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「#エロ」のBL小説を読む
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力の入らない手元からからんと音が鳴って床に包丁が落ちた
どこにも当たらず怪我一つ無かった
どうせなら足にでも刺されば良かったのに
そんなことを思ったところで彼の言葉が頭に響いて床に落ちた包丁から距離を取った
だめ、こうなったときは刃物に近づいちゃだめなんだって、しゅーさんいってた
一向に消えいかない希死念慮に頭が酷く霞んでいく
キッチンから這いずるようにリビングへ移動して震える手で彼愛用のパーカーを握りしめる
しゅーさん、しゅーさんしゅーさん
青い布地に顔を埋めて深呼吸をした
体内に彼の香りが回っていくことでこの場に彼がいるように感じた
ほんのすこしだけ霞がかった思考が晴れてようやく薬、と思い付く
握り締めていたパーカーを肩に掛けてゆっくりと薬の入っている子棚へ向かう
一段目を開いてもそこに目当てのものは無くて、困惑した
二段目にも求めていたもの無い、怖くなった
最後の三段目には何も入っていなくて突如恐怖心に駆られた

無い薬が

すべて彼に任せていたから、自分で管理も出来ないから
開きっぱなしの子棚を引っくり返すように中身を出した
薬らしきものすら無くて座り込んだまま動かなかった
どうしよう、どうしようこのままじゃだめになる
ボロボロと落ち始める涙を止めてくれる薬も人もいないことに恐怖心が芽生えて急成長していく
劣等感と希死念慮だけが頭を占めてどうにもならない
歪んだ視界に先程落とした包丁が入る

あぁ、あれがあれば

緩慢な動きで立ち上がる
足元で飛び散った小物がじゃらじゃらと騒がしい
壁を伝って立ち上がると彼のパーカーが小物の海に落ちた
なんとかそれを拾い上げて今度はしっかり袖を通した
袖が長くて丈も長い大きな彼らしくてまるで彼に包まれているみたいだった
まっすぐ落ちたそれのもとへ進んで目の前でまた座った
銀色のそれが外の光を反射して目映く見えた
こんなものですら輝けるというのに私なんて、
ゆっくりとそれに手を伸ばして持ち手を握る
いつもこんなにこれは重かっただろうか、まぁ、いいか
片手で持ち上がらなくて両手で持ち上げた
刃先がこちらを見つめていて鋭いそれに彼の瞳が重なった
でも、彼はもっと優しくて愛のある瞳を此方に向けてくれるのに
ずっと流れ落ちている涙が歩いてきた床に点々と跡を残している
それに真っ赤な赤が加わって、でもしゅーさんは青が好きだから私の血液は青になった方が彼の好みになれるのに
ぱたぱたと顎先から伝い落ちた涙が紺色のパーカーに吸われていく

遠くで扉の開く音が聞こえた

なんでだろう、ぼんやりとした頭ではなにも分からなくてただ目の前の鉄の塊を見つめて震える手でそれを近づけていくことしかできない

目を瞑る

彼の香りが広がって何にも変えがたい強さを手に入れた気持ちになる
きっと鉄はもう首のすぐ前にいる、でもそんなことも怖くないほどの強さを彼はくれる
何故か口から笑いが溢れた
ゲラな彼が移っちゃったのかな、そう思うともっと強くなれた


「ただいま」


彼の声が聞こえて反射的に目を開いて声の聞こえる方を見た
あれ、私今なにしてたんだろう


「あぁ、薬自分で探そうとしたんですね」


偉いね、なんて笑ったしゅーさんが私の前にしゃがみこむ
急に手に力が入らなくなって両手を床に落とす
握ったままの包丁は天井を向いて煌めいている


「どこも怪我してないですか?」


三日月の様な瞳がじっと此方を見ている
こくこくと頷けば安堵したように笑って私の手から包丁を奪い取った


『しゅ、さん』


名前を呼べば彼が渇れない涙を止めるように親指で拭って瞼に口づけを落とした


「…はい」


まるで止めといたよ、なんて言うようにこちらを見るしゅーさんの魔法であれほど止まらなかった涙はぴたりと止まった


『薬、見つからなくて』

「でしょうね全部捨てましたから」


当たり前みたいににこにこそう言ったしゅーさんの言葉は中々噛み砕けなかった
反芻して、反芻してほんのちょっとだけ理解できたように思う


「理解できないって顔、してますよ」

『だって…あれ、ないと私』

「死にたくなっちゃいますもんね、死に方なんてたいして思い付かないし死ぬのが怖い癖に」


鈍器で心臓をぐしゃりと潰された様な感覚が体を襲う
目の前のにこにこ笑うしゅーさんと、この言葉を突き刺すしゅーさんは同じ人なんだろうか
しゅーさんなのに、しゅーさんじゃない頭がぐちゃぐちゃにミキサーで混ぜられた様だった


