凛子さんの杞憂




 凜子(リンコ)はこの上なく困っていた。口下手で喋ることが苦手な凜子が誰かに助けを求めようか迷うほど困り果てていた。彫深いとは言えぬ顔立ちにはあまり変化はないが、分かる人にはその二つの眉が僅かながら歪んでいるのが分かるだろう。日本人形と陰で言われる凜子の墨に浸かったかのような黒髪は肩に届くか届かないか微妙なところで揺れ動く。別に大して邪魔ではなかったが、手持ち無沙汰だった手で耳に横髪をかけて、こくりと唾を飲んだ。

 感情が表に出にくい凜子をここまで動揺させるものは、彼女の目の前にあった。


 大の男が大の男を押し倒している。床に。ちなみに教室で。


 凜子は決してそういうものに嫌悪感なるものを抱いたことはない。まず異性との恋愛にも疎い凜子には同性での恋愛なんて未知の世界を越えてむしろ異世界だ。男だろうが女だろうが人の恋沙汰なんて凜子の関係ないところで行ってほしい、それが凜子の願いだ。


 だがまさか神聖なる教室で、そんな行為に及ぼうとしている者がいるなど考えもしなかった凜子の目に広がる光景。ドラマのキスシーンですらそっと目を逸らす凜子の頭はキャリーオーバーで、とりあえず髪を耳にかけてみたけれど何も変わらなかった。


「すっ、鈴木さ……っ!?」

「……なっ、ちょっ」


 ドアを普通に開けた凜子に気付かないわけがなく、慌てた様子で起き上がる男二人。彼等がクラスメイトであることに今更気付いたが、今の凜子には無意味な情報だった。

 そしてはたと気付く。これはお邪魔虫というものではないのだろうか。今彼等は恋人同士が行うようなことをしていたようだし、例えここがその行為にそぐわない場所であったとしても乱入者は凜子だ。一刻も早く出ていくべきである。髪をかけている余裕なんてない。


 すまなかったという意味を込めて一礼した凜子はそのままドアから一歩下がった。


「待って鈴木さん! 何か勘違いしていないか!? 今、俺らは転んだだけであってっ」

「俺が好き好んで野郎を押し倒すわけねえだろ!」


 必死に言い訳をしてくれる男達。邪魔してしまったのではないかと凜子が気まずくないようにだろう。逢瀬のひと時を壊してしまったのは凜子のほうだというのに、何て心優しき男達なのだろう。凜子は思う。彼等には幸せになってほしい。

 そっとドアを閉めようとしたのに、慌てふためいてドアをこじ開けようとする男二人。よく見ればそれが押し倒していたほうが日頃皆から恐れられている不良で、押し倒されていたほうがいつも厳しい表情を崩さない違った意味で怖いクラスの委員長なのだが凜子は悟ってしまった。彼等の恋には障害が多い。同性であるだけでなく、学校では毎回のように衝突している二人だ。それぞれのイメージが真逆の二人の恋は、誰にも言えずに二人だけの秘密であったのかもしれない。だからこそ放課後、誰もいない教室で会っていたのだろう。


 なんたることだ。

 数学のノートなんて今日持って帰らなくても、明日早くに登校して課題を済ませればいい話であったのに。


 悔やんでも悔やみきれない。


「待てやゴラァ! お前本当に勘違いしてるだろ! 目ェ合わせろ!」

「馬鹿が! 繊細な鈴木さんが怖がるだろう! 脅すんじゃない! 鈴木さん、冷静になって。俺らがそんな関係になるわけがないだろう?」

「脅してねえよ! 説得だ説得! なあ鈴木!」


 火事場の馬鹿力か、押され気味だが男二人の力にも屈しない力でドアを閉めようとする凜子は、あれ、と首を傾げる。

 彼等は良くも悪くも目立つ。学校で一番頭がいい委員長と、学校で一番悪い不良。二人とも容姿が整っている上、個人主義なのかあまり人といるところを見ない。逆に凜子はいつも静かに教室の端で本を読んでいる。目立つことはしないし、個人主義ではないのに口下手な凜子には友人も少ない。それなのに凜子の苗字を知っていたのか。

 不思議なものだと頭の隅で思えば、隙を突かれ、二人分の力で開けられたドアは盛大な音を立てて壁にぶつかった。ドアの前に仁王立ちになる男達。


 確かにかっこいい二人だ。他のクラスの女がわざわざ足を運んで二人を見に来るだけの魅力はある。そんなに必死だったのか、らしくない汗が委員長の頬を伝った。不良の息も少し荒い。


「鈴木さん、お話しよう」

「丁度いい、本人が来たんだ。どっちがいいのか決めさせようぜ」


 話? 本人? 決める?

 よく分からなくなってきた凜子の手を委員長が取る。その手は汗ばんでいたけれど大して不愉快ではない。そして凜子をじっと見つめる不良の視線をひしひしと感じながら、凜子は教室に足を踏み入れた。


 その後の展開を誰が予想しただろう。ずっと二人が恋人同士と思い込む凜子を取り合い、委員長と不良の熾烈な争いが勃発すると。どんなにアピールしても恋人以外にも優しいんだなとしか思わない凜子に涙しながら想う二人が、元々凜子を取り合って教室で喧嘩してたなんて。凜子に友人がいないのも独占欲と嫉妬心が強い二人にクラスメイトが恐れていたからだなんて。


 今だって自分を挟んで睨み合う二人を、呑気に凜子は熱く見つめ合ってるなとしか思っていない。



 これは思い込みの激しい女の子に不敏にも恋をした、



「鈴木さん、聞いてる!?」

「おい目を逸らすな!!」

「(隣同士に座ってるからもしかしたら手を繋いでいるのかもしれない。あんまり見てはいけないよね)」



 二人の男の涙なしでは語れない物語の序章の始まりである。




 


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -