにと、彼は丁寧に布団までかけてくれた。
「今日は……少しだけでも君と話せてよかった。また来るよ。……おやすみ」
ドルベは寝台に横たわるナッシュに声をかけて、去ろうとした。
ドルベが出ていってしまう。
突然、ナッシュの胸を何かが苦しい程に締め付けた。歩くことすらままならないはずの脚がいつの間にか動き、扉を開けようとする彼の腕を掴んだ。
「どうした?」
驚いたように振り向くドルベの背中に、ナッシュは文字を書いた。
『俺を抱かないのか』
「ナッシュ、何を……!?」
『なぜ、俺を抱かない?』
この城の全ての男から性欲処理の対象として見られているなかで、彼は一切ナッシュに対し性的な意図を持って接触をしてこなかった。それが疑問だった。
『俺がきたないから?』
「……そうじゃない」
『じゃあなぜ』
「君は、私にとって……性欲処理の為の道具じゃない。君はナッシュ。人なんだ。君の、人としての尊厳を壊したくない」
王の命令である以上、それに反発するのはドルベでは無理なことだったのだ。
ならばせめて、自分と居るときは人間でいてほしい。だから、彼を洗い続けるのだ。少しでも、道具として扱われた汚れを落として、人間でいられるように。それがドルベの償いの仕方だった。
しかし、ナッシュの心は不安が渦巻いた。
ドルベが自分を他の者同様「使って」くれれば、諦めがつく。彼を憎む人間の対象にすることもできた。
しかし彼はナッシュをまるで、大切に飼っているペットを愛でるように、その優しさで、憎しみに荒んだ心も快楽しか考えられない身体も包んだ。
だから、彼が居なくなることでそのヴェールが剥がされることに恐怖を覚えたのだ。
ナッシュは彼の背中に額を付け、指を震わせながら文字を綴った。
『いかないで』
「ナッシュ……」
ナッシュの震える文字が、悲痛な叫びに聞こえたのだろうか。ドルベはナッシュの方に振り向くと、彼より一回り細く小さいナッシュの身体を抱き締めた。
自分は抱き締め返せないから、彼の胸に頬を擦り寄せた。同じ石鹸の匂いが鼻腔を擽り、彼の鼓動が聞こえる。身体の緊張が和らいで行く。
『抱かなくていいから、居てくれ。俺が眠るまでで、いいから』
「わかった……」
彼は再びナッシュを抱えあげて部屋の奥へ戻り、寝台へ寝かせた。労るような手が、ナッシュの青い髪を撫でる。
「おやすみ、ナッシュ」
ナッシュはその手の心地良さを感じながら眠りに落ちて行った。此処へ来て初めて、彼は人のように眠ることできた。
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