毒なき不純



直哉さんが酔っ払った。普段は大した量を飲まない彼が珍しくヤケ酒をしたのだ。とは言っても、自宅で缶ビールを数本空けただけなのだが。

「大丈夫ですか」
「……うん」

駄目だなとわたしは思った。素面の直哉さんはこんな素直な返事などしたりしない。任務先で何やら嫌なことがあったらしく、彼は帰ってきてからというものの大変ご立腹な様子であった。触らぬ神になんとやらである。わたしは何も聞かず、ただ彼の言う通りにお酒を注いだ。

その結果出来上がったのがこの酔っ払いである。隣に座れと言われて従うと、彼はわたしの肩に頭を預けて上機嫌そうに酒を煽る。

「飲みすぎじゃありませんか」

このままでは翌日に響いてしまうだろう。確か、任務があったと思うのだが。

「よゆーよゆー」

そんな心配も意に介さず、彼は呂律の回らない口で楽しそうに笑った。ここまで来れば最早わたしに出来ることはひとつもない。ただひたすら彼にお酒を注ぎ、彼を全肯定するしかないのだ。

「明日仕事いきたないわ」
「そうですね」
「やすんでいい?」
「ご自分で連絡入れてくださいね」

めんどくさい。実にめんどくさい。わたしの苦労などつゆ知らず、隣の直哉さんはスマホをいじっている。大方任務のキャンセルメールでも入れているのだろう。先方にとってはいい迷惑だろうが、わたしに罪はないと思う。あるとしたらそれは、今日の任務先で出会った人物のうちの誰かだ。何を言ったのかは知らないが、彼の機嫌を損ねるような真似は止めていただきたい。

直哉さんの不機嫌による八つ当たりの矛先は大抵の場合わたしに向けられる。嫌味をぶつけられる日もあれば、手酷く抱かれる日もある。前者が六割で後者が三割九分、今日のような特例が一分である。

「……直哉さん、そろそろ寝ませんか」
「は?だれに指図してんねん」

鋭い眼光がこちらに向いた。はぁ、と思わずため息がでる。どれだけ情緒不安定なのだろうか、この男は。

「すみません」

これ以上機嫌を悪くさせないように適当に形だけの謝罪を述べると、彼はにっこり笑った。

「わかったらええねん」

今日は駄目だ。全肯定に加えて意見しないことも必要らしい。

「なぁ、すきやで」

さらに加えて、彼の気まぐれに惑わされないことも。

「はい」
「わかってんの?」
「はい」

極稀にだが、彼はわたしに愛を囁く。もしもそれが本心からくるセリフなら、わたしと彼では愛情というものの定義が食い違っているとしか思えない。何度も期待しては裏切られた。もう期待などとうに捨ててしまったけれど。

今わたし達の関係性を言葉にしなければいけないのなら、わたしは間違いなく雇用者と被用者と答えるだろう。禪院家で働いているようなものだし、現にお金も貰っている。そこに恋愛感情などないのだ。きっと。

「おれのことすき?すきやんな?」

だからまともに返事をするだけ無駄である。

「はいはい、好きです好きです」

わたしの投げやりで適当な返事に彼はにぃっと口角をあげた。狐のように目が細められる。

「ほなけっこんする?」
「しますします」

顔だけは良いな、などとどうでもいいことを考えていると、ピロンというどこか聞き覚えのある電子音が鳴った。嫌な予感がして直哉さんの方を見やると、彼がスマホの画面をこちらに向けて楽しそうに声をあげた。

「言質取ったで」

彼の手元の液晶には録音完了の文字が映し出されている。スマホに立ち上がっていたのは録音アプリだ。

「……え」

鏡を見なくても分かるほど顔が引きつっている気がする。今までのはこのための演技だったというのか。

「さすがに二言はあらへんよな」

いつも通りの様子で彼はいけしゃあしゃあと言い放った。あの呂律の回っていない口調もやけに甘えたな言動もわたしにイエスと言わせるための嘘っぱちだったのだろう。録音を開始したのはおそらく任務云々でスマホを触ったときだろう。用意周到にもほどがある。

「何でですか」

やっとの思いで口にしたのはそんな言葉だった。

「ん?」
「何でわたしなんですか」
「分からへん?」

直哉さんが缶のまま酒を流し込む。

「分かりません。わたしのことなんて何とも思っていないくせに」
「えぇ、嘘やろ。結構伝えてきたつもりやってんけど」

機嫌取りも忘れて本音をぶつければ、彼は大げさな態度で肩をすくめた。じっとわたしを見つめたかと思うと、リップ音を響かせて口付けられる。

「好きやねん」

熱を孕んだ声色で告げられたそれは手放しで喜べるものではない。だけどわたしはまた淡い希望を抱いてしまうのだ。

「俺のこと好き?」
「はい」
「結婚する?」
「……はい」

わたしの返事に直哉さんは満足げに笑って、思い切りわたしを抱きしめた。それは痛いくらいで、演技でないことを祈りながらわたしは彼の肩に顔を埋めた。アルコールと彼の匂いがする。と同時に彼の体がわたしごとぐらりと揺れた。

「う、わ」

半ば押し倒される形でわたし達は床に転がった。耳元で彼の寝息が聞こえる。

「え?寝てます?直哉さん?」

わたしの呼び掛けに彼は答えない。わたしの上で完全に寝ている。もしかして、彼は本気で酔っていたのだろうか。いや、わたしを謀ったのは確実なのだが、どうも素面に近い状態ではなかったらしい。

ということは、彼の愛の言葉はあながち嘘でもなかったのか。無意識に口角があがる。どうやら神はわたしに微笑んだらしい。祈ってみるものだなとわたしは小さく笑い、気持ちよさそうに眠る直哉さんの首に腕を回して目を閉じた。明日の仕事をキャンセルしてくれて良かったと思いながら。



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