全ての始まりは四年前。それは名前が十二歳の時だった。
▽
「女隊士募集?なんでそんなことする必要があるんですかィ」
朝の屯所にて女隊士を募集するという話をしていた俺を睨みながら、総悟は不機嫌そうな表情も隠そうともせず、手に持った書類をぐしゃっと潰した。それを見て俺は一瞬顔を顰めてしまったが、まあそうだろうな、と溜息を吐いた。
女隊士募集。これは隊士達にとって、あまり、いや、かなり好ましいものではなかった。まるで、今の自分達だけでは不十分だと言われているようで。自分自身も多少は似たようなことを思うものの、上からの命では逆らうことなど出来るはずがない。
「んなこと言ったって仕方ねェだろうが。兎に角、一週間募集をかけて、その後入隊試験を行う。いいな」
俺の言葉に隊士達は頷いた。もちろん、総悟を除いて。総悟は随分イライラとした様子で、真選組も落ちぶれたもんでさァ、などと吐き捨て、すたすたと部屋から出て行った。そんな総悟を見て近藤さんは苦笑いを浮かべる。
「総悟にとっては特に嫌な事だろうなあ」
「……あぁ、そうだな」
開けっ放しの襖を見つめながら俺はそう呟いた。
▽
そして、募集が始まった。総悟は相変わらず難色を示していたが、当然無慈悲にも計画は進められる。募集が締切られた時、期間が一週間のみだった為か、応募をして来たのはたったの三人だけだった。
一人目はフリーターをしているという二十四歳、山田春。幼い頃から剣術を習っているらしく、剣の腕には自信があるとか。
二人目は実家が剣道場という二十一歳、佐藤雪。同じく雪も剣術は一通り学んでいるらしい。
そして三人目。
「名字名前、十二歳。自己流だけどそこらの人には負けません!」
幼い声で高らかに宣言したのは、太陽に反射して輝く髪を二つにまとめ、真選組の隊服を意識してか、金の刺繍が入った漆黒の着物を纏った少女だった。
少女以外の二人は身長も高く、体つきも良く、成人済み。そんな中、細くて小柄、さらにわずか十二歳という名字は三人しかいない応募者の中でも明らかに異色だった。そんな名字がぺこりと頭を下げたとき、屯所内に誰かの舌打ちが響いた。
それを聞き、俺は思わず隣にいる総悟の方を見やった。案の定総悟が舌打ちをしたようで、顔を顰めていた。余程気に入らない様子だ。
応募者である三人の方を見ると、怪訝そうな顔をしている。明らかに舌打ちは彼女らに聞こえているようで、どうするべきかと考えを巡らせていると、何を思ったのか、名字がすっと前へ出てきた。名字は総悟の前まで行くと、腰に下げていた刀を素早く抜き、総悟の喉元にあてがった。その刀は日光を浴びて紅色に輝いている。それは、十二歳の少女には似合わない、本物の刀だった。
模造刀か何かだと思っていたのだが、まさか真剣だったとは。驚く俺を他所に、名字は総悟に向かって語りかける。
「さっきの、貴方でしょ?人に向けて舌打ちなんかしちゃいけないって教わらなかったの?」
名字は先程と打って変わってにこりともせず、淡々と言葉を紡いだ。その抑揚のない言葉からは一切感情が感じられず、俺は少し薄ら寒いものを彼女に感じた。
「残念だが、そんなこと教わった覚えはありやせんねェ」
「……じゃあ私が教えてあげる。そういう事はしちゃ駄目。今度やったら、斬っちゃうからね」
それまで無表情だった名字がやっと笑ったのは、最後の一言を発したときだった。それは年相応の可愛らしい笑みのはずだというのにも関わらず、どこか有無を言わせない凄みがあり、また少し背筋が冷えた。
しかし、総悟は何も答えず名字から目を逸らした。少しの間があき、未だに名字の様子に驚いている近藤さんはしどろもどろではありながらも、漸く入隊試験を始めた。
試験とはいっても、もちろんのこと筆記試験をする訳では無い。一番隊、つまり真選組の中でもトップの隊士達を全員倒せば合格。簡単なルールではあるものの、一番隊全員ということは真選組きっての剣の使い手、総悟を倒さなければいけないのだ。
そもそも、総悟以外も優れた腕前の猛者達ばかりで討ち入りでは負け知らず。そんな隊士らを簡単に倒せる訳がない。これは此処に居る誰もが分かりきっていたことだった。
この試験内容を考えたのはもちろん俺だ。合格させる気などこれっぽっちも無い。さっさと負けて、帰ってもらうつもりである。まるで公開処刑のような地獄の試験が今、始まろうとしていた。
「ルールは理解したな。それではまず山田から。始め!」
山田と一人目の隊士が向き合ったのを確認すると、俺は始めの合図を出した。それと同時に隊士が山田に斬り掛かる。隊士の素早い動作に為す術もなく山田は失格となった。もっとも、使っているのは真剣ではなく竹刀のため怪我はしないが。
