不器用で優しい指先


「なあ、おまえ兄貴たちにもこんなことさせてんのか」

 わたしの身体をベッドへ横たわらせたすば兄が、悲しそうな呆れたような目で見つめてくる。頷くと溜息を吐いてから頭を撫でられた。

「……薄々気付いてはいたけど」

「知ってたの……?」

「そりゃあ、あんだけ家の中がゴタゴタしたらな」

「そうだよね……でも、すば兄は知らないんだと思ってた」

「馬鹿にすんな」

「だって」

「すみれが嫌がると思ったんだよ、知られるの。だから、知らないフリしてた」

「……そうなんだ」

「自分でも何も知らないフリして暗示かけて、でないと殴っちまいそうだったからな」

 誰を、なんて野暮なことは聞けない。初めての相手が彼だと知ったら、すば兄はきっと今からでも殴りに行ってしまいそうだと思った。

「……でも正直、誰と関係があんのかイマイチ分からないけどな」

「あー……うん、でもそれは、秘密にしておきたいかも……」

「かな兄だろ、あとつば兄、あず兄、風斗もか?」

「そこまで知ってて、知らないっていうのは……」

「いや、勘だけど。これで今の四人は確定したな」

「……う」

「それから、あいつも」

 すば兄の瞳が鋭くなる。言葉に詰まって頷いただけのわたしに、すば兄はまた溜息を吐いた。

「……すみれは」

「うん?」

「嫌じゃないのか、兄貴たちにこんなことされて」

「……うん、嫌じゃないよ」

「じゃあ……今、俺が、おまえを、無理矢理したら……どうなる?」

「すば兄がしたいなら、いいよ」

「はあ……おまえどこまでお人好しなんだよ」

「依存してるのは、わたしの方だもん……お兄ちゃんを縛ってるのはわたしなの」

「……んなことないだろ」

「そんなことあるよ」

 わたしの頬に触れた指が震えていた。なんとなく、このまますば兄ともしてしまうのかな、という雰囲気になっていた。震えた指が離れ、大きな身体が覆いかぶさってきて抱き締められる。でもすば兄がすごく緊張しているのが分かって、それになぜか安心してしまう。

「おまえはこういうの、慣れてんだよな」

「……あんまり慣れてないよ。何回しても緊張しちゃって」

「そうか」

「慣れなきゃって思えば思うほど、身体が固くなっちゃう」

「……慣れたいのか?」

「うん……慣れたら、もっとお兄ちゃんに色々してあげられる気がする」

「いやしなくていいだろ」

「だって……飽きられちゃったらどうしよう……」

 ずっと抱えている不安をポロッと零したら抱き締める力が急に強くなった。

「すみれはそのままでいい」

「でも」

「飽きて離れていく奴がいたら俺がぶん殴ってやる」

「……暴力反対」

「おまえな」

「でも、ありがとう……すば兄」

 少し身体が離れたと思ったら、すば兄の顔が近付いてきて目を瞑った。ぎこちない触れるだけのキス。いつもお兄ちゃんにリードしてもらうばかりのわたしは、そのキスが新鮮で甘酸っぱくて、なんだか愛おしくなった。普通に恋愛をするとこんな感じなのかな、とぼんやり考えてしまう。もちろんすば兄とも血が繋がっていることに変わりはないのだけれど。触れるだけの唇はしばらくしてから離れていった。

「……なんか、変な感じだな」

「キスの感想?」

「ああ」

「でも、すば兄も今まで彼女いたことあるよね?」

「は!? いや……それは」

「もしかして初めて……?」

「いや……その、なんつーか、まあ」

「え、こんな、わたしなんかが初めてでいいの……? すば兄、好きな人いないの?」

「……好きな奴はいる」

「じゃあどうして」

「いや、おまえ鈍すぎないか?」

「え、それすば兄に言われたくない」

「俺が好きな奴……分からないのか」

「うん」

「はあ……もういいや」

 もう今日は何度目か分からない溜息をすば兄は零す。そして頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜる癖が、なつ兄にそっくりで思わず笑ってしまいそうになった。いつか昔みたいな仲良し兄弟に戻るだろうか。小さい頃、なつ兄とすば兄が一緒に体を動かしているのを見るのがわたしは大好きだった。

「……なあ、触っても、いいか」

「うん」

 すば兄は律儀に確認したあと、また頬へ指を伸ばした。まだ迷っている指がくすぐったい。頬に触れたあとは唇や耳など、色んな部分の感触を確かめるように移動していく。

「……小さいな、おまえ」

「すば兄が大きいんだよ」

「いや、なんつーか……柔らかくて、同じ人間とは思えない」

「えー?」

「……触ったら壊れそうだ」

「そんな簡単には壊れないから大丈夫」

「まあ……でも怖いな、やっぱり」

「やめておく……?」

「いや」

 頬の辺りをさまよっていた指が、少しずつ下へ降りてブラウスの第一ボタンで止まった。ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえて、でもそれから先は進まなかった。すば兄は固まったまま動かない。

