カワイイイイナリ5


「侑介、その鍵貸せ」

「ああ」

 四階に上がるといつの間にか椿と梓の気配はなくなり、静かな廊下に自分たちの足音だけが響いた。昔使っていた部屋の前で侑介から鍵を貰い、鍵穴に差し入れる。

「オマエは廊下で待ってろ」

「なんでだよ、俺も行く」

「ダメだ。俺がいいって言ったら入ってこい」

「でも!」

「侑介、すみれはきっとオマエにだけは見られたくないと思う」

「……分かったよ」

 侑介が見てもいいことは一切ない。もうここまで来たら分かりきっていた。この先の部屋の状況をもう薄々頭が理解していて、自分でも見るのが恐ろしいのに。震える指を侑介に見せないようにドアを開け、部屋へと足を踏み入れた。

「すみれ……いるか?」

 入ってすぐツンとした臭いが鼻をつく。何の臭いかはすぐ分かった。男なら誰でも分かるそれに思わず顔を歪める。
 部屋は思っていたよりも片づけられており家具の配置なども変わっていなかった。そして昔使っていたベッドも同じように置かれていて、ただ一つ違うのはその上に裸の状態の妹がぐったりと倒れていることだった。

「すみれ、おいすみれ! 大丈夫か!?」

 駆け寄って揺するが何も反応がない。ずっと泣きじゃくっていたのか頬が涙で濡れている。いつも綺麗に整えている髪は乱れ、手首には紐で縛られたような赤い痕が残っていた。さらに白い液体が身体の至るところに付いており、シーツには吐瀉物と思われるものまであった。

「ひでえな……」

 雅兄に連絡するのが先か、いっそ救急車を呼ぶべきなのか、考える前にドアの外から怒鳴り声が聞こえてくる。

「おい、すみれに何したんだよ!」

「なんだ、バレちゃったじゃん。つか侑介、この部屋の鍵どこから手に入れたの?」

「あれ、本当だ。他にも棗の部屋の鍵があったなんて知らなかった。迂闊だったな……」

「ふざけんな!」

「中に棗いるの?」

「あちゃー、やっぱ棗に動画見せたの間違いだった?」

「棗が狼狽えるの楽しいから見せたいって言ったの椿でしょ……」

「ごめんって」

「つば兄あず兄、許さねえからな!」

「おー、こわこわ。とりあえず侑介も部屋入ろーぜ」

「すみれもそろそろ起きてるかな」

 ばれてもなお普段通りに話す二人が信じられなかった。すみれをこんなにしておいて、どうして平気でいられるのかも分からない。
 相変わらず揺すっても起きない妹に自分の上着を被せ、入ってくる足音から守ろうと背中で隠す。

「よ、棗」

「あれ、まだすみれ起きてないんだ」

「なつ兄、すみれはどうなって……」

「入ってくるな!」

 侑介は大声に驚いて一瞬たじろいたが、遅かった。ベッドの上のすみれを見て言葉を失ってしまう。

「侑介、ここから出て雅兄と京兄に連絡しろ」

「あ、わ、わかった」

「おっと、行かせるわけないじゃん。連絡されたら困るし」

「すみれはもうすぐ起きるから大丈夫だよ。ちょっと睡眠薬飲んで眠ってるだけだから」

「なんだよ、睡眠薬って……」

 二人が部屋から出ていこうとする侑介の行く手を阻んだ。梓の口から出た異様な単語を聞いて侑介は拳を握り締める。

「……侑介、落ち着け」

「だってなつ兄! すみれが!」

「オマエが椿と梓を殴っても変わらない。とりあえずすみれの身体を拭いて服を着せたいから、そこのタンスからタオル取ってくれ」

「あ、ああ……」

「下から二番目の引き出し」

「わかった」

 マンションに帰って来て時々泊まれるようにと服やタオルも残していったのは間違いじゃなかった。椿と梓を睨みながらも侑介はタオルを出してベッドに投げてくれる。すみれの身体を拭いて近くに散らばっていた服を着させる間、椿はこちらの様子を見ながら面白くなさそうに無駄口を叩いた。

