3
「――――」
「はい、僕の勝ち」
うるしが自身の勝ちを告げたことにより、茫然自失していた凛電はようやく我に返った。
「い、いやいやいやいや待って下さい」
「と言われても、もう終わっちゃったし」
ね? とニコニコ笑顔を貼り付けて凛電を見るうるしは、
「じゃ、何にしよっかなー」
などと、わざとらしく声を上げて考える仕草をしてみせる。
待つ側としては気が気ではない状況の中、ふと、うるしが何か思いついたような表情をしてにんまり笑い、やがて凛電に向き直って、
「『萌え萌えキュンキュン(以下自重)』」
輝かんばかりの笑顔で言い放った。
「――――――はい?」
「負けたら言うことを聞くんでしょ? 今の言葉をいつもの声量で言ってみてよ。それだけなら簡単でしょ?」
「な……!!」
罰自体は確かに軽い。一時の恥を忍んで今の台詞を言うだけでいいのだ。
しかし、やはり邪魔するのが男(寄り)としてのプライドなのである(メイド服を着ている時点でそのようなプライドが残っているのかすら謎だが)。
しかし今の自分はあくまで店員。例え目の前の人物が自分をこんな目に遭わせた元凶でそもそもこのクラスの副担任だろうがこの人物は客なのである。
男(寄り)としてのプライドか、店員としての義務か。
凛電は、今の自分にとって究極の二択を前に思考をフル回転させた。
実際はほんの数秒間の時間がやけに長く感じるほど考えた末、
「…………い、一回だけでいいんですよね?」
「モチロン。さあ、心置きなくどうぞ」
では、と、凛電は湧き上がる羞恥心に赤面しながら、深呼吸して、
「――――も、もえも」
「あれ……?」
瞬間。
「パ」
開いた教室の戸が勢い良く且つ高速で閉じられ、戸の隙間から覗いていた義理の愛娘っぽい姿の確認は叶わなかった。
◆◇◆◇
――えっと。
1S在籍の生徒・末数は、今し方閉めたこの薄い戸の向こうに見えた光景についてのリアクションに悩まされていた。
「末数さん……あの、どうしたん、ですか……?」
「え!? あ、うん、あは、あはは、な、何でもないよ!?」
隣で自分を見上げてくるクラスメイト・瑠璃綴のキョトンとした顔に苦笑いを返しつつ、末数は回れ右することで身体の向きを180度変えた。
頭上に?マークを浮かべる瑠璃綴の肩に手を置き、平常心平常心と心の中で繰り返す。
「ざ、残念なことだけど……凛電先生は今、用事で教室にいないらしいんだ」
だから、
「な、なんかお店も忙しそうだったし、帰ったら土産話を沢山してもらいなよ。だから今日は、入るの止めとこう。ね?」
今、自分の笑顔は引きつっていないだろうか。
末数はそのことで心中ハラハラしながら、ここに至る経緯を思い出す。
知らない者も多いが、瑠璃綴は3Sの担任を勤める教師・凛電の養女である。つまりは義理の親子なのだ。
いつもは自分から意見を言うことのない瑠璃綴だが、さすがに文化祭イベントの空気に触発されたのか、短時間でいいから親子で出し物回りたい、と主張したのだ。
1S内での反対意見も出ず、3Sの教室までの案内(というより引率)役を末数が引き受けることになり、こうして目的地に辿り着いたのだが。
「(い、今のって……凛電先生、だった、よね……?)」
末数が知っている凛電は、鍔の広い帽子に軍服のような服を着ていて、長い髪はおろされている。
決して可愛らしいメイド服を着てはいないし、頭にはヘッドドレスを付けていなければ髪型はポニーテールでもなかった筈だ。
何が悲しくて、クラスメートの義父がメイド服のコスプレをしていた現場に遭遇しなければならないのだろう。
とりあえずずっとここにいるのもなんだと思い、「行こっか」と声をかけると、瑠璃綴はほんの少しだけ残念そうに表情を曇らせたが、すぐに返事をして戸に背を向けた。
末数はそのことに割と本気で安堵しながら、2人は来た道を戻り始めた。
「な、なんか、ごめんね」
「いえ……末数さんが、謝ることじゃ、ないです……」
「あ、そ、そうだよね」
「はい……」
「…………」
「…………」
「…………(き、気まずい……)」
お互い、そんなに口数が多くないことが今になって災いした。
何か話題を見つけ、瑠璃綴の落胆を少しでも紛らわせられれば……と必死に考えていると、
「あ、あの……」
「!?」
瑠璃綴から声をかけてきた。
そのことにびっくりしつつも嬉しく思いつつ、もしその話題が凛電だったらと思うと、気が気ではなかった。
1Sのメンバーもとい末数は、当人がクラスに在籍していることもあり、凛電がなかなかの親バカ(無自覚だろうが)ということを知っている。
そんな親バカが、純真無垢な愛娘から「今日メイド服着てた?」などと訊かれれば最後、明日からこの学校から教師が1人減ってしまう。
よって、瑠璃綴が、
「さっき、お店、チラッと見えたんです、けど……ポニーテールのメイドさんが……」
と話し始めた時には、
「(あ、凛電先生ショック死フラグ)」
などと本気で確信してしまった。
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