花火大会
楽しい休日も終わり、わたしは再び勉強合宿に励んでいた。加えて、体力がなさすぎるという直哉さんの余計な進言により、運動までさせられるようになった。走ったり筋トレしたり、ちょっとした護身術まで。
指導してくれている人によると、他人を治すことのできる反転術式は非常に珍しく、数も少ないのだとか。それ故前線に出ることはないが、自分の身は自分で守れるようにしておいた方が良いとのことで、直哉さんと行った現場を思い返してわたしは納得した。
どうやらわたしは反転術式以外の術式は持っていないようで、呪霊を祓うことが出来ない。つまり、わたしは戦う術を持っていないということだ。現在わたしが選択出来るコマンドは「逃げる」のみである。それを考えれば体力作りは理にかなっているのだ。かなってはいるのだが。
「全身が痛い……」
「やわやなぁ」
「普通ですよ!毎日あんなに運動することないですもん!」
「文化部?」
「帰宅部です」
「そらアカンわ」
禪院家の敷地内にある、少し狭いグラウンドのようなところでわたしは大の字に寝転んでいた。ジャージ姿を物珍しそうに見やるのは隣に座る直哉さんである。
「うぅ……筋肉、あらゆる筋肉が痛い……」
「痛い?」
そう言って彼はわたしの腕をつついた。痛いと声に出すのも億劫でじろりと彼を睨むも、何処吹く風で目を細めて楽しそうにしている。
「もうちょいで終わりなんやから気張りや」
「……もうそんなに経ちますっけ」
「せやで。あと三日や」
「早いなぁ」
今日は八月二十八日。九月から始まる学校に備えてわたしは三十一日に京都を発つ。直哉さんの言う通り、ここで過ごすのは今日を入れずにあと三日だ。
あんなに行きたくなかったのが嘘のように、わたしは東京へ帰ることを寂しく感じていた。帰りたくないとまでは言わないが、何となく名残惜しいのだ。直哉さんと離れることも、あまり考えたくない。
「ねぇ直哉さん」
「なに?」
「三十一日に花火大会あるの知ってます?」
「あぁ、知っとるで。毎年あんねん」
「行きたいんですけど……」
「ふぅん。ええんちゃう?最後やし」
地面に背をつけたまま直哉さんを見上げると、珍しく優しい顔をした彼と目が合った。下からのアングルでも綺麗な顔をしている。きゅっとつり上がった目にすっと通った鼻筋、艶のある薄い唇。脱色しているにも関わらずさらりと落ちる柔い髪。昼と夜の入り交じった空が彼によく似合う。
「……直哉さんと、行きたいんですけど」
わたしの言葉に直哉さんは目を瞬いた。
「え、俺?」
「駄目ですか」
自分とだとは思いもよらなかったとでも言いたげなリアクションにわたしは肩を竦めた。これでも結構、好意を示していたと思うのだけど。
「ええけど」
「えっ!ほんとですか!」
以前の京都観光のときのように渋られるだろうと思っていたわたしは、早い段階で返ってきた了承にガバリと体を起こした。直哉さんがわたしの背中に付いた土を払ってくれる。
「元気やんけ」
「今元気になりました!」
呆れたように笑う彼にピースサインを向けると、彼がおもむろに目を伏せた。
「ま、最後やしな」
紡がれた台詞にずきりと心が痛む。あと、三日。
*
夏休み最終日、花火大会当日。浴衣を身にまとったわたしと直哉さんは会場に足を運んでいた。今回は自分で着付けをした。これもまた、教えてもらったことのひとつである。
「うわぁ、人多いですね」
「こんなもんやろ」
素っ気なく言うのは直哉さんだ。まぁ、こんなものと言われればそうなのだが。年甲斐もなくやけに浮かれてしまうのは、きっと隣にいるのが直哉さんだからである。
「あ、わたしかき氷食べたいです!」
「あれ色がちゃうだけで全部おんなじ味なんやで」
「ちょっと、野暮なこと言わないでくださいよ」
「野暮も何もほんまのことやん」
「そういうところが野暮なんです!」
風情のない彼を引っ張って屋台でかき氷を手に入れる。選んだレモン味は彼の髪の色と同じだ。
「うーん、おいしい」
「ほんまか?」
「一口食べます?」
怪訝な表情をする彼に冗談でそう聞くと、何を思ったのか彼があ、と口を開く。
「え」
思わぬことに固まっていれば、直哉さんがスプーンを持ったままのわたしの手を握り、レモン色の氷を掬って自分の口に運んだ。
「人工的な味やな」
色が変わった舌を出して身も蓋もない感想を述べる彼をわたしは真っ白な頭で見つめていた。握られた右手がひどく熱い。この先、どんな顔をしてこのかき氷を食べ切ればいいのだろうか。そんなことを考えているとは露ほども知らない直哉さんは「食べるんやったら焼きそばがええ」とかき氷屋さんの隣の隣にある屋台へと進んでしまう。
「……間接キスだ」
彼にそんな思惑などあるはずもないことは重々承知だが、自分が思う分には止められない。気にするな!と言い聞かせ、わたしは二口目をかき込んだ。一口目より甘い気がするのは、夏の雰囲気に飲まれてしまっているだけである。きっと。
「何してんねん、はよ来ぃ」
数メートル先を行く彼が振り返って催促する。
「待ってくださいよ!」
いつぞやみたいだと思いながら、わたしは小走りで彼に追いついた。彼に言わせれば人工的な味が忘れられそうにない。
「焼きそば買った」
「好きでしたっけ?」
「まぁまぁ好き」
「えー、初耳ですよ」
「言うてへんもん」
そう言ってカラカラと笑う直哉さんはいつもより楽しそうに見える。そうだといいという願望のフィルターもかかっているかもしれないが。
「他は?何食いたいん」
「んー、わたあめとか?」
「甘いもんばっかりやん」
「だって甘党ですし」
「そんな気ぃしとった」
歩幅を合わせてくれているとはいえ、大勢が行き交う会場は歩きづらい。直哉さんは目立つので、はぐれることはなさそうでいいのだが。
「花火見えるとこってどこでしたっけ」
「もうちょい先や」
「遠いなぁ」
ここは屋台が並んでいるだけで、花火は見えないらしい。もっと奥の川沿いがベストポジションだと人伝に聞いた。そこに行き着くまでに疲労困憊になりそうだなと顔を顰めていると、直哉さんがいきなりわたしの左手を取った。
「わっ」
自分よりひと回りもふた回りも大きい手がわたしの手を握っている。驚いて少し前を歩く彼を見るも、いつもとなんら変わりない飄々とした様子である。わたしはというと、心臓がうるさいくらいに高鳴っていて、右手に持ったかき氷が自分の熱で溶けてしまいそうなくらいだった。
「こうでもせんとはぐれそうでヒヤヒヤすんねん」
そう言いながら気だるげに振り返った直哉さんがわたしを見て目を丸くした。
「……あの、」
「なんや、かわいいとこあるやん」
「えっ、えっ!?」
絶対赤い顔を見られた、と何か言い訳をしようとしたわたしに追撃が来る。にやにやと意地悪く口角を上げた直哉さんがわざとわたしとの距離を詰めた。
「こんなんで照れたん?かいらし〜」
「もう!直哉さんのバカ!」
離れようにも手を繋がれているせいでそれも叶わない。それどころか更にぎゅっと手に力を込められて、わたしはキャパオーバーもいいところだった。花より、団子より、わたしは直哉さんに首ったけだ。