「次、佐藤」
佐藤は不意打ちを使い、かろうじて一人目の隊士を倒したが、二人目にあっけなく倒された。ここまでの所要時間、たった三分である。
「最後は、名字」
先の二人ですら歯が立たなかったのだ。こんな小娘には無理だろう、此処に居る皆がそう思った瞬間のことだった。パシン、と竹刀の綺麗な音が響き、隊士が倒れた。
「ふぅ」
名字は息を整えると先程とは違う、輝くような笑顔を浮かべた。それからは堰を切ったように次々と隊士達を倒していく。自己流だと言っていた割には動きに無駄がなく、剣さばきが美しい。的確に急所を突き、倒すのも恐ろしく早い。
とてもじゃないが十二歳の少女には見えない動きだった。それはまるで、人を殺す訓練でも受けたのではないかと勘繰ってしまう程の。
そんな中、とうとう最後の一人、総悟との番がやってきた。
「こーんなガキがここまで来るとはねェ」
「私の唯一の取り柄ですから」
緊張感が漂う中、二人は向き合うと竹刀を構えた。しかし、総悟は何故か構えを解き竹刀を俺の方へ投げて寄越した。
「これじゃあつまんねェだろィ。刀、使いやしょうぜ」
その総悟の発言に名字は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに楽しそうに笑い、傍に置いてあった自分の愛刀を手にした。俺は本来ならここで二人を止めなければいけなかったのだが、そんなことはすっかり忘れており、二人の勝敗を見届けたい一心だった。
もう一度二人が向き合うと、先程とは違う、更に張り詰めた空気が漂った。腰の刀に手が触れたかと思うと二人はほぼ同時に刀を抜いた。キンっという甲高い金属音が響く。
「へェ。なかなかやるじゃねェか」
総悟は三橋と刀を合わせたまま、にいっと笑う。
「なめてもらっちゃあ困りますよ」
それを見た名字はくすっと笑った。そして刀を押し返し、総悟の背後へ回り、首を狙う。しかし、そんなことは総悟にはお見通しだったようで、体を反転させて防いだ。だが、防がれたことに名字は笑みを深める。
「はーい、かかった」
名字がそう言った瞬間、体を反転したことによってガラ空きになった総悟の右横腹に蹴りが入った。名字は、痛みと驚きによって弱まった総悟の防御を崩し、喉元へと刀を向けた。
しかし、少女の蹴りくらいでは動きは鈍ることなく、総悟の立て直しは普段と変わらず早い。そんな総悟と名字はほぼ同時に刀をお互いの喉元にあてた。そして、あと少し刀を押せばお互いを殺せる状態で二人の動きはピタリと止まった。
「……負けた」
長い沈黙の後、名字はそう一言呟いて刀を下ろした。そして足から崩れ落ちる。
「オイ、だいじょ」
「うそうそうそ!今まで負けたことなかったのに……!!」
大丈夫か、と言おうとしたであろう総悟の声を名字の悲痛な叫びが掻き消した。名字の潤んだ瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。
確かにこの少女は強い。今まで負けたことがないというのも恐らく嘘では無いのだろう。しかし、相手の技術が自分と互角、またはそれ以上、さらに男だった場合。力で敵わない分、押し負けてしまうのは仕方の無いことだ。これで合格者は無し、ということか。
「土方さん、合格にしてやったらどうですかィ」
「これにて試験は終わ……は?」
試験終了を告げようとした俺の声は、総悟の突飛な提案によって途中で止まった。
「この俺と互角にやりやったんですぜ。それで十分だろィ」
そう言って、総悟は横目でちらりと名字を見やる。彼女は依然泣いたままだ。
「そうだなぁ。俺も合格で良いと思うぞ、トシ」
総悟のその言葉に近藤さんもうんうん、と頷いている。近藤さんのお人好しは今に始まったことではないが、総悟に関しては一体どういう風の吹き回しなのか分からない。
とはいえ、確かに名字は腕が立つ。隊士は多いに越したことはないのだ。それに、あれだけ嫌がっていた総悟が認めたのだ。これはもう、合格にしてやる他ないだろう。
なんて、脳内で一人ぶつぶつと言い訳を零しながら、当の本人、名字名前の方を見た。彼女は俺たちの会話を聞きながらも、キョトンとしている。無理もないだろう。本人は負けたと思っているのにも関わらず、合格だなんだと言われ、彼女の居ないところで勝手に話が進んでいるのだ。俺は名字の前まで行き、静かに尋ねた。
「お前はどうしたい、名字」
「……真選組に入りたい、です」
最初は目をあちこちに泳がせていたが、そう言い切る頃には俺の目をしっかりと見返してきた。真っ直ぐで、確かに信念のある目だった。