文体推理企画提出小説
あたしは今、恋をしている。
花の女子高生がこんなことを言うと、やれ幼馴染みだの、やれクラスのイケメン男子だの先生だのと思われるかもしれないが全部ハズレだ。間違いだ。少女漫画の読み過ぎだ。もっと現実を見ろ。中一のころ転校していった田中くんもいなければ、クラスに風早くん成分を兼ね備えている男子なんて微塵もいない。
更に言えばお弁当たーべよと気軽に屋上には入れないし、スカートを折り過ぎたら下着が見えるし、その前に制服は可愛くないし、自転車で二人乗りなんてしようものなら警察に声をかけられる。世界は残酷だ。ちなみに二人乗りをする機会にすら出会ったことなどない。世界は残酷だ。
でも現実なんてそんなもの。でも、どんなに夢見たって現実の中で恋には落ちるし好きな人はできる。
ばびゅんと撃ち抜かれるのだ。そりゃあもう物凄い威力で。逃げられない速度で。落ちてしまう。
あたしも同じ。 ――ただ、いくらか年が離れているだけ。ほんのちょっと。いや今サバ読んだ。ほんのちょっと以上とっても未満。
あたしは未使用な荷台を兼ねている自転車を停めてマンションの中に入った。買い物袋とスクールバックを持って入口の暗証番号を押す。もう慣れた手つきだ。自動ドアが開く数秒も、降りてくるエレベーターを待つ数秒も惜しい。立派な恋する乙女だ。
ドアが開くと同時に身体を滑り込ませ、目当ての階と閉まるボタンを押した。
毎日行くのはさすがにやりすぎな気がするけど、どうなんだろうか。しつこいって思われるのかな。ふとあの人の室内を思い出す。どんなに片付けても、次行ったときにはもう元通りの樹海になってるから、やっぱり毎日行ったほうがいいかもしれない。あくまで、彼の衛生と健康管理のために。
チン!と音がしてエレベーターが開いた。あたしの決戦の合図だ。目当ての部屋はエレベーターのすぐ隣。面倒くさがりなあの人らしいと、ちょっとしたことでもあの人に繋げてしまう自分に気付く。うわ、恋する乙女かよ。いや恋する乙女だった。インターホンを押そうか考え、もうそんなのでもないかと思い直してドアを開けた。鍵すら掛けられていない。この人は強盗という言葉を知らないのかもしれない。あとで叱り飛ばそう。
足元を見下ろす。玄関には靴が一足。今日はどうやら居る日らしい。その大きな靴の横にあたしのローファーを並べる嬉しさを噛み締めて部屋に上がる。
「シュウちゃん生きてる?」
そう声を上げたと同時に部屋をぐるりと見渡して、予想を裏切らない汚さに溜め息を吐いた。華麗なるデザイナーズマンションから汚部屋へのシフトチェンジにデザイナーはきっと涙を堪え切れないだろう。あたしのほうが申し訳ない。うちの子がすみません。悪気はないんです。反省もしてないんですけど。
そんなあたしの心境なんぞに気付く様子もないあたしの想い人はソファーで寝そべり、大きないびきをかいていた。蹴ってやろうかこの野郎。あたしの好きな人、それは幼馴染みでもなくイケメンクラスメイトでもなく、この涎が垂れたお兄さん以上おっさん未満なこの人だ。
「もー起きてよ」
あたしの声なんて夢の王国で人生を謳歌しているシュウちゃんに届くわけもない。
「嫁が来ましたよ〜起きて〜」
一抹の寂しさが胸を焦がす。そんなあたしを見ている人なんているわけもないのに、誰かに取り繕うように咄嗟に笑う。下手くそ。女は女優だけど、女優にも上手と下手がいるんだから許してほしい。
まあいいですよ。あたしは好きでやっているんだから。
家主が寝ているうちに、雑誌やカップ麺の残骸で見るも無残な部屋を片付けてしまおう。あたしは半ば本気でこの人はあたしが居ないと死ぬと思っている。これからやってくる修学旅行が不安で仕方ない。一週間も行かなければこの部屋はゴミで窒息死するほどの威力になる。在宅勤務だから本気になれば延々と家に閉じこもることも可能なのだ。多分ゴミが溜まらなくてもシュウちゃんは餓死する。あたしはそう確信している。
