いつわりのみちしるべ


某日早朝、真選組屯所。

朝の五時という早すぎる時間に何度も何度もしつこく電話を鳴らした上に、「今から屯所に来い」という一言のみを残し、またもや一方的に電話を切った沖田総悟。理由も要件も聞かされていない。が、弱みを握られているわたしは欠伸を噛み殺しながら支度を始めた。

わたしの家から屯所まではそう遠くなく、十数分で到着した。しかし、門は閉まったままで誰もいない。呼んだのは彼なのだから、てっきり門まで迎えにきてくれると思っていたのだが、彼にはそんな優しい心は一ミリもなかったようだ。

仕方なく自分から着きました、と電話をかければようやく出てきてくれたのだが、わたしは彼の姿を見て絶句した。何故なら、明らかにさっき起きましたといった出で立ちだったからである。普段は無駄に綺麗な髪には寝癖が付いているし、服だって着替えておらず寝間着のままだ。わたしはちゃんと、眠い目を擦って起きたというのに。

「どういうおつもりですか?今の今まで寝ていたでしょう」
「あんたが来るのおせーからだろィ」
「……はぁ、それより何の用ですか。わたしもう帰りたいんですが」
「駄目に決まってらァ。これから打倒ストーカー作戦の打ち合わせやるんだから」

打ち合わせ?何の話です?ときょとんとした表情を向けると、そんなことも分からないのかと鼻で笑われる。本当にこの人は人を苛立たせる天才だ。朝っぱらから人を呼び付けたことをもうお忘れなのだろうか。

「ま、とりあえず中入りなせェ。俺が寒い」
「一言余計です」

苛立ちを込めた目で軽く睨むも彼には全く届かないようで、さりげなくわたしの後ろに立ち、風よけにしている。寒い寒いと繰り返しているが、ここまで来るのにわたしはもっと寒い思いをした上に、苦手な早起きまで強いられた。

このストレスはぶつけなければやっていられない。わたしは寒空で冷えきった手で「わたしも寒いんですよね。特に手とかね」と彼の首筋を触ってやった。「冷てェ!」と騒ぐ彼を見てひとまず少し満足である。


正式なルートでは人生二度目の真選組屯所。流石にまだ朝が早いからなのか、廊下には人はほとんどおらず、ただただ静かだった。外よりはマシとはいえ、それでもかなり寒い。冷たい廊下を進んだ後、通されたのはとある部屋だった。

「ここ、俺の部屋」

彼の部屋というそこには物があまりなく、至ってシンプルな部屋であった。棚や机などの必要最低限の家具に加え、この季節には必須アイテムであるこたつが置いてある。

「こたつですか。さすが沖田さん」
「当然でィ。こいつがなきゃ俺は生きてけねェんで」
「奇遇ですね、わたしもです」

いそいそとこたつに足を入れれば、暖かい空気に包まれた。冷えた体が温まり、なんとも幸せな気持ちになる。同じようにわたしと机を挟んだ向かい側に座った彼は、そんな束の間の幸福を打ち破るかのように、どんと携帯電話を机の上に置いた。

「……なんです?これ」
「この間見せた女。俺がどこにに行ってもいやがるんでさァ」

彼のものであろう携帯電話の液晶に映し出されているのは先日見た彼のストーカーだった。左にフリックしていけば、あらゆるところで撮られた写真が次々に現れる。その数約十数枚。

「うわぁ、気持ち悪い。沖田さん盗撮してるんですか」
「盗撮犯はあんただろィ」
「それもそうですね」

至極真っ当な意見を返してきた彼に笑顔を向けて誤魔化すと、強めに叩かれる。頭を押さえて反抗するも完全スルーである。

「ま、こんな具合にずっと付きまとわれてんでさァ。そんなわけで、アンタに俺の彼女の振りをしてもらおうかと」
「してもらうも何も、もうさせられるじゃないですか」
「改めてってやつでさァ」
「……わたしである必要性が見つかりませんけど」
「知ってやす?」

ツンとした態度を変えないわたしに、彼はいつもより声を低くして意地悪い笑みを浮かべた。

「盗撮って、犯罪なんですぜ」

机に頬杖をついて彼はわたしのことを見つめる。赤い目が視線を逸らすことを許さない。

「……そのくらい、知ってますけど」
「近藤さんは許しやしたが、俺や土方さんは許すとは言ってやせんぜ。言ってること、分かりやすよね?」
「どういう意味です?」
「ほぉ、分かんねェのか」

尋ねてはみたものの、分からないわけじゃない。要するに、この間のことを見逃してやるから代わりに彼女の振りをしろと言いたいのだろう。しかし、見返りに対してわたしの負担がいささか重いように感じられてならない。

「分からなくは、ないですけど……」
「犯罪者になりてェんなら別にいいけどなァ」
「……拒否権なしってことですか」
「当然でさァ」

あれこれと反論を考えたが、結局わたしは彼の言いなりになるしかなかった。交渉成立だと笑う彼は楽しげで、まあいいかと思えてしまったのだ。





「それで、どうするんです?」
「何が?」

沈黙が数分続いた後、先に耐えきれなくなったのはわたしだっこれからどうするのか全く聞いていないというのに、ここでぐうたらと過ごしている場合ではない。それなのに彼はわたしの言葉を受けてきょとんとした表情を浮かべた。

「……彼女の振りの話ですよ」
「あぁ、それか」
「特に何もないのなら、もうお暇したいのですが」
「いや、まだあんたにやって欲しいことがあるんでさァ」

わたしだって暇ではないのだが、彼はどうもまだ帰してくれそうにない。今日は気ままでマイペースな彼に振り回されっぱなしだ。本当に気に食わない。


彼がわたしにやって欲しいことというのは、真選組の人への報告のようなものだった。敵を騙すにはまず味方からというわけで、彼はすでにわたしのことを知っている近藤さん、土方さん、山崎さん以外の隊士にはあくまでも「彼女」という立場で突き通すらしいのだ。

さっさと言っちまおうぜ、という彼の適当な発言にわたしが同意したことで、食べ損ねた朝ごはんを屯所の食堂にて一緒に食べることとなった。「こっち」と全くもって教える気のない説明を聞き流しながら、未だ寝間着の彼の背中に付いていくと食堂らしき場所に着いた。

硝子窓がついた引き戸を開けると、お味噌汁のいい香りがふわっと広がった。中にいた人達は「誰だあいつ?」とでも言いたげな目線を向けてきたものの、わたしの隣にいるのが沖田総悟であることに気がつくと皆そろって目を逸らした。

居心地が良いのか悪いのか分からないまま、近くに腰を下ろした彼の前の席にわたしも座った。そこで、ここは食堂であるのだから自ら食事を取りに行くのではないか、と気がついた。

「あの、沖田さん」
「ザキィ、朝飯二人分取ってきて」

取りに行かないんですか?と聞こうとしたと同時に、彼は二つ分向こうにいる人に何やら声を投げかけた。それに「はいはい」と対応したのは真選組の隊服を着た、黒髪で特徴の少ない男の人だった。普通に会っていれば数日後には顔も名前も忘れてしまうようなタイプの人だが、なにぶん出会ったシチュエーションが特殊であり、忘れることなど出来るはずがなかった。

「ってあれ、二人分?え、沖田隊長、そちらの方は……」
「あぁ、こいつ俺の彼女」
「初めまして、名字名前と言います。お邪魔しております」

明らかに見覚えのあるわたしを見て、引き攣った顔をするザキさんもとい山崎さん。彼の顔には何故??という至極真っ当な疑問が浮かんでいる。しかしそこは流石監察というべきか、空気を察して余計なことは言わなかった。

「えっ、あぁ初めまして山崎退です」
「これから何卒よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ」

それどころか自己紹介を返してくれ、あたかも初対面であるという設定を周りに植え付けることが出来た。周りにいる人達から沖田隊長に彼女だって、という声が聞こえてくる。作戦成功である。

「例のストーカー対策でさ」
「あぁ、なるほど」

沖田総悟が山崎さんにそう耳打ちすると、山崎さんはうんうん、と納得したように頷いた。正直わたしが言うのもなんなのだが、その反応はどうなのだろうか。いくら嘘の関係で沖田総悟側に利があるとしても、ほいほいと認めていいものなのかと聞きたくなる。

何せ、私は彼の盗撮犯だ。何故そんな大したことじゃないとでも言うような雰囲気なのだろうか。もしかして私がストーカーをしていたわけではないことに気づいている?いや、例えそうだとしても情報屋であることには繋がらないだろう。そこまで考えたところでカタンと朝食を乗せたプレートがわたしの前に置かれた。

「はい、お待たせしました。名字さんもどうぞ」
「わぁ、美味しそう。ありがとうございます」

それを区切りに思考を止め、わたし達はようやく朝食を食べ始めた。ふっくらつやつやの白米にふわふわの卵焼き、いい香りのするお味噌汁に付け合せのお漬物。それはパソコンに囲まれた部屋でカップラーメンを啜る日々を送っているわたしには非常に珍しいもので、低血圧のために普段はほとんど食べない朝食だというのに見事に完食してしまった。

「……わたしもここに住みたいな」
「は?何言ってんでさァ」

あまりにも贅沢な朝にそう独りごちたわたしに沖田総悟はお茶を飲みながら訝しげな目を向けた。「いえ、何でも」と目を逸らせば「嘘つくんじゃねェ」とデコピンされる。デコピンされるのは二度目だが、これがまたかなり痛い。力の差だろうか。

「ちょっと何するんですか」
「しょうもない嘘つくからだろィ」

痛いです、と睨むも彼はどこ吹く風だ。全くもって憎らしい人である。執拗にデコピンをしてくるが、私の額に何か恨みでもあるのだろうか。解せない。

「あ、沖田さんお漬物残ってますよ」
「別にそんな好きじゃねェ」
「駄目ですよ好き嫌いなんか。はい、沖田さんあーん」
「やめろ気持ちわりィ」
「ちょっと、彼女が可愛いことしてるんですからノリに乗って下さいよ」

ほら、とお漬物をつまんだお箸をずいっと前へ出すと、彼は大人しく口を開けた。ようやく主導権を握れたことにほくそ笑みながら「美味しいでしょう?」とにこやかな笑顔を浮かべるも、彼は微妙な顔で「ふつう」とだけ言った。

「なるほどこれが可愛くないというやつですね」
「うっせ。まだ根に持ってたのかよ」
「あれ、もしかして照れてます?」

ぷいっとそっぽを向いた彼に擦り寄ると、手で目を覆い隠される。これでは何も見えないじゃないか。

「ちょ、何するんですか離してください」
「うるせェ照れてねェよ」
「嘘ですね!」
「嘘つきはアンタの方だろィ」

ああ言えばこう言うの繰り返し。ぎゃんぎゃんと中身のない言い争いをしていれば、見かねた山崎さんが仲裁に入ってくれる。まぁまぁ落ち着いて、と宥められるとようやく手を離してくれた。やっと解放された視界は中々はっきりとしない。しかし、食堂の入口に煙草の煙が見えた瞬間、世界がいやにくっきりとした。あぁ、厄介な人に出くわしてしまった。

煙草を吹かす彼はわたし達の近くまで来たかと思うと、眉間に皺を寄せたまま怒鳴り上げた。

「朝っぱらからイチャつくんじゃねェェェ!!」

まぁまぁ落ち着いて、と山崎さんが再び宥め役に回ること数分。本当に損な役回りである。とばっちりお疲れ様ですという気持ちを込めながら山崎さんを見つめると、彼はわたしの視線に気づいたようでこちらを見て苦笑いを浮かべた。わたしも微妙な笑顔を返し、視線を遠くへやった。

「おい、ぼうっとしてんじゃねェ」

そのやり取りを見ていたのか、沖田総悟はそう言ってわたしを肘で小突く。「してませんけど」と小突き返すと、盛大な舌打ちが響いた。もちろんその出どころは目の前で非常にイライラした様子の土方さんである。彼は相当お怒りのようだ。

「えぇっと、初めまして、名字名前と言います」

しかし、それを気にして先日はどうも、なんて言ってしまえばこの計画は一瞬にして破綻してしまう。どうしてもこの場は嘘の設定を貫き通すしかない。先程の山崎さんとのやり取りのようにそう言うが、土方さんは顰めっ面を崩すことなく「知ってる」と低く呟いた。

「え〜、いつの間に有名になったんですかね、私」
「そりゃあ、アンタが可愛いからじゃねェですかィ」
「やだ、もう沖田さんったら。お上手ですね」
「あはは、本当に仲がいいですね」

土方さんへの「いいから空気を読んでくれ」という三人の思いが阿呆らしい茶番を広げていく。声だけ聞けば楽しそうであるが、三人とも目が死んでいた。しかし、彼にわたし達の思いは伝わらないようで、むしろ彼のストレス値がどんどん上がっていっているようにすら感じられた。今にも全てぶちまけてしまいそうである。

これはまずいと思ったのか、沖田総悟は土方さんに近づき、あくまでも自然に耳打ちした。何と言ったのかわたしからは分からなかったが、その後の土方さんの驚いたような、呆れたような表情から嘘の話を打ち明けたのだと推測される。

「……飯食ったんなら早く帰れよ。仕事がある」
「はい、そのつもりです。長いことお邪魔しました」

ようやく引いてくれた土方さんに一種の感謝すら覚えながら食べ終わった食器を厨房まで持っていく。やっと帰れる。そんな解放感に包まれながら「ご馳走様でした、美味しかったです」と配膳係であろう若い女性に声をかけると、彼女は「……貴方、隊長さんと付き合っているの?」と聞いてきた。あれだけ大騒ぎしていたのだ。隊士以外に伝わっていてもおかしくないだろう。

「はい、お付き合いさせていただいてます」と丁寧な姿勢を崩さず答えると「ふぅん、隊長さんが」と思わせぶりな返答をされた。

「……と、言いますと?」
「あ、いえ、なんでもないの。ただ、あんまりそういう話は今まで聞かなかったから」
「……そうですか。朝食、ありがとうございました」

彼女はこれ以上わたしと話すつもりはないらしく、釈然としない返答を残して仕事へと戻っていった。もしやこの人は沖田総悟に恋心でも抱いているのだろうか。それならば申し訳ないことをした。でも大丈夫、わたしは彼女なんかじゃないですから、と頭の中で少し生まれた罪悪感に言い訳をし、彼のもとへと戻った。

「沖田さん、わたしそろそろ帰りますね」

山崎さんに土方コノヤローは空気が読めなさすぎるんでさァ、などと愚痴っている彼にそう声を掛けると、彼は話を切り上げて「送ってく」と立ち上がった。

「え、結構ですよ。道なら分かりますし」

突然の申し出に少し驚きながらも、まだ着替えてもいないじゃないかと断るが、彼は「ちょっと待ってろ。着替えてくるから」とわたしの発言をことごとく無視していく。

「いえ、だから、」
「いいから」

それでもわたしが引き下がると、沖田総悟の、お前は馬鹿かとでも言いたげな目を見て、わたしは自分が偽物の彼女であることを思い出した。当たり前の話ではあるが、彼に優しくされるのにはどうも慣れなくて、帰り道は何となく居心地が悪かった。


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