「死にたくなりました?また」

『ぁ…や、だ…』


やだ、とただひたすら口にする
死にたい、この気持ちをどうにも昇華する手段がない
でもどう死んだらいいのかも分からない
目の前のしゅーさんに似たなにかが使います?なんてしゅーさんみたいな声で鉄の塊を差し出した
やめてよ、しゅーさんどこ、私のしゅーさんは


「…っぁは…あはは…ほんと、良い顔」

『や、だ…やだ…』

「まじでかわいい…ね、辛い?しんどい?死にたくなった?」

『やめて…やだ、おねがい…やめて』


彼が握っていた尖ったものを投げ捨てるように遠くへ追いやった
空いた両手は私の頬を挟み込んで恍惚な笑みを浮かべる


「…ほら、ぎゅってしてあげますから」


落ち着いて、そう言った彼に包まれた体は冷水を被ったような冷たさを溶かしていく
きつく目を瞑るとしゅーさんの香りとしゅーさんの体温が広がって安心する
自然と両腕は目の前の男の背に回っていた
耳元で優しいしゅーさんの声がする
ぐちゃぐちゃになった頭は次第に落ち着きを取り戻そうとしていた


「落ち着きました?」

『…少し、だけ』

「良かった、パーカーまだ着ててもいいですよ」

『しゅ、さん…』

「ん?どうかしましたか?」


目の前の男がしゅーさんと呟いた名前に反応する
しゅーさんは優しくて、私を全部受け止めてくれる優しい人なのに
ぎらぎらと眩い瞳がじっとこちらを見つめてくる


『ほんとに、本当に…しゅーさん、なの』

「あれ、疑ってますか?…本当にちゃんと俺ですよ」

『なら、なんで』


続く言葉が口から出ないのは私が弱いから


「なんで、薬を捨てたりそんな酷いこと言うの?…って聞きたいんですか?」


にこやかなままのしゅーさんは私の両腕に手を添えたまま真っ直ぐこちらを見抜く


「教えてあげましょうか…そろそろ、知りたいですもんね」


左腕を掴んでいた右腕がゆるゆると下に流れていき肘、手首と経由して薬指の光る銀色を撫でた


「俺、なまえのこと大好きなんですよ…何もかもに絶望したみたいな顔して平然と全うに社会を生きてるのに俺にだけ弱いところを見せてくれて、死にそうな顔して俺だけにすがり付いて…この世界に救いは俺しかいないって、思ってるその顔が特に」


他ももちろん全部好きですよ、左手が持ち上げられて目の前で煌美やかな輪が外の光を反射する


「だから…薬なんて、いらなくないですか?俺がいるんだし」


右手で持ち上げていた手を左手に持ち変えて二つの鉛色したそれがぶつかってかち、なんて金属音を鳴らす


「俺だけでいいんですよ、なまえのこと安心させてやれるの…」


だって、なんて前置きをしながらゆっくりと指を絡ませて握り込んだしゅーさんは視線を二つの手からこちらへ動かして蛇の様な鋭い目をした
感じた既視感は尖ったナイフを見たときに感じたそれだった


「だって、もう全部俺のもんですもん…ね?」


その歪んだ目を見て背筋に何かが駆け抜けた
ぞわぞわとか、ぞくぞくとか、すべてを混ぜ込んだようなそれにまるで力が抜けた様になって思わず目の前のしゅーさんに助けを求めた


「あは、ほらやっぱりもう俺無しじゃ生きていけないんですから」


俺だけ見ててくださいね

そう言ったしゅーさんは鋭い目と真反対の優しいキスをした
その動きに自然と希死念慮は消えていくし、不安感も恐怖心も無くなっていく
どうやら私はもう既に毒に犯されていたみたいで、それを与えた彼にしかこの毒は飽和できない
360゜どこを見たって頼れるのはしゅーさんだけで私にはしゅーさんしかいないのだ
あぁ、私の特効薬はしゅーさんなんだ
受け入れることは容易かった
繋がったままの左手をゆっくり握り返してもう一度とせがむと彼は嬉しそうにもう一度をくれた
私にはもう、かれしかいない
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