寝ている人を他所に、遠慮なく掃除機を掛けていく。ブオオンという音は少なからず夢の王国に届いたらしい。そりゃそうだ。ソファーの周りの食べかすが酷いから重点的に掃除をするに決まっている。何であたしこの人好きなんだろう。この問いも今日で既に3回目だ。好きだからしょうがない。この答えも3回目だ。多分この自問自答は明日も続く。明後日も続く。馬鹿みたいな乙女の健気な恋心が終わるまで続く。全米が泣いた。
「んあ……あ?」
のっそりと起き上がったあたしの王子様(笑うところだ)は頭をガリガリ掻きながら騒音の主を探す。探し物は見つかったようだ。掃除機を持つあたしと目が合って、伸びっぱなしの髪をそのままにへにゃりと笑う。
「来てくれてたんだ」
「ぐっすり寝てる間にね」
「悪い悪い」
「昨日も言ってたよ」
「あれ〜そうだったか」
のほほんと笑ってまた欠伸をする。ソファーにこてんと頭を預けて、床に落ちていた足もひょいとソファーに上げる。掃除を続けろということのようだ。はいはい、仰せのままに。全く悪びれた様子がないのも見慣れたものだ。ちらりと目をやれば頭を傾けたまま、ん? と柔らかく微笑むから全てを許してしまう。太平洋レベルの心の広さを誇る私を敬うがいいよ。
元はと言えば私の通学路で浮浪者よろしく倒れていたシュウちゃんを拾ったことが出会いの始まりだ。詳しく言えば驚いて警察に電話しようとしたあたしをシュウちゃんは必死で花の女子高生の足首を掴んで止めていた、ということも追加される。好きにならなかったらセクハラで警察に突き付けていた。ちなみに空腹で倒れていたらしい。馬鹿だ。
今思い返しても何とも少女漫画要素ゼロな思い出だ。誰がここからロマンスが始まると思う? そんな馬鹿がいたら腹を抱えて笑ってやりたい。頼むから笑ってください。腹ではなく頭を抱えないでください。だから好きな人の話をするのは苦手だ。相手を年上で大らかな人って余計な情報を除いて語ればいいけれど、出会いは欺けば欺くほどボロが出てくる。あたしの女優力は高が知れていることはあたしが一番知っている。
「なあ今日のご飯何だ?」
「親子丼」
「俺親子丼好き〜」
だから作るんだよ馬ー鹿!
ふにゃりと笑う顔に、くうっと歯をくいしばる。その顔が見たくていつも甘やかしてしまう。これでは素敵なおじさま計画が上手く進まない! 由々しき事態だ! でもビールを用意してしまう手が止まらない! くうーっ!
掃除が終わったら洗濯、ゴミ捨て、湯を沸かしてお風呂の準備と夕飯作りだ。
今すぐにでも嫁に行ける手際の良さ。高校生にしては中々の腕前なはずだ。若さもあれば実力もあるのに、振り返ってみれば想い人はビールを飲んでッカーとその喉越しを浸っていた。あたしなんて全く見てない。ダメだこの人。
パンツを畳むことにも抵抗なんて覚えなくなって、このマンション付近のゴミ分別曜日も把握してる。多分シュウちゃんは把握してない。ペットボトルのフタは燃えるゴミってことも知らない。そこが可愛いなんて言わないけど、あたしは仕方ないなと笑うんだろう。
湯を沸かして、料理の下準備に取り掛かる。シュウちゃんに話しかけながら、三つ葉や玉ねぎを刻んで鶏肉を一口大に切り分けた。今日学校であったこと、思ったことを面白く脚色すれば、お酒の力も手伝ってシュウちゃんはよく笑ってくれる。
この人は話を聞くのが得意だから、たくさん喋ってしまう。ふとした調子で告白してしまわないように気を付けないといけないくらいだ。
隣のクラスの東野くんのほっぺに真っ赤な紅葉が出来ていたことを報告し終わったころにはもうご飯が炊き上がった。よーし! 玉子を流し込んで少し蒸らしたら出来上がり。お新香やサラダ、味噌汁も用意してお膳に乗せる。
この家に炊飯器やお盆、調味料や調理器具が揃っていることに少し疑問にも思うけど、形から入ろうとして最初に買い揃えたのかもしれない。シュウちゃんが料理している姿は合成写真のような不自然さでしか想像出来ない。最早コラ画像だ。
