家族ということ


※絵麻ちゃんがもしもいたら、絵麻→ヒロインを心配する話です。



 この家の違和感に気付き始めたのは、わたしが来て一ヶ月ほど経った頃だろうか。パパが再婚して十一人の兄弟と一人の妹ができたわたしはその兄弟が住む朝日奈家に住むことになった。一人っ子だった自分に兄弟ができるなんて本当に嬉しかった。
 皆さんとてもよくしてくれるし特に唯一の女の子であるすみれちゃんとあまり歳は変わらないものの、少しだけ先に生まれたわたしを"お姉ちゃん"と呼んでくれる。そんな可愛い妹が出来たことが一番嬉しかった。他の兄弟の皆さんも同じようで、すみれちゃんはとても可愛がられているんだなという印象を受けた。

「あれ……すみれちゃんはどうしたんでしょう?」

 最初の違和感は夕食のとき。今日は夕食を食べると一覧表に書いてあるにもかかわらず時間になってもすみれちゃんはリビングに来なかった。

「ああ、寝ているのかもしれませんね」

「そうなんですか? 起こすのは悪いですよね」

「よくあるんです。気にしなくて大丈夫ですよ。お腹が空いたら来るはずです」

 右京さんの言葉にわたしは素直に頷いた。残しておいた夕食は次の日の朝、すみれちゃんが美味しそうに食べながら昨日はごめんなさい、と謝ってくれたから特に気にも止めなかった。
 でも夕食を食べない日が続きわたしの違和感は徐々に強くなる。右京さんは寝ているだけだと言うし他の兄弟も全然気にもしない。寝てる日が続くなんて体調が悪いんじゃないでしょうか、と言っても大丈夫だからの一点張りだった。

「あの……すみれちゃんのこと、心配じゃないんですか?」

 ある日、思い切って夕食のあとリビングでくつろぐ雅臣さんや右京さん、年上の方達がいるのを狙って切り出してみた。急に静まり返ったリビングに何かまずいことを聞いてしまったのだろうかと不安になる。でもすぐに雅臣さんが口を開き、きみは優しいね、と微笑んだ。

「心配、か……心配してないって言ったら嘘になるけど……」

「……雅臣兄さん」

 右京さんが雅臣さんの言葉を咎めるように遮る。

「うん、大丈夫だよ。あの子はね、僕らが思ってるよりずっと強いんだ。優しくて、強くて、朝日奈家の何か……太陽みたいな明るい存在なんだよ」

「あの……それってどういう」

「とにかく、大丈夫。でもね、もしあの子がきみに何か言いたそうにしていたら聞いてあげて欲しいな。きみはこの中で唯一の女の子だからね」

 雅臣さんのお願いにわたしは分かりましたと言うことしかできなかった。何か朝日奈家には秘密がある気がするのに、何か分からずもやもやとして引っ掛かりを胸に抱えたまま。
 それからしばらくして、また心配な事が起こった。夕食に来なかった次の日の朝も顔を見せなかったのだ。

「あの……やっぱりすみれちゃん、体調が悪いんじゃ」

「……そうですね。今日は学校を休ませようかと思います」

「見てきてもいいですか? もしかしたら、動けないような状態だったら……」

「それは、大丈夫です。きっと……椿が側にいるはずですから」

「椿さん?」

 何故椿さんの名前が出てきたのだろう。昨日は椿さんとは顔を合わせず、最近仕事が忙しいからと夕食のときもいなかった。部屋で寝ていたすみれちゃんとも顔を合わせていないと思ったのに。不思議に思いながらも、他の人が見ていてくれるなら大丈夫だろうとわたしは学校へ向かった。


*


「すみれちゃん、いるかな?」

 その日の帰りにわたしはスーパーに寄り、夕食の食材とすみれちゃんが好きだと言っていた果物や食べやすいゼリーなどを買って彼女の部屋を訪れた。インターホンを鳴らすとドアが開いて寝間着のすみれちゃんが姿を見せた。

「……お姉ちゃん」

「すみれちゃん、大丈夫? 一応、果物とかゼリーとか食べやすそうなものを買ってきたんだけど……」

 スーパーの袋をかかげると、すみれちゃんは笑顔でありがとうと言った。でも疲れ切っているような、やつれた雰囲気に心がざわつく。

「お部屋、上がってもいいかな?」

 ゆっくり休んで元気になってもらいたい、と部屋に上がることを提案した。あまり食べられていないなら少しでもお腹に入れて欲しいし、もし食べられなくても果物なんかを切っておいて冷蔵庫に入れておくだけでいつでも食べられるという安心感がある。
 わたしの提案を快く受け入れてくれたすみれちゃんは部屋に入るなりキッチンの方に向かう。紅茶でいいですか、という言葉にわたしは慌てて止めに入った。

「すみれちゃん、体調悪いんだから寝てなきゃだめだよ……!そんなに気を使わないで。わたしすみれちゃんのお姉ちゃんなんだから、甘えて欲しいな」

「お姉ちゃん、ありがとう……でもね、具合悪いわけじゃなくてちょっと疲れただけなの。大丈夫だよ」

 そう言ってすみれちゃんはお湯を沸かそうとする。体調不良じゃないならいいと思うのに、顔に滲ませた疲れが酷いものに感じるのだ。歩きもおぼつかないし手元が危うくてはらはらしてしまう。

