2.ルールと罰


 大学に進学して生活環境も何もかも変わり、やっていけるかどうか不安だった気持ちは良い意味で裏切られた。大学に馴染むのにも時間はかからなかったし、それ以上にお兄ちゃんたちにめちゃくちゃに抱かれなくなったのが大きいと思う。大学も休まず通え、一通り家事もできる。身体がだるい日もなくなり笑顔でいる時間も増えた。この関係について思い悩むことはたくさんあるけれど昔よりずっと楽になった。

 昨晩はあず兄と身体を重ねて、でも昔みたいに何回も立て続けに求められることは一切ない。本当の恋人のように愛してるよと囁かれ、優しく抱き締められながらの行為は驚くほど心地良い。高校生のときは気を失ってそのまま眠り次の日の昼まで熟睡、なんて日々を繰り返していたのに今日はあず兄より先に起きてキッチンに立っていた。

 みんな寝ているし、せっかくの休日に食パンを焼くだけでは味気ないから何か作ろう。そう意気込んだ瞬間に後ろから抱き竦められる。

「すみれ、おはよう。まだ寝ててもよかったのに」

 昨日の行為を彷彿とさせる背中の温もりと甘い声。動けないのをいいことに耳元でさらにと追い討ちをかけられた。

「昨日のすみれ、すごく可愛かったよ」

「……っ、あ、あず兄」

 なんとか腕を解いて振り返れば上機嫌な様子のあず兄が微笑んでいた。落ち着いたあず兄とは正反対の、顔を真っ赤にして声まで上擦ってしまった自分が恥ずかしくておはようも言えず俯いてしまう。

「意地悪しすぎちゃったかな、ごめんね」

「ううん……」

「すみれはこれから朝食作るところ?」

「うん、せっかくお休みだから何か作ろうかなって……」

「僕も手伝うよ。何作ろうか?」

「ま、まだ考えてなくて……」

 おどおどするわたしの頭を撫でたあと、あず兄はテキパキと冷蔵庫や棚の中のものを見て何を作るか考え始めた。男の人から一瞬で兄へと切り替えるあず兄の後ろ姿をぼんやりと見つめる自分は動けないままだ。抱き締められただけなのに、昨日の行為の熱がまだ残っている気がして居た堪れない。

「賞味期限の近いパンがあるからフレンチトーストはどう? 適当にサラダや果物も付けて」

「うん、いいと思う……」

「決まりだね」

 メニューが決まってもまだ立ち尽くししていたわたしをあず兄は上手く誘導する。卵と牛乳、砂糖にバニラエッセンス、それから大きめのボウルを出してわたしの目の前へと置いてくれた。

「僕はパン切っちゃうから、すみれそれお願いできる?」

「……うん」

 とりあえずと手を動かせばさっきのことから自然に意識は離れていく。ボウルで混ぜたものを平たいトレイに移し、あず兄が切ってくれたパンを十分浸したあとフライパンで焼き始めるとリビングに甘い匂いが漂った。

「いい匂い……」

「美味しそうだね。僕は椿と棗を呼んでくるよ。盛り付けお願いしてもいい?」

「うん」

 いつの間にかあず兄との雰囲気もいつもと戻って普通に振る舞えるようになっている。あず兄はやっぱりすごい。気遣いや優しさにいつも助けられてばかりで、二人を呼びに行くあず兄の背中にありがとう、と心の中で呟いた。

「お、フレンチトーストか」

「うっわ、ちょーいい匂い!」

 つば兄となつ兄が起きてくるとリビングが賑やかになる。無駄にテンションの高いつば兄はあず兄にべたべたして、なつ兄はそれを見ながら溜め息をつく。ご飯は四人揃わないことも多いから、珍しくみんなの休日が被った日は嬉しくて仕方がなかった。

 今日は四人で朝食を食べたあと家事をしてからのんびりするのかな、それともどこか行くのかな、わくわくする日曜日の朝はすぐその後のつば兄の発言によって壊されてしまうのだけれど。

「これ梓とすみれが作ったのか?」

「主にすみれかな。僕は果物を切っただけ」

「まじで!? やっぱうちの妹天才なんじゃね? もうぎゅーしちゃう!!」

「え、わっ……」

 今までべたべたしてたあず兄を離して急にこちらへ来たつば兄に構えることもできず、さっきのあず兄と全く同じように抱き締められた。思わず色々と思い出してしまい思考が停止して身体も強ばる。

「ぎゅー! ってそんな身体固くしないでよー、昨日は順番的に梓とエッチしたんでしょ? 思い出しちゃったりして」

「え」

「おい」

「……椿」

 つば兄の爆弾発言に和やかだったリビングの空気が凍りついた。順番的にってどういう意味だろう、と考える前にスパーンと乾いた大きな音がする。あず兄の手がつば兄の頭に盛大にヒットしたらしい。

「いっでえー!」

「椿、分かってるよね?」

「……ルール作った本人が自ら破るとは思わなかったな」

「マジ今のはちょー無意識だったんだよ! テンション上がっててさ……」

「そんな言い訳通用すると思う?」

「ま、せいぜい頑張れ」

「うわー! 棗覚えてろ!!」

 呆然と立ち尽くすわたしを置いて何やら話が進んでいく。順番、ルール、罰……なんだか嫌な予感しかしない単語がすらすら三人の口から出てきて、やっと話終わったかと思ったらあず兄に神妙な面持ちでソファに座るようにと促された。

「こうなったらちゃんとすみれにも話すしかないよね」

「……そうだな」

「ごめんね、ご飯食べる前にちょっと聞いてくれる?」

「う、うん……」

 分かったのは最近の優しい行為はルールで守られていた、ということだった。身体を際限なく求めない、ちゃんと大学に通わせる、嫉妬して箍が外れないように順番を作る、身体に痕をつけない、その他もろもろ……そしてこのルールはわたしには絶対に言わない。ルールを作ろうと言い出したのはつば兄で、最初に破ったのもつば兄らしい。でもルールを破ったときの罰については何も教えてくれなかった。

「ごめんね……こんな順番なんか作ったりして」

「ううん、大丈夫。大学もちゃんと通えてるし、家事もできてるし、今は毎日楽しいよ」

「そっか……ありがとう」

「順番とか言ってるけど嫌だったらいつでも断っていいんだからな」

「それ棗が言う?」

 とりあえず一通り話も終わり、冷めてしまったフレンチトーストを温め直した。あず兄となつ兄は美味しい美味しいと食べてくれたけれど、つば兄は酷く落ち込んだ様子で覇気がない。

 さっきまであんなに元気だったのにそこまでテンションが落ちてしまう罰って一体何なのだろう、とふと考えて止めた。知らない方がいいことだってきっとある。異様ににこにこ笑っているあず兄や、普段部屋では吸わないようにしている煙草を無意識に取り出すなつ兄を見ていたら、そう思わずにはいられなかった。