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彼とあの日別れてから20年経った
すっかり実家の呉服屋にも慣れて、季節の変わり目や行事事の際に彼の墓石へ行くことも習慣付いていた


"火祭りの日、夕刻「酉二つ」に、刃武港にて、反逆の意思"


私の心臓は酷く騒ぎ立てていた
もしかして実行者は彼らで、本当に彼は、彼らは生きているのかもしれない
その思いだけが心で揺れて強く手を握る
20年前のあの日を目を瞑るだけで思い出せる
今でも震えてしまいそうな程の光景に痛む胸を押さえて目の前の窓を開けた
夜風が吹いて心地よく、月は綺麗に町を明るく照らす
深い紺に綺麗な黄色はいつも彼を思い出させてくれる
離れていても毎晩近くに来てくれている様でこの20年何度も心の支えになってくれていた


『傳ジロー』


小さく呟いてみた名前を声に出したのは酷く久しぶりだったように思う
秘密裏にあった関係で、今では名前をそう口に出せない様な彼である
それでも口から落ちた名はするりと溢れていって夜に溶ける
生きているのなら、彼もこの空を見ているだろうか
生きているのなら、彼もこの空気を吸っているのだろう
生きているのなら、いつか会っても許されるだろうか
絶え間なく沸き上がる欲望に箍は外れたようだった


『…会いたい』


堪えきれずに出た言葉は誰の耳にも入らなかった
風に吹かれて揺れる髪もそのままに窓枠に体を預けて目を瞑る
握った反逆の意思が記された紙は風に靡いて小さく音をたてた


「…なまえ殿」


不意に呼ばれた声に驚いて窓の下を見た


『き、きん…えもん…さん…?』


ありし日のままの姿で、彼は一人立っていた


「少し話を宜しいだろうか」

『え、あっ、はい…!』


声を抑えて肯定の意を示せば失礼する、と簡単に三階にある部屋まで軽く飛んでやって来た錦えもんはゆるく笑って元気そうで良かったと呟いた


『錦えもんさんは、その姿…』

「…説明の前に、一つ問いたいことがある」


表情を引き締めて、しかとこちらを見つめてそう言った錦えもんさんに背筋が延びた


「傳ジローの行方を知らないか」


つい胸を押さえた
錦えもんさんですら、彼の行方を知らないというのか
言葉が口から出てはくれず、首を静かに横に振った


「…そうか…すまなかった」

『謝らないで、下さい…もし、彼が死んでいたとしてもきっと彼に後悔はない。きっとそれが彼の生きざまです。もし、生きていて身を隠しているのなら然るべき時に彼は必ずやって来ます』


それだけを願って支えにして生きてきたのだ、この20年間を
震える声帯を奮い立たせて、凛として前を向けとここまで進んできた20年を無駄には出来ないから
それから錦えもんさんは20年前のあの日から、トキさまの能力でここまで時空を飛んできたという
そして果たせなかった討ち入りを今度こそ、と計画していると教えてくれた


「なまえ殿は、討ち入りの日もこうして奴の帰りを静かに待っていてやって欲しい」


もし、帰ってこなかったとしても
そう言って下げられた頭に断る理由などなく、むしろそうしていたいとすら思った


『…もちろんです主人の帰りを待つのが妻の役目ですから』

「…あいつは、いい家内を貰ったな」


そう言って笑った錦えもんさんはまた窓から降りて帰っていった
心は軽くなって、驚くほどの不安感も無くなっていた
出来ることなら、また会いたい
けど、もしもがあるなら彼の信念の為に生きて欲しいから
全ての成功を煌めく星とあの月に願った




船の切っ先が荒ぶる波を切り開いて進む
ぶつかる波に負けることなく突き進む船は凛々しく、ただ前を見据えて進んでいく
カイドウを倒し、文字通り晴れて自由になったこの国は明るくこの船のようだと思う


「傳ジロー、いいか」


ジョッキを二つ握って俺の隣に来たのは錦さんだった


「あぁ、錦さん…お互い無事で良かったでごさるなあ」

「命があるだけでも無事でござるお前も無事で良かった」


錦さんから受け取ったジョッキをごつんとぶつけ合う
中身を傾けて飲めば発泡酒で、しゅわしゅわとした淡い痛みが喉を駆け抜けた


「…この戦いの前になまえ殿に会いに行った」


ついジョッキを持つ手が強まった


「…そうか」

「どうだった、とは聞かんのだな」

「知っているからな元気に暮らしてると」


会っていたのか?と聞いた錦さんに首を横に振った
ジョッキを握る手の力はすっかり落ちて泡と共に水面に映る自分の間抜けな面をぼんやりと眺めた


「会っていたよ、"居眠り狂死郎"と彼女がな」

「そうか…お前の居場所を聞いたら分からないと言っていた」

「はは、だろうよ彼女は何も知らない」


錦さんがじっとこちらを見ているのを感じた
けど目は合わせられなくて間抜けな自分だけを見続けた
俺を一度深く目を瞑って息を吐く


「…分かってるさ、全て終わったんだ…全て、伝えないといけないということは」

「彼女は待つと言っていた、例えお前が生きていようとそうでなかろうと」


ちらりと錦さんを見ればもう前を向いて、海を、ワノ国を眺めていた


「20年、待たせたんだ…会わせる顔が無い」

「…気持ちは分かる、俺も…お鶴にはまだ会えてなくてな」

「錦さんは、どんな顔して会うつもりなんだ?」


ぐっ、と唇を噛み締め険しい顔をした錦さんはすぐに笑ってこちらを向いた
下手くそでいびつなそれなのに幸せな気持ちになる笑顔につい間抜けな声が溢れた


「全力で笑って笑顔で、その後はしっかり抱き締めてでもやろうと思う!湿っぽいのは俺たちに合わんからな」


そうドンと胸を張った錦さんについ笑った
それに釣られるように笑った錦さんはおでん様ならそうしてやれと言っただろうからな、と呟いた


「…お前たちにも湿っぽいのは似合わんと思うぞ」

「だが、」


ばしん!と強く叩き付ける音共に俺の背中に強い衝撃が走ってついジョッキを落としそうになった


「いっっ、」

「お前は!幼い頃から変わらんな、この"弱虫"傳ジロー!!今のお前は何だ、赤鞘九人男の、あの光月おでん様の家臣の傳ジローでござろう!!」


なよなよくよくよしている時ではなかろう!
強く叩かれた背中が痛むより真っ直ぐ心に突き刺さった言葉が俺の胸を痛める


「…あぁ…あぁ、錦さん申し訳ない手間取らせたな…俺はもう弱虫は辞めたんだ」

「ふん、相変わらずお前は世話が焼ける」

「それは錦さんもだろう」

「そんなわけない、昔から何事もお前に手を焼いて」

「いいや、錦さんの方が昔からやりたい放題で俺は苦労して」


白熱する言い合いに何故か安堵さえした
こんなことさえ幸せとして噛み締められる
船が行く先に不安はもう無かった
この船が止まって陸に着いたなら、真っ先にお前の元に行って不器用でも不格好でも下手くそだったとしても全力で笑って、その手を引いて抱き締めてやろう
俺にはもうその覚悟ができているから
弱虫は羽化する
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