「服着せてもさあ、意味なくね? どうせまた脱がせんのに」

「……椿」

「だって俺まだ今日すみれとセックスしてないんだよね。フェラさせたら吐いちゃって」

「椿の場合はイラマチオでしょ、だから吐いちゃうんだよ」

「でも梓が先に酷いことしたんじゃねーの?」

「してないよ。時間を気にしてたらちょっと手荒になっちゃっただけ」

「やっぱホテルの方がいいよなー……マンションだと見張りのために交代で時間気にしてやんなきゃだし、3Pもできないし」

「そうだね、すみれもマンションだと暴れたり過呼吸起こしたりするんだよね」

「また過呼吸? 精神安定剤も飲ませたの?」

「一応ね」

 聞くのも嫌になるほどの会話を二人は続けた。無視をして意識のないすみれに服を着せるは辛かった。侑介はよく耐えていたと思う。殴りそうになるのを必死に堪えて手を出さなかった。

「んで、棗と侑介はどーするわけ?」

「僕らを言いつけるの?」

「言うに決まってんだろ! 雅兄や京兄に言って二人とも追い出してもらうからな!」

「梓、俺ら追い出されちゃうってさ」

「ふうん。それは大変だね」

「なんだよその態度……!」

「落ち着け侑介」

 すみれを着替えさせたあと、二人は焦る様子もなく聞いてきた。椿と梓の言動はいちいち癪に障るもので侑介は今にも殴りかかってしまいそうな勢いだ。そして余裕すぎる二人の態度が怖いとさえ思えた。

「言ってもいいよ。言うならとりあえずこの動画を母さんに見せるかな」

「……動画?」

「棗とすみれがセックスしてる動画」

「は? そんなもの……」

「あるよ、ほら」

 梓が携帯で見せてきたのは間違いなくアパートですみれとセックスをしている動画だった。侑介は絶望した顔で俺を見てくるが、こんなものを撮った覚えはない。

「ウケる、何びっくりしてんの? 棗だってやってんじゃん。これねー、すみれに撮ってきてって頼んだんだよね」

「頼んだって……」

「すみれは俺らのイイナリだから。何でも言うこと聞いてくれるよ」

「それにしてもこの動画、好きとか愛してるとかクサイ台詞ばかりで笑っちゃった」

「それな。でさー、これ見せたら母さんどう思うんだろ?」

「……やめろ」

「あとは侑介にレイプされたってすみれに証言させてもいいし」

「はあ!?」

「すみれがゆーちゃんに無理矢理されたって母さんに泣きついたらどう思うかな? 滅多に弱音なんか吐かない娘の方を信じるかもね。侑介の部屋で襲った動画もあるよ。ちゃんと僕らの姿は見えない感じに撮ったやつ」

「……いつの間に」

「さあ? でもすみれって侑介の部屋の鍵持ってるからね。その時も泣いて暴れて大変だったよ、ゆーちゃんの部屋ではしたくないって」

「ま、だからレイプっぽい動画を撮れたんだけどさ。ラッキーじゃん。で、棗と侑介は俺らをチクるわけ?」

「言ってもいいけど証拠はないし、不利なのはそっちだと思うけど」

「……すみれに本当のこと証言してもらう」

 侑介の言葉に二人は可笑しくてたまらないと言わんばかりに笑い出した。

「何笑ってんだよ!」

「いや、あまりにも可笑しくて。すみれは僕らのイイナリだって言ったじゃない」

「家族を壊したくないんだってさ、本当に健気でカワイイよなー。棗と侑介が言いふらしたらすみれの望む家族も壊れちゃうんじゃね?」

「確かに」

「そうやってすみれの優しさにつけこんで……!」

 限界だったのか侑介が椿の胸倉を掴んだ。椿は無表情でされるがままだ。

「そんな熱くなんなよ」

「棗も侑介も取り引きしよう? 誰にも言わなければいいだけじゃない。そしたら二人の不利な動画も消してあげるよ。なんなら僕らと一緒に遊んでもいいし。すみれ、本当に何でも言うこと聞いてくれるから楽しいよ。侑介だって童貞卒業したら?」

「……ふざけんな」

「オマエら……頭おかしいんじゃないか」

 自分の出した声が震えている。どこにも抜け道がない。椿と梓が勝ち誇った表情で笑うのをただ眺めるしかなかった。すみれに笑顔でいて欲しいだけなのに、手を差し伸べることさえ許されない。

「……悪魔かよ」

 侑介がぽつりと吐き出した言葉に、また笑い出した二人の声が重なった。それは紛れもなく悪魔の笑い声だった。