遅効性の氷、砂糖
あの波乱万丈な一日から三日ほど経った日のこと。
わたしは依頼主に集めた情報を渡し、この件は完全に片付いた。それ故に、沖田総悟と関わることはもう二度とないだろう。というか、出来れば関わりたくない。そんな気持ちでいっぱいである。しかし、その思いはあっけなく裏切られることとなった。
「あ、ストーカー女」
「うわぁ、どうもこんにちは」
甘味を買いに行った帰り、突然誰かに声をかけられた。少し前にどこかで聞いた声。いや、わたしのことをストーカー呼ばわりする人なんてあの人くらいなものではないかと気づく。正直このまま無視をしてしまいたいが、そういうわけにもいかず顔をあげると、そこには案の定、沖田総悟がいた。
何故ここに?という疑問が頭を巡るも、とりあえずにこりと笑って会釈をし、彼の横を通り過ぎた。はずだった。
「オイ、ちょっと待ちなァ」
通り過ぎるよりも早く彼はわたしの腕を掴み、通れるもんなら通ってみろとでも言わんばかりににいっと笑う。凄く嫌な予感がする。
「……なんでしょう?私に何か用でも?」
無視をしたいのは山々だが、頭脳派のわたしが男の力に適うはずもなく、渋々立ち止まればそのままぐっと引き寄せられた。彼はよろめくわたしなどものともしない。
「ちょ、っ!?」
「いいから黙って俺についてきなァ」
彼は近過ぎる距離感のままわたしを路地裏へ引き込み、どんと壁へ押し付けた。そして、にいっと黒い笑みを浮かべた。
あぁ、この顔は知っている。これはろくでもない悪戯を思いついた時の顔だ。例えば、土方十四郎への新たな嫌がらせを発案したときのような。あぁ、もう。だから会いたくなかったのだ。また関わることになってしまう予感が、何となくしていたから。
「あんた、俺のこと好きなんだろィ」
いわゆる壁ドンの状態で彼は話し出した。しかも、前回わたしがついた嘘の話。まさかそれを今になって追及されるとは思わず、「え」と顔が強ばった。しかし彼はそんなことなど気にする素振りも無く追及は続く。見逃してくれるような雰囲気ではない。
「で、どうなんでィ」
「……いえ、好きといいますか好きだった、が正しいですかね。追いかけてるうちは楽しいんですけど、手の届くところに来てしまうとどうでもよくなってしまうんです」
蛙化現象ってやつですね、と目の笑っていない笑顔の彼にグダグダと答えながらも、我ながら素晴らしい言い訳を思いついたなと感心する。内心冷や汗が止まらないが、これでも演技力には自信があるのだ。
「へェ、本当に?」
「はい、本当に。ではわたしはこれで」
彼は全くと言っていいほどわたしの話を信じていない様子だが、これで話はお終いと言うように彼の手を退け、わたしはにこやかに笑って大通りへ戻った。本当に、これでお終い。そう思ったのに。
「なァ、俺と付き合いやせん?」
一瞬時が止まったかのように感じた。耳に入ったそれは確かに沖田総悟の声だった。聞き間違えるはずがない。何しろ、先程まで近距離で話をしていたのだから。しかしそれでも信じられずに振り返ると、彼は真剣な表情をして同じ台詞を繰り返した。
「俺と、付き合いやせんか」
「……は」
騒々しいはずの大通りから全ての音が消え、わたしの素っ頓狂な声だけが響いた。
*
「あの、さっきのは一体なんのおつもりで?」
「いや、面白そうだったんで」
大通りから場所を変えて、ある甘味処。団子が美味しいと評判のお店であり、こんな状況でなければ喜んでいたことだろう。しかし、わたしは沖田総悟から突然謎の告白を受け、硬直していたところをまたもや強引に手を引かれここへ連れて来られたわけであり、それを手放しに楽しめるほどわたしの脳味噌はお花畑ではない。
「面白そうってなんです」
「そのまんまの意味でさァ」
もしやこの人はわたしのことを好きになってしまったのだろうか、なんて突飛なことまで考えていたのだが、蓋を開けてみればそれは面白そうという、何とも理解し難い理由であった。
それはつまりどういうことなのか。何が言いたいのですか、という気持ちを込めた目を向けると、彼はわたしから目線を外し、ここの道路を挟んだ向かい側を指した。
「あと、変なやつに付きまとわれねェように」
そう言った彼は何故かやけに疲れたような顔をしている。疑問に思いながらも彼の綺麗で骨ばった指が指す方へ目を向けると、そこには電柱に隠れた、いや正確には隠れきれてはいないが、ともかくそこでは若い女の人がこちらをちらちらと伺っていた。
なるほど。これでようやく彼の意図が読めた。
「お知り合いですか?」
わざとらしくにこりと笑って問うと、沖田総悟はまだ熱いお茶を啜りながら、馬鹿言うなと顔を顰める。悪態をつかないあたり、どうも随分参っているようだ。
「沖田さんって、ストーカーされやすい体質なんですかね」
「顔が良いからねィ」
「どうやら性格は残念みたいですけど」
「うっせェ」
軽口を叩きながらも、この人は案外打たれ弱いのかもしれないなとわたしは密かに思った。敵に命を狙われているわけでもないのに、たった一人の女の子のストーカーにここまで疲労しているのだ。女性の扱いには手慣れていそうだと思っていた分、正直意外だ。
そもそも、わたしの時のように捕まえてしまえばいいというのに。出来ない理由があるのかもしれないが、それはまた何とも不憫な話である。まぁ、だからといってわたしが彼を助けてあげる義理は全くないはずなのだけれど。
「んじゃ、俺はそろそろ仕事に戻りまさァ。てことで、あんた今日から俺の彼女ってことにしといて下せェ」
「あんたじゃないです。わたしの名前、知ってるでしょう。って、それよりもまだ話は終わってな、」
「気が向いたら呼んであげやすよ。じゃ、また」
一方的に話を終わらせた沖田総悟は、名も知らないストーカーを避けるように彼女がいる反対方向へと去って行った。わたしはまだやると言ったわけでもないというのに、いつの間にか承諾したことになっている。なんて自分勝手な人なんだ、と思いながらわたしは彼の背中に向かって声をあげた。
「ここの代金、沖田さんの名前でツケときますからね!」
顔はともかく、支払いをせずに帰る彼氏など絶対にお断りである。