「あの……わたし、自分で脱ぐよ?」

「いやいいって」

「だってすば兄、緊張してる」

「……おまえは、随分と余裕があるんだな」

「余裕があるわけじゃないけど……」

 いつもは全てお兄ちゃんに任せっきりで、自分からは何もしないまま行為が進められていく。与えられる快感に翻弄されるばかりで、何かをしようという余裕もない。でも今日は緊張しているすば兄相手に、頑張れる気がした。

「脱ぐね」

「は!?」

 ブラウスのボタンを外していくと、すば兄は顔を真っ赤にして視線を逸らしてしまった。こういう反応、新鮮かもしれない。自ら起こした行動で相手が翻弄される。いつもわたし相手に、お兄ちゃんたちはこう感じているのだろうか。

「いや、いや、おい、待てよ」

「ええ……もう脱いじゃったもん。すば兄こっち見ないの?」

「……おまえ、すみれ、他の兄貴たちにも、そんなことしてんのか?」

「服を自分から脱いだのはすば兄が初めてかな」

「……マジか」

 なぜかショックを受けた顔をしているすば兄を置いておいて、ボタンを外し終えたブラウスから腕を抜くために身体を起こした。脱いだブラウスを畳んでその辺へ置いて、キャミソールも脱いだ方がいいかなあ、と考えているとすば兄がやっとわたしへ視線を向けた。

「お、俺が、やる」

「……大丈夫?」

「ああ……ほら、腕、上げてくれ」

「うん、バンザーイ」

「おまえな……」

「ごめんね、なんか子供の着替えを手伝ってるみたいだよね? わたしに色気を求める方が間違ってると思うんだけど」

「……」

 すば兄はもう何も言わず、キャミソールを脱がしてくれた。上半身下着一枚になっても、もうちょっと可愛い下着にすれば良かったなあと考えるくらいの余裕がある。すば兄がわたし以上に緊張で固まっているからだ。

「すば兄?」

「……」

「下着も脱ぐ?」

「は!? いや、やめろ、脱ぐな」

「うーん……じゃあぎゅってする?」

「……ああ」

 伸びてきた大きな手に抱き締められる。胸元に顔を埋めて、筋肉質の鍛えられた身体は自分とは全く違う。口が裂けても言えないけれど、そんなところもやっぱりなつ兄と似ている。背中に回された手が温かくて、ドキドキよりも穏やかな気持ちの方が勝っていた。

「おまえ……細すぎないか?」

「え、うーん、そうかな?」

「折れそうだぞ」

「すば兄は大袈裟だなあ」

「いや、おまえ、ちゃんと食えよ。いつも茶碗の半分しか飯よそわないし、よくそんなで体力待つな」

「すば兄みたいに運動してないから、そんなに消費しないんだよ」

「いや……」

「うん?」

「細いのに、柔らかいな、どこも……それに、いい匂いがする」

 すば兄の声がワントーン低くなった。兄から男の人になったんだとすぐに分かった。今までぎこちなかった手の動きが、スイッチが入ったかのように急にスムーズになる。背中に回されていた手が肩や腕、脇腹に這っていく。

「んっ……」

「……すみれ」

「すば兄……くすぐったいよ」

「ああ……悪い」

 手を止めて身体を離したすば兄はもうわたしから目線を逸らさなかった。再び頬に触れた指も、もう震えていなかった。近付いてくる真剣な瞳に胸がぎゅっと苦しくなる。

「……キス、させてくれ」

「う、ん」

 触れた唇はぎこちなさを残しながらも、角度を変え、吸ったり啄んだりを繰り返した。息継ぎの仕方なんて未だに分からない。でも拒否もしたくない。いつの間にか涙で視界が滲んでいた。

「わ、悪い、嫌、だったか?」

「え、ううん……ごめん、勝手に涙出ちゃって……いつものことだから」

「……いつも、泣くのか」

「うん、いつも泣いてる……ごめんね、多分、するときも泣くと思う……けど、嫌なわけじゃないから」

「……みんな」

「え?」

「すみれが泣いてても、続けんのか」

「あ……わたしが無意識に泣いてるだけだよ、嫌なわけじゃないよ。ほら、わたし昔から泣き虫でしょう?」

「でも!」

「すば兄……?」

「最初は、無理矢理、だったんじゃ……ないのか?」

「……うん」

「痛かっただろ」

「……あんまり、覚えてないや」

「そうか」

 また大きな腕に抱き締められた。そして頭を撫でられる。背中も摩ってくれた。すば兄の優しい手の感触に涙が溢れていく。

 無理矢理されて、痛くて何が何だか分からなかったあの日。慣れていないうちに何度も求められるようになって、精神的にも肉体的にもかなり辛い時期があった。でもお兄ちゃんたちと離れるのはもっと嫌で、あまり深く考えずに全てを受け入れてしまった。それで良かったのか未だに分からない。今でも悩んでいる時間が多い。

 すば兄は泣き止むまでずっと抱き締めてくれていた。すみれはそのままでいい、とさっき言ってくれた言葉も、抱き締めてくれる大きな手も、ぎこちないキスも、全てわたしを優しく肯定してくれているような気がして嬉しかった。