「すみれちゃん、やっぱりわたしやるから。ね?」

 ガシャン、と音がしたのは電気ケトルに水を入れる手をやんわり止めたときだった。触れた手にびっくりしたのかシンクにケトルを落としたすみれちゃんは泣きそうに顔が歪む。

「ごめんなさい」

「ううん、大丈夫だよ。大丈夫」

 落ち着かせようと背中をさする。水に濡れた寝間着の袖を見て、着替えようかと言葉をかけるとすみれちゃんは首を振った。

「でも、すみれちゃん……風邪引いちゃうから」

「ううん……大丈夫。あとで着替えるから……」

 必死な様子にわたしの違和感は大きくなっていた。びしょびしょになった袖を捲りも絞りもせず、タオルを渡してもただ覆っただけだった。どうして腕を見せたがらないのだろうか。そのすみれちゃんの姿にわたしの中で何か警報のような、危険信号のようなものがずっと鳴り響いていた。


*


 わたしはすみれちゃんの様子や、他の兄弟の人達の様子をなんとなく目で追ってしまうようになった。そうして分かったのはみんなすみれちゃんを見る目がどこか家族とひと括りにするだけでは言いきれない眼差しだということだった。兄弟の中で唯一の女の子である彼女を、少しオーバーに言うと溺愛しているのだろうと最初は思っていた。でも、それだけじゃない。

 決定的な場面に出食わしたのは、疲れてしまったからとすみれちゃんが学校を休んだ数週間後のことだった。深夜、目が覚めて何か飲みたいと思ったものの冷蔵庫には何もなくわたしはリビングへ向かった。暗いリビングに入ると微かに音が聞こえる。啜り泣く声と、吐息、それから……男性の声。誰かいるのだろうかと近付くとちらりと見えた状況にわたしは言葉を失ってしまう。

 ソファでぐちゃぐちゃに顔を歪めて泣いているすみれちゃんと、押し倒し上に被さる椿さん。暗い中であまり見えないが寝間着も、たぶん、肌蹴ていて。椿さんはすみれちゃんが抵抗できないようにと両手首を左手で押え付けて、肌蹴たところを右手でまさぐっていた。その度に泣き声が上がる。
 つば兄やめて、とすみれちゃんが必死に絞り出した言葉にわたしは身体が動かなかった。助けたいのに足が固まって床にへばりついている。どうにかしないと、となんとか一歩を踏み出したとき、微かな音に椿さんは気付いたみたいだった。誰? と酷く冷たい声がリビングに響く。

 わたしは慌ててリビングを抜け出して部屋に戻り、ベッドに潜り込んで泣くことしかできなかった。数週間前のあの出来事はきっとこういうことだ。あんなに強い力で手首を押え付けられたらきっと彼女の白い肌には真っ赤な手の跡がついているだろう。部屋にお見舞いに行ったあの日、すみれちゃんが濡れた寝間着をわたしの前で着替えられなかったのはこんな、普通では想像もできない理由だった。

 泣き続けたわたしはジュリにどうしたのかと聞かれても何も答えられなかった。すみれちゃんの泣きじゃくった顔が頭から離れない。雅臣さんが言っていたのはこういうことだったのだろうか。心配しないといったら嘘になるってそんな言葉じゃ済まされない。だって、血が繋がっている、兄妹なのに。

 そしてだんだんとこの家の違和感に気付いたわたしはすみれちゃんになるべく寄り添うようになった。べたべたはせず、適度に距離を保って。
 あの夜のことは未だに言えていない。次の日会ったすみれちゃんは普段と何も変わらなかったからだ。椿さんとも特に気まずい雰囲気もない。わたしの見間違いだったのではないかと思うほどに。
 でも、ふっと椿さんはすみれちゃんを見る目を家族からもっと違う別の愛情へと変化させる瞬間があるのをわたしは分かるまでになった。椿さんだけじゃない、梓さんも、他の兄弟も、みんな。雅臣さんや右京さんだって例外じゃない。すみれちゃんは気付いているのかいないのか、いや気付かないはずはないのだろう。
 全て受け入れて微笑んでいる彼女を太陽だと言った雅臣さんの言葉をわたしはやっと理解し始めていた。そして他ならぬわたしが守らなくてはいけない気がした。朝日奈家で唯一の同性として、姉として。


*


「すみれちゃん」

「ん……?」

 お姉ちゃんなあに? とソファの隣に座っていたすみれちゃんは首を傾げた。その仕草が本当に可愛らしくて、同じ女の子としてどうしてこうも違うのかと思ってしまう。でも可愛いという気持ち以上に家族としての愛情というか、すみれちゃんに対する気持ちが胸に込み上げる。

「わたしすみれちゃんのお姉ちゃんになれてよかった」

 それを聞いてすみれちゃんは頬を染めてから、とびきりの笑顔を見せてくれる。

「わたしも、お姉ちゃんがわたしのお姉ちゃんになってくれて本当によかった」

 ふふふ、と春の花が咲くように暖かい日差しが照らすように、とにかく言葉足らずのわたしには言い表せないほどの優しい笑顔ですみれちゃんは笑った。そしてわたしに少しだけ身体をもたれかからせてきてくれる。そんなことがまた家族に近付いた気がして、どうしようもなく嬉しい。

 きっとこれからもっと家族になっていけると思う。歪んだこの家族にはすみれちゃんが必要不可欠で、彼女がいたからこうなってしまったのか、彼女がいるからこそのこの曖昧なバランスを保っているのかわたしにまだ分からないことがいっぱいだ。でも一つだけ分かるのは彼女は紛れもなく朝日奈家の明るい存在であるということだった。

「お姉ちゃん、だいすき」

 いろいろと考えながら隣の温もりを感じているとすみれちゃんがそっと呟いた言葉にわたしは照れてしまうことになる。わたしも大好きだよ、と言えなくて咄嗟にすみれちゃんの手に自分の手を重ねた。何故かその暖かさに泣きたくなるのはわたしが家族という存在に飢えていたからだろうか。
 でも昔からずっと家族だったかのように、それが当たり前のように。すみれちゃんは小さな可愛らしい手でわたしの手をぎゅっと握り返してくれた。