▼懺悔はどうか別れの後に
どうか頼むから泣かないでほしい、そう願うことすらも傲慢なのだろうか。
ぐすぐすと鼻を濡らして懸命に涙を拭う彼女を最早慰めてやることも抱きしめてやることも出来ない。
「そんなに泣かなくても」
苦し紛れに漏れた自分の声は僅かに震えていたような気がする。
こんな風に誰かに想って泣いてもらえることが俺にも出来たんだなぁと何処かのんびりと考えていたのは、おそらく痛みを感じないほど体が麻痺していたからなのだろう。
俺、どうなっちゃうんだろう。なんて考えていたのも目の前で号泣する彼女を見てしまえば幾分か冷静さを頭は取り戻していて、その見事な泣きっぷりにはああ俺多分死ぬんだなと他人事にそう思わせるほどだった。
こっちが泣きたいくらいなのに、想像以上に泣いてみせる名前に動かない体を憎んだ。なんで抱きしめてやれないんだろう。
悲痛な程に聞こえてくる彼女の音は心が引きちぎれるのではと思うくらいに痛かった。
「俺、お前が好きだよ」
唐突に告げた俺に名前の嗚咽が一瞬やむ。
びっくりしたんだろうなぁ、でも本当なんだよ。俺にとって女の子はみんな守りたい対象で、柔らかくてふわふわとしてて甘い匂いのする生き物が、存在するってだけで奇跡に感じて。しかも彼女たちは微笑むんだから女神様だと思ってしまう。
物の怪の何かかと気味悪がられた俺の金髪をお月様のようで綺麗だよと笑ってくれた、そんな名前は俺はとって特別で、いつも照れちゃって素直に告白なんて出来なかったけど死ぬ前くらいには気持ちを伝えておきたかった。
だってこんなに俺だけのために心を痛めて涙を流しているんだから。
言い残して死んで残酷だと言われても、伝えなくちゃいけないと思ったのだ。
「善逸…」
見開かれた瞳から大きな雫がまた溢れる。ごめんな、力が入ればその涙を拭ってやれるのに。
「聴覚ってさ、最後まで残ってるんだって」
だから俺が死んだ後もしばらく俺に話しかけててよ。
不甲斐ない最後でごめんな、こんな時にずるくてごめん。
そんな風に続けて、俺はゆっくり目を閉じた。麻痺して動かない体に、温度があるのかないのかそれすらも感覚が消えてきてしまった。
こんな風に誰かに泣いてもらえて、看取ってもらえて、安らかに逝けるなら悪くないかもしれない。しかも相手は名前だ。文句なんてない。
そもそも鬼殺隊に入隊した時にロクな死に方なんて期待していなかったんだから万々歳なんだ。
そう思った俺を知ってか知らずか名前が息を飲んだのが分かった。
「なに…言ってるの…」
次いで耳に届いたのは困惑の音。
そうだよな、こんなに無責任な事を男から言われたりしたら普通困ってしまうよな。けど、最後くらい贅沢を言ったってバチは当たらないと思った。
しかしながら、名前の次の台詞には閉じた下りの目を剥き出すように見開くこととなる。
「善逸…死なないよ?」
ぐすん、ぐすんと鼻を鳴らしつつも彼女の音が困惑一色になるのが聞こえる。間違いなくその音は嘘をついてなどいない。
「…………え?」
見開いた俺に名前が再度「善逸、死なない」と片言ながら口にする。
あっという間に混乱する俺に名前は少しだけ顔を歪めてみせた。いやだってその表情とその泣きっぷりはどう考えても俺死ぬでしょ。
「蟲柱様が処置を施して下さったから、善逸は死なないよ」
「あ、そうなの…?」
どうやら体が動かないのはまだ敵の毒を体が解毒しきれていないかららしい。副作用で感覚の麻痺が多少あるかもしれないと言っていたよと説明されて、なるほどねだから体温とか感じないわけねとぼんやりと納得する。
「じゃあなんでお前そんなに泣いてんの」
一本調子で尋ねた言葉に名前はまた涙をボロボロとこぼし始めた。
「だって…善逸髪の毛がずるむけて…」
あー…そういえば毒を食らった後、蜘蛛になる過程で髪が抜けるんだったなー…と思い出す。って、泣いている理由それなのね!
「なるほどね!俺の髪好きだったもんね!?」
俺のために泣いてるっていうよりは俺の髪が抜けて嘆いていたのね!?にしても号泣すぎない!?普通にそんな泣かれたら、あー死ぬんだなぁって勘違いするよ!?
っていうか…
「女の子がずるむけなんて言葉を使うんじゃないよ!!」
もう何処に突っ込めばいいのか分からない。分からない以上に俺も泣きたくなってきた。
じわじわと襲ってくる眠気に、ああこれも副作用かなとぼんやり考える。
はらはらとそれは綺麗な涙を流す名前が「善逸」と俺の名前を口にする。
どこか馬鹿らしくなってしまって目を瞑った俺はそのまま「なに」とぶっきら棒な返事をしてしまった。
「おやすみ、善逸」
優しくそう声をかけられて、本当に死なないよねとまだ心のどこかで心配になるも、次いで降りてきた額への柔らかな衝撃に、誘われるようにして眠りに落ちてしまう。
俺、お前に好きだって言ったんだけど。起きたら返事を聞かないと…。
額への感触が何よりの返事だと思いながらもストンと落ちるように俺は眠りについた。