▼変わった幼馴染
「ほら風呂入るよ」
合鍵でお邪魔する家も、汚く散らかった部屋も、その中で髪をペタリとさせた幼馴染も、もう慣れてしまった。何度目かも分からない他人の家の風呂を沸かしてベッドで布団にくるまる名前の服を剥ぐ。
「おはよぉけーじ」
「ん、おはよ」
眠気眼でされるがままの名前をいつもの様に湯船に突っ込み上からかけ湯をしてやる。目をギュッと瞑る名前を確認して泡が湯船に混ざることも気にせず泡立てたシャンプーで頭を洗ってやれば気持ちよさそうに「ふふ」っと笑をこぼした名前の声が嫌に響いて、その瞬間だけは慣れずドキリとする。
誤魔化すようにまた頭からお湯を被せて流れ作業のようにコンディショナーを髪になじませる。
俺よりも長く艶のある髪の毛はどうにか綺麗にさせてやりたいと、自身の髪を洗うよりもきっと丁寧に手入れをしてやっている。
コンディショナーを流しきって、名前に肩まで浸かるように背中を叩いて促せばくすぐったそうに彼女は笑いおとなしく従う。
「じゃあ朝飯準備しに行くから、上がったら呼んで」
「はーい」
浴室を出て、濡れた手足を拭う。己のシャツに跳ねた泡を腕で払って先程の部屋の惨状を思い出す。
ご飯を温めている間に簡単に掃除しておこう。
そう考えながら先程脱がした名前の寝巻きと下着を洗濯機に放り込み洗剤と柔軟剤を棚から取り出し洗濯機に投入して稼働させる。
月曜の朝は少しだけ忙しい。土日はくたくたに疲れた体では名前をあまり構えず、そのせいか堕落した名前は風呂にも入らず部屋を散らかしまくり胃に物を入れることも中々しない。だからこそ月曜日は荒れるに荒れた苗字家に戦場に赴く戦士の気分で訪れる。
そもそもこうなった訳だが、
幼馴染の名前はひとりっこで、晩婚をして授かったらしい彼女を両親は大層可愛がっていた。娘に尽くしまくる名前の両親を見て幼かった俺はこれが箱入り娘というものなのだろうと、小学校低学年にして察していた。
そんな彼女の両親だが、海外赴任ということで溺愛する娘を日本に置いていったのは未だに驚きだった。
更に驚いたのは名前の生活力の無さだった。今まで両親が尽くしに尽くしたせいだろう、名前は掃除機の使い方も洗濯機の使い方も知らなければ炊飯器で米を炊くという事も出来なかった。
異様だと知ったのは突然に彼女からの電話だった。中学に上がって部活をはじめてから自然と疎遠となっていた名前からの電話に何事だろうかと思っていれば「電子レンジが爆発しちゃったー」と間抜けた声で言うではないか。
駆けつけてみれば、電子レンジではなくその中にあった何かが爆発したものだと知り安堵したのも束の間、部屋の異臭と以前訪れた際から全く違う様子のリビングの有様に異常事態だと気が付いた。ちなみにその時は電子レンジでゆで卵を作ろうとしたらしい。
ゴミ屋敷になりかねないリビングと、名前の着ているくたびれた服に、まさかと思って尋ねれば「この服3日目かなー」と返事が返ってきた。
ついでに湯船の水は1週間くらい変えていない、なんなら数日風呂にも入っていないと聞いて俺が倒れそうだった。汚い、汚すぎる。
ばっとリビングのゴミたちに目を向ければコンビニ弁当やパンのゴミなどが目に入り不摂生の生活が簡単に想像できた。
隣の家がゴミ屋敷になる。
名前が不衛生な女に成り果てる。
俺は潔癖症という訳ではないが、さすがにここまで酷いと目眩もする。ありえない。今すぐ何も見てなかったことにして家に帰りたかったが、名前のにへらっとした顔を見て脱力する。
一応、一応だが幼馴染。そして曲がりなりにも名前は俺の初恋の相手である。
部活三昧だった中学時代で恋心なんてどっかに行ってしまったが、過去は変えられない。
「わかった、とりあえず風呂入ろっか」洗うのもサボられペタリと張り付くような髪の毛を見て、俺は彼女にそう言った。その間に服を洗濯してやろう。この有様だとすぐには無理だが少し片付けてやって栄養のあるものを家から持ち寄り食べさせてやろう。