「はいどうぞー」
「やった、美味そ〜」
私の分も準備しているのをじっと待っている様子は私より年上のように思えないくらいで、少し笑いながらテーブルに私のお膳を持っていく。お待たせと言えば、にっと笑う。
「待ってたほうが美味しいからな」
それを見て、今日も頑張って良かったなあって思う。明日もこの笑顔が見たくてあたしは頑張るんだろう。お手軽なやつだ。
美味しい美味しいとご飯粒を付けながら食べるから、平凡な味付けの親子丼も本当に美味しく感じる。くっそ〜この乙女心め〜。髪の毛がボサボサでも無精髭が生えていてもご飯粒がついていても、世界で一番かっこいいのだ。仕方ない。惚れたほうが負けだ。
シュウちゃんは人を褒めることに躊躇をしない。少しのことでもべた褒めする。お新香をつまみながら、擽ったい褒め殺しを少し俯いて笑って受け止める。
「もう何処にでもお嫁に行けちゃうくらい美味しいでしょ?」
どんなくだらない話題にでも相槌を打つお向かいから返事はなかった。
あれ、スベった? と慌てて向かいを見れば、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。どうしたの、酔ったの?
「何処にでもって、何処に嫁に行くんだ?」
「……えっと、嫁に貰ってくれるところに?」
「そっか……」
ぼんやりと空中に目をやって何かを考えているその間、あたしは気が気じゃなかった。どういう意図の質問だったのか尋ねていいのかな、その意図を更に聞き返されたらどうしようもないけれど。でも聞きたい。
無いと思っていた望みがあるのかどうか。
「もしかしてヤキモチ妬いた?」
「あーそれだ」
「ですよねー! シュウちゃんにそんな情緒期待してな……うん?」
漫画の鈍感主人公を地で行く鈍感さんだから、どうせ期待しても無駄だと思っていた。だっていつもあたしのアピールに気付かないし、あたしの話に当たり障りの無い返事しかしない。そんなシュウちゃんが肯定した。あたしへの好意があるかという質問だ。今もうんうんと頷いて、「この感情小学生のゲームで負けた時以来で何か分からなかった」と呟いている。
シュウちゃん、多分ゲームのはヤキモチじゃなく悔しさだと思うよ。
「お前がこの家以外に行くの想像したら気持ち悪くなったからさ、何かなって思った」
あー良かった、すっきりした、と悶々としたあたしの前で言い切るシュウちゃんに苛立ちと混乱と喜びが同時に沸き起こって言葉にならない。あたしのなかの小田和正が歌を歌い始めたけどそれどころじゃない。
勝手に自己完結しないで、ちゃんと正解を教えて!
それでも口から出てこない言葉が胸に溜まっていっぱいになる。そんなあたしに、シュウちゃんはにっと笑う。あたしが明日も頑張ってしまう笑みだ。
「お前が料理してくれるっていうから調理器具買い揃えたのに、他のところに嫁に行くなんて、そんな悲しいこと言うなよ」
あーあーもう。
花の女子高生は意外と忙しい。友達とのコミュニケーション、遊び、部活、勉強。結構ストレスだし、ハードスケジュールだ。それでも諦められなくて、最悪な出会いを経てでも好きになってしまった人の家に押しかけた。いっぱい話しかけていっぱいお世話して、ああ都合のいい女になってるなって思いながら頑張った。あたしにはそれしか方法が見つからなかったから。
それでも高校を卒業したら、進路によってはここに通えないこともありうる。何度も想像した。諦めることを何度も何度も練習した。
「あれ、本当に他のところに嫁に行く予定だったり」
「えっちがっえっと、ちがう!」
「おーじゃあ良かった」
へにゃりと笑う顔。あたしより何歳も上の人。幼く見える笑顔であたしを何度も恋に突き落とす。
あたしは今、恋をしている。
もしも花が散ったあとに成った実を美味しく頂いてくれるなら、これ以上の幸いはない。
「さっき嫁が来たって言ってて嬉しくなったところだったから焦った」
「あはは……は?」
「……あっ」