カワイイイイナリ4


「あ、なつ兄!」

「侑介? どうしたんだ」

 エレベーターを降りてすぐ、廊下にいた侑介が妙に焦った様子で声を掛けてきた。

「すみれ知らないか!?」

「……すみれがどうかしたのか?」

「いねえんだよ、あいつ。俺なんか嫌な予感がして……今日は晩メシ作るからって朝から張り切ってたのに、こんな時間から出掛けるなんて」

 侑介の顔が青ざめている。これほど焦る侑介を見るのは初めてだった。今まで感じていた苛立ちが極度の不安に変わり、すみれを早く見つけ出さなければいけないと直感で分かった。

「マンションにはいなかったのか?」

「すみれの部屋と兄弟の部屋、リビングや風呂も見たけどいなかった。携帯も繋がらない。なつ兄のアパートには行ってないんだよな?」

「来てない、連絡もない」

「ひか兄は……」

「今確かイタリアだ。さすがに誰もいないひか兄の部屋には行かないだろ」

「外行っちまったのかな……」

「侑介、すみれの部屋は中まで確認できたのか? 靴はあったか?」

「あ、そうか、そこまで確認してなかった」

 侑介は小走りですみれの部屋の前まで行き、ポケットから鍵を取り出してドアを開けた。

「オマエはすみれの部屋の合鍵を持ってるんだな」

「まあな、一応信頼はされてると思う」

 羨ましい、そんな言葉を呑み込んで侑介が部屋に入る後に続く。すみれは二人にされていることを悩む素振りさえ見せなかった。ホテルで撮影をしたあとも何もなかったようにケロッとして「なつ兄は悪くない、つば兄とあず兄が好きだから大丈夫」と笑顔を見せていた。何も気付けなかった。

「靴は……あった」

「じゃあ外には出てないかもな。ローファーもあるし、最近気に入ってよく履いてる靴もある」

「なつ兄、すみれをマジでよく見てんだな……女の靴とか分かんねえよ」

「……まあ」

「でもさ、家用の靴はないからやっぱ誰かの部屋にいんのかも……つば兄とか、あず兄とか」

「いや椿と梓の部屋はさっき俺が中に入った。いなかったよ」

「……そうか、ならよかった」

 リビングなどを行き来する際に履く簡単な靴が見当らない。けれどリビングにも兄弟の部屋にもいないという。変な感じだ。嫌な予感が強くなっていく。

「兄弟の部屋って誰の部屋を確認したんだ?」

「とりあえずつば兄とあず兄の部屋。中は見せて貰えなかったけど、でもなつ兄が入って確認したんだよな。あとは一応出掛けてる兄弟の部屋も全部インターホン鳴らした」

「今マンションにいるのは椿と梓だけなのか?」

「ああ、それとすば兄と俺だけなんだ。みんな出掛けてて、すば兄もロードワークに行っちまったし」

「じゃあ今は俺を含めて四人か」

「こんな出払ってるのも珍しいよな、休日なのにさ」

「……そうだな」

 確かに今日はマンションに人気がなく、椿と梓と侑介の他に誰にも会っていない。廊下を歩いた際もがらんとしていて静かだった。

「すみれをいつから見なくなったんだ?」

「朝メシ食ったあと一旦部屋戻るって言って、でも昼になっても部屋から出てこないし、つば兄とあず兄も知らないって言うし……だからさっきこの部屋を見に来たんだけどすみれいなくて」

「……嘘かもな」

「え?」

「椿と梓だよ。すみれを知らないって嘘ついてる」

「……俺も最初そう思った。でも、なつ兄は二人の部屋見たんだろ」

 マンションに兄弟がほとんどいない状況で、あの二人がすみれを放っておくなんてどう考えてもおかしい。普段なら独り占めするチャンスだとすみれから離れないはずだ。朝だって椿はわざわざ俺を外に呼び出した。まるで休日の時間を持て余しているかのように。

「そうだ侑介、椿は朝出掛けてたか?」

「つば兄? どうだろ……朝メシ食ってすぐリビングから出てったのは知ってるけど、そんな干渉もしないしな」

「まあそうだよな」

「あず兄はいたよ、ちょくちょくリビングに来ては水とかお茶とか持ってってたし。その度に今何時かってやたら聞いてきたけど」

 そういえば梓の部屋で二人と話したとき、梓はときどき携帯を確認していた。時間を見ていたのかもしれない。それと椿は朝に呼び出されて会ったときと違う服装だった。さっきは怒りで冷静になれなかったが、考えてみるとおかしなことが多い。

 椿の部屋に入れたのも鍵をテーブルに置いていたからで、普段ならポケットに入れている鍵を出しっぱなしにしていた。だらしのない椿のやることだからあまり変だとは思わなかったが、なんとなく違和感を覚える。

 アニメキャラクターのキーホルダーが付いたじゃらじゃらした鍵。ピンクのシールが貼られた椿の部屋の鍵と、梓の部屋の鍵、車の鍵、他にもいくつか鍵がついていた。あまりにも多く感じたくらいだ。その中にはどこか見覚えのある鍵もあって……

「……侑介、今ひか兄と俺の部屋はどうなってる?」

「どうって……もう物置みたいなもんだろ、つば兄の」

「鍵は誰が持ってるか知ってるか?」

「そりゃつば兄じゃねえか?」

 侑介はそう言ってハッとした顔になった。同じように気付いたらしい。

「なつ兄の部屋、確認してない」

「だろうな」

「見なきゃ」

「でも鍵がない。マンション出るときに京兄に全て返したんだ。椿が素直に渡してくれるとも思わない」

「……くっそ」

 悔しそうに壁を叩き俯いた侑介を見てふと昔の映像が頭に浮かんだ。この部屋の玄関で泣き出して俯くすみれに、いつでも俺の部屋に来いと言って小さな手に鍵を握らせる映像だった。

「いや、ある、ここに」

「ここ?」

「すみれに昔俺の部屋の合鍵を渡したんだ。まだ持ってるかもしれない」

 それを聞いて侑介は勢いよく靴を脱ぎ、すみれの部屋に入った。迷わず机の引き出しの奥から小さな鍵を取り出して、鍵付きの引き出しを開ける。そしてすぐに目的のものを探し当てた。

「あった」

「オマエ、なんでそんな的確に」

「すみれ、兄弟から貰った大切なものは鍵付きの引き出しなんだ。鍵は下の引き出しに隠してる。あ、これ直接すみれから聞いたんだからな」

「分かってる。急ごう」

 頷いた侑介と駆け足で四階へと向かった。きっとすみれはあの部屋にいる。梓の部屋の隣で何かと使いやすく、椿の物置で誰も入りたがらない。一番端の部屋でもあり漏れる声の心配をしなくてもいい。マンションの中で唯一、何かを隠すのに適した場所に。