そんな事を考えてそう言った俺をきょとんとした顔で名前は見上げそうして言った。
「え……めんどくさい」風呂に入るのが面倒だとは年頃の女の子が言う事ではない。と確かその時は言った気がする。少しむくれた名前が「じゃあさ」と小さい頃から変わらない笑顔を俺に向けた。
「一緒に入ろうよ」名前の両親がいれば卒倒しただろうその台詞に俺は「はああ?」と信じられないものを見る目で彼女を見、そして声を上げた。にも関わらず名前はなんて事はないと言わんばかりに妙案だと自分の発言に何度も頷き「よく入ってたじゃん」と続けるので、その小さな頭を引っぱたきたくなった。いつの話をしているんだ。
何だかんだで浴槽を洗ってやり綺麗なお湯を張り名前を風呂場に押し込む事に成功して安堵する。慣れない他人様の家の洗濯機を回して、リビングのゴミを粗方まとめ終わって時間の経過に違和感を覚える。
長風呂にしては長すぎる。浴室から出てくる様子のない名前を扉越しに何回か呼びかけて嫌な予感が胸を叩いた。
「名前、入るよ」一応断って浴室の扉を開ければ室内に溜め込めた湯気が視界を覆って、それから……
名前は浴槽で爆睡、ついで崩れた体勢で危うく溺れかけていた。
そんな事件があってから俺は幼馴染を言葉通り風呂に入れている。彼女の両親は一体名前をどんな育て方したんだろうかと頭を抱えたあの頃。
恥じらいもなく俺の前で全裸になる名前に複雑な心境だったがもう慣れてしまった。
数日でも放っておけば苗字家はゴミ屋敷に、名前は不衛生の塊になってしまう。
それが頭を占めて家の合鍵を預かり幼馴染の介護のような生活をすること早1年。
「(狼狽えなくなったな、本当に)」
無防備すぎる名前に俺も健全な男子高校生。風呂上りも「暑い」との理由でキャミソールにショーツ一枚という姿に怒鳴り散らした記憶がある。あの悶々とする気持ちはもう通り越してしまった。
それでも彼女を放置することができないのは惚れた弱みなんだろうなと、蘇ってくる恋心にため息が出る。
異常だ、俺たちの関係は。
幼馴染でもこんな甲斐甲斐しく世話する仲は他にないだろう。というかあってたまるか。
そしてここまで異性として意識されていないことに虚しくも感じる。
男女であるはずなのに、名前にとって幼馴染というカテゴリは性別もなしにしてしまうらしい。
いつまで続くか分からないこの関係に深い溜め息を付いたところで、浴室に続く風呂場の扉が開いた。
「あがったよー」
キャミソールにショートパンツ。最初よりはマシだがやはり露出の高い姿はもう慣れたが風呂上がりの紅潮した様子のそれは目に毒である。
それをなんとも感じていません、という様に装う俺も大概だ。
「髪乾かすよ」
「はーい」
グリルから焼き鮭を出し、温めていた味噌汁の火を止める。「美味しそう」と首を伸ばし覗こうとする名前に「乾かしてからね」と告げドライヤーのある洗面所に二人で向かう。
名前の生活力が皆無なせいでこの1年で俺の家事能力が向上してしまった。簡単なものなら食事も作れるようになった事を、それ自体は悪いことではないはずなのに経緯を考えると何とも言えない。
髪を乾かし終えて時計を見る。ドライヤーを置いて、名前をリビングに促し止まった洗濯機から洗濯物を乾燥機にぶっ込む。
「じゃあそろそろ行くから」
「うん、行ってらっしゃい。また後でね」
朝練の為に家を出る時間帯、名前が丁度ご飯を食べるころ。
どうせ食器は洗わないでシンクに放置されるので俺は1日の終わりに自宅より先に名前の家に寄って片付ける。
そして名前をまた風呂に入れて洗濯物を畳み夕飯を一緒に食べる。月曜日は本当に忙しい。
手を振る名前に、鍵をかけ忘れないように言いつけて漸く家を出る。
俺たちの関係は、本当に異常だ。